Vampirism

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07

「阿良々木先輩。あまりこういうことは言いたくないのだが……最近の阿良々木先輩は、ちょっと自分に甘過ぎると思うぞ? 具体的に言うと、甘噛みが多い。阿良々木先輩の吸血性が高くなる時期ならば、ある程度は仕方がないと私も目を瞑っていたけどな。甘やかしていたけどな。しかし流石に、なんでもない時に私の身体を噛むのは止めて欲しい。昨日吸ったばかりじゃないか。ひょっとして、人肌を噛むこと自体が癖になっているんじゃないか?」
 と、神原は切々と説いた。
 首筋に埋めていた顔を引き離すように押し返され、文字通り口寂しさを覚えてしまう僕。それはひょっとしなくとも、『おあずけ』の宣告だった。
「なんだ神原、らしくないな? 僕を相手に焦らしプレイでもする気か?」
「それは素敵な提案だが、残念ながら今のは真剣に阿良々木先輩の身を案じている故の忠告だ。スナック感覚で私の身体をつまみ食いするのは、あまり良くないと思うぞ?」
 と、神原は詰襟のブラウスのボタン(さっき僕が外した)を一番上まで留め直しながら言うのだった。真面目に心配されてしまうと反論の余地はなくなってしまう。
 つまりこれから、僕は美味しそうな彼女を前にしながらも、待てを教え込まれた犬の如く良い子でおすわりしていなければならないのだという。
 そんな酷なことってあるか!?
「べ、別に……肌を見る度に必ず血を吸ってるって訳でもないんだし、ちょっとくらい大目に見てあげても良いんじゃないか?」
「駄目だ」
 女々しくも食い下がってはみたものの、にべなく僕を振る神原。一切の情けのない冷たい断り様に、ひゅっと僕の喉奥が詰まる。危うく涙が出そうになるくらい。
「まあまあ。私だって、阿良々木先輩の要求を頭ごなしに拒否しようという訳ではないのだ。来月、『その時期』が来ればまたあげるから」
 かくして、僕は彼女から禁欲生活を申し渡された訳である。
 無論、禁じられた欲は性的なそれではなく、吸血欲の方なのだが。

 禁欲生活一週間目。
 ここで確認しておくと、僕の吸血欲は恒常的なものではない。実を言えば、周期的なものなのである。
 そこは夜の世界の住人の名残か、月齢に従っているのだ。月が満ちれば吸血鬼性も高まり、欠ければ応じて落ち着きを見せる。僕の身体も変化して(神原に言わせれば、その時期の僕は人格にまで影響が出ているらしいが……)、ちょっとだけ身体能力が上がったり、八重歯が鋭く尖ったりする。尤も、完全な吸血鬼だった頃に比べれば、この程度の変化は可愛いらしいものだが。
 言うまでもなく、満月の日が最高値。僕が神原から血を飲ませて貰うのもこの日。数日の誤差はあれど、やはり月が明るい夜が多い。
 月の満ち欠けの周期はおよそ一ヶ月で一周するので、つまり僕の吸血欲は一月に一度、非常に強くなる日があるという訳だ。だからきっと、神原からの『おあずけ』が解禁されるのは、最後に飲ませて貰った日から一ヶ月後ということになる。
 さて、実際に一週間目の僕はというと。
 意外なことに、普通に禁欲出来てしまった。
 ふとした瞬間、多少の口寂しさは覚えるものの、気になって仕方がない程度ではない。知らない間に、僕は神原に随分と甘えていたんだなあ、なんて痛感する。たまには自分で自分を戒めるべきだと再確認する僕なのだった。
 ただし、呑気に構えて入られたのはこの時期までだったということも忘れずに述べておかねばなるまい。

 禁欲生活二週間目。
「お願いします。噛ませてください」
 僕は早々に音を上げていた。
 素直に飢えに負けていた。
「随分と早いな。私の尊敬する阿良々木先輩は、もう少し我慢を知っているお方だと思っていたのだが」
「時には早々に諦めることも肝心だぜ? ちょっとだけ! ほんのちょっぴりだけで良いからさ!」
「その類の誘いが乗ってはいけないものだということは、流石に私でも分かるぞ。ちょっとだけと言いながら、阿良々木先輩は最後までやる気満々だろう」
「そ、そんなのやってみなくちゃ分からないじゃないか」
「BL小説の中ではお約束的な展開だ」
 そう言って、しつけの如く僕の口を遠ざける神原。台詞の上ではふざけながらも、彼女の中の拒絶の意思は固いものらしい。
 あまりに冷静にあしらわれて、僕の中ではまた寂しい気持ちが持ち上がる。神原を制する為にああ言ったものの、僕自身はあまり諦めが良い方ではないのだ。
「……まあ、確かにいきなり節制しろと言うのも酷な要求だったかもしれないな」
 そのつもりはなかったが、目に見えて落ち込んだのが相手に伝わったのだろうか。それとも情けない先輩に同情の念でも抱いたのだろうか。
 神原は、少し考え込む様な素振りを見せて。
「では、そうだな。もしも阿良々木先輩がちゃんと我慢出来たら、その時は何かご褒美を用意しようではないか」

