ミザリーワルツ

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01

 沼地蠟花のことは知り合う前から知っていた。
 人の噂なんて当てにはならないけれど、しかし、そんな余計なエッセンスを含ませたフィルターを通してしか相手を見れないくらい、多量の噂を耳にしていた。
 しかし、いざ本人を目の当たりにすると、どこか言葉にし難い。有無を言わさない雰囲気があった。それはいつ思い返しても、私を暗い気持ちにさせてくれる。

 同じ年くらいの女の子だった。
 彼女と初めて会ったのは、地元の役場だ。公共の場所である、その建物の待合室で。彼女は有り体に言えば、その場に浮いていた。
 まず十代の女の子が一人で居ることが奇妙だ。
 うちの学校の制服――同じ作りの筈のそれが、どこかくたびびて見える。制服を形容するには似つかわしくない表現だとは思ったけど、私だってまさかそんな感想を覚えるとは思わなかった。
 新鮮に感じたのは、ひとつ下の学年を示す赤い色のネクタイと、鈍い銀色の柄をした松葉杖――怪我をしたという噂は真実だったようだ。もっともそれは、私が彼女をはっきりと認識するきっかけとなった噂だったのだが。
 そのくらい彼女は顕著に、そしてタイムリーに噂の的。
 そんな異質極まりない彼女が、どうしてこんなところに居るのだろう。確か、名前は。
 ……沼地さん?
 (失礼だけど)十分にとかされていなさそうな黒髪が、ゆっくりと振り向く。
 不味い。独り言にしては大き過ぎた。
 空々しく知らない振りを決め込もうにも、既にばっちりと目があってしまっている。目つきがキツイ私と真っ向から目を合わせられるなんて、彼女の肝の太さはちょっとしたものだ。スポーツ選手のメンタルは人並み以上にたくましいのかも。
 寧ろ、私の方がビビっちゃっていた。なんというか、彼女の目には凄味があった。まあ、いきなり知らない相手から名指しで呼ばれたら、そんな顔もするでしょうね……。一人で死ぬほど反省するのは、家に帰ってからの方が良さそうだ。
 とにかく、二の句を繋げなければ。
 場を持たせろ。死ね阿良々木。
 ……阿良々木の死を仮定することで多少の心の余裕を取り戻した私は、なんと自発的に、彼女とコンタクトを試みることにした(褒められるべきことじゃない?)。
 悲しくも、初対面の子に気さくに話し掛けられるような性格は有していない――しかし私は頑張った。努めて優しく、ボキャブラリーの限界に挑戦しつつ、自然な会話を確立させる。どうして世間の人間の大多数は、そんな難しいことが当たり前の様に出来るんでしょうね?
 奇遇ね。こんなところで会うなんて。だって、ここ、役場じゃない。制服だと目立つでしょう? お互いに。どうして名前を知っているのかって? あなた、有名だもの。とか、何とか。それこそ数えきれないくらいの理由付けをした――実際に正当な理由になり得たのは数える程しかなかったのだけれど、私にとっては永遠に続くんじゃないかってくらい地獄のような時間だった。
 そして、結果から言えば、理由付けは失敗に終わった。
 誰だって、自分の与り知らないところで囁かれた噂に対し、良い顔をする訳がなかったのだ。いくら下級生が相手だとしても、言うべき言葉ではなかったし、掻くべき恥でもなかった。
 とにかく相手の為にも自分の為にも、マイナスのイメージを払拭しなくては。私の持ちうる限りの気遣いを全て費やして、厚いオブラートに包んであげないと、と私は思いつく限りにフォローの言葉を並べた。
「ふうん? 随分と、記憶力が良いんだね」
 ……私の努力も虚しく、怪訝そうな顔をされただったけれど。
 次に続いた言葉は形の上では賞賛の言葉だったし、緩慢な声の調子に巧妙に隠されてはいたけれど、確実に皮肉の意味を孕んでいた。私にだってそのくらいのことは察せられる。
 仕方ないか。先に粗相をしたのは私だ。
 だから、同じ学校の先輩に対し、敬語を使ってくれなかったことを責める資格はないでしょうね。
「そこは気を揉まなくて良いよ。どうせ、近いうちに後輩じゃなくなるから」
 後輩じゃなくなる?
 否、先輩同輩後輩がどうとかではなくて。中学生にもなれば、目上の人には敬語を使うよう言い含められる筈なのだけれど。まさか、私は目上の存在にカウントして貰えなかったのだろうか……そうね。部活動で名を上げることで学校に貢献したあなたと違って、なんとなく、斡旋された学校に義務だからというふんわりとした理由だけで通っている私なんかは、ほんの少しだって敬う対象には見えないものね――いや、違う。そうではない。
 必要以上に卑屈になりたかった訳じゃあなくって。
 ええと、後輩じゃなくなるって?
「転校するんだ。あと、引っ越しもする。今日はその届けを出しに来たんだよ」
 私の疑問に対し、相手は丁寧に答えを教えてくれた。
 ……そっか。ふうん。へええ。
 二度目はしくじらないように、当たり障りのない相槌を打つ。というのも、悲しむべきなのか、言祝ぐべきなのか、適切なリアクションが思い描けなかったからだ。そのくらいは私も私を許そう。およそ二年もの間、同じ学校に通っておきながら、今日が初めましての相手に、どんな言葉を送れば良いのか。それは残念ね。それは良かったね。どちらを選んでも嘘っぽいじゃないの。
 でも、そういう事情ならば、一般的には保護者が必要書類を揃えるのではないだろうか……(自分を棚上げしている様で気持ち良くないから念の為補足しておくけれど、私だって多少は一般的じゃないところだってある)。
「うん。だから、そういうことだよ。半ば八つ当たりに近いよね。まったく、滅入ってるのはこっちだってのに」
 吐き捨てるように彼女はそうごちた。
 そういうこと。
 言わなくても良さそうな心情の開示は、さっきの私の独り言を想起させたが、私なんかと比べたら彼女に失礼だろう。

 

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