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 姉が出て行ったのは私がまだ学生の頃だった。
 姉はある日突然居なくなった。彼女の自室は空っぽだった。姉を示すものが何ひとつ残されていないのを確認し、実にあの姉らしいと私は思ったものだった。
 例えば、お気に入りだと言っていた小説。例えば、葛藤の末、背伸びして買ったという化粧品。昔は私も少女だったから、歳の離れた姉の持つそれらに憧れの気持ちを持つこともあったけれど、いつからか羨ましいとすら思わなくなっていた――と、自覚したのはこのタイミングで、姉の全てが私の前から消えてからだった。
 私から見た私の姉は鬼のように厳格な人物で、ものを不用意に持つことを良しとしないというか、言い換えれば、何を持つにも理由めいたものを見つけて、紐付けて、それをもっともらしく人に説くような偏屈な質だった。それが高じて――あれは当時の私と同じくらいの歳の頃だったかな。自分を甘やかす一切を排除しようとする化物を産んだ姉は、最終的にはその矛先を自分のボーイフレンドに向けてしまった。以来、姉は自分に必要なものしか周りに置かなくなってしまった。
 そんな経緯を知っていたからだ、とは言わないが。家に残された私は、姉にとって必要なものではなかったと証明されたかのようで、安堵の気持ちを覚えたものだった。勿論、私の姉がかような薄っぺらい感情論で動くような人物だとも思っていなかったので、この感傷が不要なものだということは、まだなんでもは知らなかった私でも知っていたことだが。
 それよりも、あの姉を見て育った私は、一体どんな化物を産むのか――当時の私は、そのことで頭が一杯だったのは幸いだった。
 そんな昔話も、もう十数年前のことになる筈なのだけれど、つい先日出来たばかりの友人――まだ年端もいかない男子高校生の彼を見ていると、どういう訳だか私は、姉が好いていたボーイフレンドのことを思い出す。

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「なあ、阿良々木先輩。水着を買いに行きたいのだが、一緒に選びに行ってはくれないだろうか?」
「だからなんでお前はそうやって、僕と付き合ってる奴っぽいイベントを用意してくるんだよ」
「阿良々木先輩の審美眼を信頼してお願いしているのだ。早急に私に似合う水着が必要になったから」
 かように、くすぐったいことを言われてしまうと、安易に「友達と選びに行けば良いじゃねーか」なんて無粋なことは言えなくなってしまう僕である。
「来週までに必要なのだが、如何せん私は水着といえばスクール水着しか持っていない」
「へえ、意外……でもないか。お前らしいな」
「スクール水着も素晴らしい文化のひとつだとは思うが……折角のデートだからな。なるべくお洒落をしていきたい」
 と、心成しか電話の向こうの神原の声が弾んだ。
 で、デート? 神原さんが水着でデートだと?
「あれ? 阿良々木先輩、もしかして知らないのか? 戦場ヶ原先輩に誘われたから、てっきり知っているものかと」
「な、なんだよ。お前のデートの相手って、ひ……戦場ヶ原か」
「うん。なんでも、ナイトプールに行きたいんだとか」
「初耳なんですけど?」
 僕だって、あいつとプールサイドでデートしたことなんてないのに。
 だけど、日頃から己の裸体を見せたがっている神原の水着姿がどんなものなのかは気になったので(決してやましい気持ちはない)、うっかり了承の返事をしてしまった。

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 やっとの思いで全部入れた。いやもう、マジで千切れるかと思っちゃったぜ。
 互いの手指を割るようにして握った手が熱い。薄い膜越しに感じる体温と圧迫感は僕の快楽中枢を確実に刺激してくる――だけど、これで合っているのかどうか。それは僕も神原も知らない。童貞喪失と処女喪失のタイミングを同じにしている以上、不安はどうしたって拭いきれなかった。それは仕方がない。つい数分前まで、僕達はゴムの付け方すら分からなかったのだから。
「や、ったな、あららぎせんぱい……ついに、ついに私達は乗り越えたぞ……!」
 神原は神原で、なんだか場にそぐわない喜び方をしているし。そりゃあ確かに、相手の声には色気があったのだけれど、もっとこう、なんというか……。
 僕は思わず、神原の胸元に額を付ける形でへたり込んでしまった。いや、初めてに大層な夢を思い描いていた訳じゃあないけどさあ。
「ん。どうした阿良々木先輩。折角上手くいっていたのに、どうして元気を失くしてしまうんだ」
「お前がうるさいからだよ……」
 腰を退かせようとすると、萎縮した自分のペニスから避妊具が外れ落ちた。

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「人気の公演のチケットが手に入ったので、駿河先輩、一緒に行きません?」
「公演? なんのだ?」
「おや、らしくなく察しが悪いですねえ。公演と言ったらひとつしかないじゃないですか」
「ひとつしかない訳ないし、その説明だけで全てを察せられる程、私ときみは仲良くないからな」
「またまた、そんなつれないことを言わずに。ほら、初期の駿河先輩って、阿良々木先輩相手にテレパシーとか普通に使っていたじゃないですか。あんな感じでひとつ」
「初期の駿河先輩って」
「えー。僕とは出来ないって言うんですか?」
「出来るかどうかはともかくとしてだな……きみとテレパスするくらいならディスコミュニケーションのままで良いとすら思うよ。で、なんだ? 私はどんなデートに誘われてるんだ? 分からないから口で言ってくれ」
「脱出ゲームです」

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 クリームソーダの美味しいお店がある、と神原選手に誘われたので、学校の帰り道、私は彼女にのこのことついて行った。いくら直江津高校が進学校とはいえ、寄り道のひとつもしないようでは女子高生として不健全というものだ。
「だけど、どうしてクリームソーダなんだよ。今のご時世ならタピって帰るのが一般的じゃない?」
「それは昨日、別の友達と行ったから良いんだよ」
 と、神原はこちらに目もくれず、つんとした表情で私の前を歩いている。
 この田舎町でどこにそんな店があるのか、不勉強な私は知らなかったけれど、対する神原駿河選手の交友関係の広さは流石と言おうか。私は未だ飲んだことのない流行りの味を想像しながら、彼女の背を追った。
 神原選手が足を止めたのは、煉瓦造りの年季の入った建物だった。カフェ、というより喫茶店という表現の方が似合う気がする。意味合いは同じなのだろうが、私達を出迎えた分厚い半透明な自動ドアを前にして、私はそんなことを思った。
 扉の前に立つ。隙間からエアコンの冷気がふんわりと漂って来て、するとやっと喉を潤したい気分になってきた。

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