至情には未だ遠い #6

Reader


 新しい辺境伯の放蕩癖は折り紙付きだ。そんな噂話が耳を掠めたことだって一度や二度じゃないし、事実、家を継いで暫く経つが、己の女癖の悪さは当面鳴りを潜めることはなさそうだ、なんて他人事のように思っていた最中。戦火が収まり、実家に戻って、平和と女遊びを存分に享受していた俺の元に先生が訪ねて来たのはまさに晴天の霹靂だった。思えば学生時代からそうだった。この人はいつだって唐突に現れ、停滞していた周りの時を動かしていくのだ。

0

ビターチョコレート

Reader


 最寄駅とは反対方向にある菓子屋のケーキと数字を象ったカラフルな蝋燭を引っさげた先生は、約束してきた時間をとうに過ぎた頃に俺のマンションのチャイムを鳴らした。一体どこで油を売っていたのかと思えば。今日はもう来ないのかと思った。てっきり忘れちまったのかと。せめて連絡のひとつくらい入れてくださいよ。だけど覚えていてくれて、うれしい。ひとりきりだった間、心に溜めていた文言はそれなりにあった筈なのに、望んでいなかったサプライズを前にしたら、どれもこれも口から出る前に失せてしまった。靴紐を解く背中に向かってただ嘆息する。しかし、幸か不幸か、俺の複雑な想いを乗せた溜め息は先生には届かなかったようで。
「誕生日おめでとう」
 俺が何か言うより先に、静かでだけど芯のある声がシンプルに胸を突いてきた。

0

至情には未だ遠い #5

Reader


 駄目で元々、気付かれなかったらその時はその時。なんて具合に、なるべく控えめに戸を叩いたというのに、先生は動じることなく俺を出迎えて、当たり前のように部屋に招き入れた。勿論、真夜中の逢瀬の約束なんてしていなかったので、寧ろ訪ねてきた俺の方が面食らってしまった。先生があまりにも涼しい顔をしていたから、都合良く勘違いしてしまいそうになったが、腰を下ろした寝具にはまだ温もりがあった。俺が通りがかった時に偶然起きていた、という訳ではないらしい。
「突然すみません、迷惑でした?」

0

至情には未だ遠い #4

Reader


 先生が新しい王様になるってんで、偶には恭しく花でも贈って差し上げようかと考えて、止めた。今でこそフォドラを救った英雄だとかで持ち上げられているが、あの人がそんなことを望んでいるとは露程も思えなかったので、生花の代わりに馴染みの茶葉と菓子を携えて、部屋の戸を叩く。ベルガモットティーが詰まった缶を前に顔をほころばせる先生を見て、俺の観察眼も捨てたもんじゃないな、と少しばかり誇らしくなった。

0

至情には未だ遠い #3

Reader


「君はやはり、女性と過ごす方が好きなのかな」
 らしくない質問に、おや、と思った。さっぱりとした気質――が本質なのかは定かではないが、少なくとも俺はそう思っている――先生から、そんな粘ついた言葉が発されるとは今の今まで想像していなかったからだ。ただ、あまりに淡白な調子で呟かれたので、俺の貞操観念についてを問い質されている訳ではないらしい。経験上、耳にしてすぐはその言葉に身構えてしまったが、俺は俺の直感を信じて、目の前にあった先生の肩に腕を回す。
「いやいや。確かに女の子と過ごすのは嫌いじゃないです、が……その言い方だと語弊がありますね。先生だからこそ、俺はこうしてここにいるんですよ」
「そういうのはいい」

0