「私の柔らかいところに好きなだけ歯を当てて良いし、それ以外にも……上手くは言えないが、出来る限り阿良々木先輩のご意向に沿いたいと思う」
 その言葉を支えに、我慢を重ねていたからだろうか。
 禁欲生活三週間目にして、僕は。
「あー……」
 すげえ罪悪感と一緒に目が覚めた。
 夜明け前のベッドの上。そして、覚えのある感触。
 僕は一体何をしているんだ……というか、何年ぶりだろう、と言った方が正しいか。
 なんて、たそがれるよりも先に急いで下着を穿き替えなければ。と、まだ眠い頭に喝を入れる。強制目覚まし時計が僕を起こしに来る前に――しかし、妹達が部屋に乱入する可能性を危惧する気持ちより、僕には先行する思いもあったのだが。
「言っておくが、お前様のそれは吸血鬼の残滓が原因ではないぞ?」
「い、いきなり声掛けてくるなって」
 突然足元の影が喋ったので、片足を上げていた僕は危うくつんのめりそうになった。
「ほら、よく言うじゃろう。食欲が抑圧されている分、性欲が旺盛になっているのではないか? みたいな」
「お前も随分と人間の俗説に馴染むようになってきたよな……余計な助言はいいから寝てろよ」
「言われんでも今から寝るところじゃ。余計なことを考えておったようじゃから、釘を刺しておこうと思っただけじゃよ。なんでもかんでも吸血鬼の所為にするのは感心出来ん。それに……儂は面白くないのじゃ。お前様があの小娘に良いようにあしらわれているようでな」
 どうやら忍は、僕の意思にかかわらず吸血行為が阻害されていることに関してご立腹の様だった。相変わらずこの金髪幼女は僕の彼女と相性が悪いようだ。幼女ってだけで神原からは好かれる対象なのに、意外と上手くいかないものらしい。
「分かってるって……分かっているからこそさ、こういう時はそっとしておいてくれないか?」
「今更という気はするがのう。儂にとっても――あの娘にとっても」
「…………」
 僕は何も言わなかった。言えなかった。下着の交換を済ませ、再びベッドに潜り込む。夜明けまではまだ時間があったが、忍も程なくして寝入ってしまうだろうから。
 僕はとにかく、神原に謝りたかった。
 ドナーである彼女は、レシピエントたる僕の強欲さを、きっと計り間違えている。
 不随意的に尖った自分の歯を舌でなぞると余計に虚しくなって、鼻の奥がツンとした。

 そして禁欲四週間目。文字通り、夢にまで見た解禁日である。
 勿論、その日は満月だった。
「流石は阿良々木先輩だ! 正直な話、二週間目の時点で、これは持たないだろうと思っていたからな。常に相手の期待を良い意味で裏切ってくれて、私は後輩として非常に誇らしいぞ」
「お褒めに与り光栄だけど、神原くん。今阿良々木先輩が欲しがってるのは、労いの言葉じゃなくてさ」
 焦がれていた感触を味わうように首筋に顔を埋めると、神原はくすぐったそうに肩を竦めた。そんな反応も久しぶりだ。
「安心してくれ。言わずとも分かっている。今日の神原駿河はあなたの忠実なしもべだ。阿良々木先輩のお願いをなんでも聞くぞ」
「なんでも?」
「大抵のことは聞く」
「心なしか、許容範囲が狭くなってないか?」
 だとしたら、まだ許して貰えるうちにお願いしておかなくては。
「とりあえず、飲んでおくだろう? 一ヶ月ぶりだ。今日はどこからでも好きなだけ噛んで貰って構わん」
「あー……それもしたいんだけど、今はそうじゃなくて」
「ん?」
 自分からシャツのボタンを外し始める神原の手を、ちょっとタンマとばかりに制すると、彼女は意外そうな顔で僕を見た。
 始めに断っておこう。その欲求は吸血鬼の後遺症による本能でもなんでもなかった。ただの個人的な興味であり、きっと、日頃抑えていた情念が今回の件で表面化してしまっただけなのだ。
 そして、僕はこの数週間、頭に描いて慰めていた願望を吐露することになる。
「お願いします。舐めてください」
 その時、神原がどんな顔をしていたか僕には分からない。せめて誠意だけは見せておきたいと、頭を下げて丁寧に言ったから。

 神原の手で下着を下されるのは恥ずかしい、なんて妙な羞恥心を覚えたので自分で脱いだ。
 そのまま、あまりにも抵抗なく咥える様に、驚いたのはこっちの方だったかもしれない。情けないことに。
 神原の口の中はあったくて、唾液でとろとろしていた。舌が僕の形に沿うようにして、柔らかく表面を撫でていく。最高としか言いようがなかった。跪くようにして僕の下半身に身をひそめる神原の、その刺激的な格好も含めて。
「お前さ、初めて、だよな?」
「ん、……私の処女を奪っておいて、その質問は愚問ではないか?」
「そ、そうだな。悪い」
 僕の空気の読めない発言に、彼女は拗ねるようにして口をすぼめたが、それも咥えながらの行為だったので更なる刺激になりかねない。否応なしに期待値が跳ね上がる。
「じゃあ、動かすぞ」
「私から動かなくても良いのか?」
「そのままじっとしてて。余裕があれば、舌当ててくれると嬉しいけれど」
「う、うん」
 肩に手を回す。腕を支えに彼女の上顎を抉るように動かすと、腰の奥がぞくぞくした。
 濡れた唇がそれを包んでいる。先の出っ張りを擦るように舌を絡めて来る感触に、僕は素直に嬉しくなった。
 ただ、それで調子に乗ってしまったのが良くなかった。
 たっぷりとおあずけを食らった分、溜めていた気持ちが多々あったのかもしれない。はたまた、神原の意志の強さを過信していたのかも。
 それに――神原だってこの一ヶ月、生半可な気持ちで僕を拒んでいた筈じゃないんだ。血液の提供を拒む神原に、忍はずっと難色を示し続けていたが――だからこそ、僕は神原の気持ちを汲んでやるべきだと思う。お前だって、始めから覚悟していたんだろう?
「……あのさ、飲まなくても良いから……だから」
 とにかく、その時の僕は、己の欲をぶつける為になら全く遠慮を知らなかった。
「中で、出したい」
 滑らかだった舌の動きが、一度怯むように鈍くなる。
 しかし、彼女が見せた躊躇の色はほんの一瞬のことだった。僕のそれから口を離さないまま小さく頷いて、その従順な様がかえって背徳感を助長させた。そのまま健気に口を動かし続ける神原。熱い舌を僕のものに強く押し付けてくる。なんて可愛いんだろう。
 相手の口の中でまた大きくなった、と思う。
 半ば勢い任せで彼女の首の後ろを抱いた。粘膜で感じる温かさがより深いものになり、根元までを包み込む。ディープ・スロートだ。
 同時に、神原の瞳の形が苦しそうに歪んで。その様がより射精欲を刺激する。伏せられた睫毛の先が、ちょっぴり濡れているような気がした。
 いつの間にか、僕はすっかり溺れていた。自分のものを相手に飲ませようとする行為そのものに。自分の中の衝動が、静かに抱えていた征服欲のようなものが、確実に満たされていく。
 ……すっげえ、気持ちいい。
 そして。
 強く啜り続ける激しいリップ音と、神原の口から漏れる抑制された喘ぎと、次第に早くなっていく自分の呼吸の音が十分に耳を満たした後。僕は僕の望み通り、神原の中に吐精したのだった。
「んんっ……」
 まるで夢から覚めたかのように正気を取り戻したのは、拘束していた彼女のうなじがびくり、と跳ねたのがきっかけだった。
 押さえ付けていたのは紛れもない僕の手だ。慌てて彼女の頭を解放する。
 ティッシュペーパーを数枚口に当てると、神原は唇を引き結んだままいやいやと首を振った。涙目のままだったから正直、煽っているようにしか見えなかったが……。
「だ、駄目だって。無理に飲まなくて良いから」
「ん、む……ぐ」
 強く掴んでいた首の後ろを今度は優しく撫でてやると、神原は嚥下することを諦めたらしく、渋々だったが僕の精を静かに吐き出した。意図して抑えようとしていると思われる嗚咽と一緒に。掌の中の丸めたティッシュがはっきりと重くなり、自分のことながら呆れてしまった。
「ごめん。苦しかったか?」
「いや、大丈夫……っ」
 湧き上がる罪悪感に急かされて、辛そうなしゃっくりを上げる神原の背をさする。僕は彼女の呼吸のリズムが整うまでそうしていた。

「なんだか、奥が変な感じだ」
 ちょっとだけ飲んだかもしれない。
 自分の喉を確認するかのように触りながら、神原はぎょっとするようなことを呟いた。
「阿良々木先輩も、いつもこんな気持ちなのか……」
「え? いやいやいや。感慨深そうに言っているけれど、僕は飲まされた経験なんてないし」
「私のをいつも飲んでいるではないか」
「それは意味合いが違うんじゃないか?」
「相手のものを口にしたという点では同じだろう……ほら」
 下ろしていた髪を掻き上げるようにして耳の後ろを晒す神原。好きにして良い、という合図だろうか。
「寧ろその一点しか似通ったところがないがな……歯、入れるぞ」
「ん」
 肩口に唇を押し当てても、今度は拒まれなかった。しっとりと汗を掻いた肌の感触が、僕を受け入れてくれる。どうやら本格的に『おあずけ』は解除されたようだ。
 喉の奥へ流れ落ちる体液のあたたかさが、いつになく愛おしく感じられる。それこそ神原と同じ気持ちだったら良かったのに――なんてこの期に及んで自分勝手なことを考えてしまう僕は、やっぱり我慢しているくらいで丁度良いのかもしれない。

 

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