うちのナースはおさわり禁止

03

 沼地蠟花は時たま、絶対に納得していない時でも、妙に物分かりが良い顔をすることがある。
 大人ぶっているとかじゃないんだろうけれど。はたまた責任感に欠いているという訳でもなくて。なんというか、引き際を心得ているというか。
 私のバイトが彼女にばれて久しいが、たとえ何度顔を合わせても(何度指名権を行使されようと)、私は彼女より上手く立ち回れる気がしない。
 これは私が中学生の頃から感じていたことなのだが、自他共に認める一級のソロプレイヤーだった彼女は、他人との線引きが上手い奴なのだ。
 一方、私は感情的になりやすいというか、相手と自分を同一視してしまいがちである。シンパシーを感じやすい質だ。
「相手の話をすぐに自分に置き換えちゃうところ、るがーの悪い癖だよね。良くも悪くも」
 なんて、今や懐かしい高校時代の友達――日傘に呆れられていたことも印象に残っている。
 そういう訳で、このバイトはあまり向いていない。
 とは思う。
 不向きな仕事を続けるのは、あまり賢いことではないだろう。それでも、不肖ながら言い訳させて頂くと、欠点だと自覚しているからこそ、あえてチャレンジしてみたのだと主張したいが……。
「成程、きみらしい考え方だと思うよ。ただし、理解は出来るが、賛同はしかねるな。才能論を過信に信望している私は、同時に適材適所って考え方を重んじる側だからね」
 そんな風に、やはり沼地はあくまで中立に、私の滑稽な生き方を批判するでもなく、しかし後押しするでもないコメントをくれたのだった。

 世間ではクリスマス・イヴと呼ばれる日だった。否、それもあと二時間で終わろうとしているが。
 周りのテーブルを包む雰囲気は、心なしかいつもより賑やかで、過ぎて浮足立っているようだった。花束や、それよりもっと綺麗にラッピングされた箱を持ち込むような客も多かったし、店側としても、いつもより高価な酒のボトルが入りやすいという理由で、今日という日を楽しんでいるように思えた。
 うちの卓を除いて。
 生憎、私は信心深い方じゃなかったし、私が接客中の相手も同意見らしい。全く、変なところで気が合うものだ。
「こんな日にまで出勤とは、きみもご苦労様だね」
 一体どこから目線でそんなことを言えるのか、問いただしたくもなったけれど。
「それは私を指名した客の台詞じゃないな」
 沼地蠟花という人間もクリスマスに特別感を覚えるのか。そんな意外性もあって、結局私はなんでもない台詞で流した。今日に限って私が勧めたワイン(弱めのやつだけど)を断らなかったのも、何か思うところがあってのことだろうか。
 まさかな。
 ただし、小さなギャップ萌えで全てを鷹揚に許せてしまう程、私はさっぱりした人間でも無い。
 いちゃキャバのサービスと称して握られた手指は思いの外しつこく纏わりついてきたので、私は引き剥がすことを諦める。
 もしも私がもっと短気な性格だったら、戦場ヶ原先輩から貰った注射器型のボールペン(どうしてそんなものをプレゼントしてくれたのかは分からないが、私のアルバイトはばれていないと思いたい……)でお前の手の甲に穴を空けていたかもしれない。
「私がクリスマスを祝うのはそんなに不自然かい?」
「いや、そこまでは言わない……けど」
「性格が悪い奴は聖人の生誕を祝うことも許されないだなんて、窮屈過ぎるじゃないか」
「お前の性格が卑屈過ぎるだろ」
「はは、それほどでも」
 私の小さな嫌味に対し、まるで褒め言葉を受け取られたかのような返しをされてしまい、気持ちが良くなかった。
 話が噛み合わない――とまでは言わない。そんなことは、こうしてナース服でお客さんと話していればよくあることだ。とてもよくあること。
 世の中には話を聞いて貰いたがっている人が大勢いる。だけど、相手の話をちゃんと聞いている人というのは思いの外少ないのかもしれない。自分の話に耳を傾けてくれる人の顔を一人でも思い出すことが出来るならば、それはとても幸せなことだ、と静かに語っていたお客さんもいた(後から思えば、これはひょっとして口説かれていたのか?)。そこで感傷的になる必要はないのかもしれないけれど、この仕事を初めてからはよくそんなことを実感する。
 裏を返せば、語り手は話すことそれ自体で満足感を得ているとも言えよう。満足する自分の話したいことだけ話して帰っていくお客さんだってそれなりに見てきた。
 アルバイトを公にされたら困るとは思いつつ、ナース服の神原駿河の話を真面目に聞いている相手なんて、実は殆ど居ないのだ。
 私はそれが、良いことだとも思う。
 なのに、沼地蠟花を相手にする時に限って厄介なのは、この女は全てを受け流している風を装いながら、人の本音を注意深く拾ってくる――そして、そんな性格を私が既に知ってしまっているという点だ。
 だから、ちょっと苦手だ。
 興味本位に後押しされて選んだアルバイトを、決して真剣に従事していない訳ではないのだけれど、波風立てずにやっていきたいとも思うのだ。ただでさえ、同じ店で働くキャストからは、神原にはよく女の子の客が来るね、なんて悪目立ちしかけているのに。
「ところで神原選手」
「神原選手って呼ぶな」
「■■■さん。きみは付き合ってる奴っている?」
 藪から棒に何を訊かれたのかと思いきや、よくある手の質問だった。選ぶ答えはテンプレートなもので大丈夫の筈だ。
「いないよ」
「それもそうか。もしもそんな相手がいたとしたら、今頃は私とお酒なんて飲んでないだろうし。愚問だったね」
「んー、それはどうだろうな。相手がいたとしても、今夜のシフトは入れていたんじゃないかな。実を言うと、本当は非番だったんだが、ヘルプで入ったんだ」
「……仮に彼氏がいたら、そもそもきみはここで働いていないだろうって意味で言ったんだよ。私は」
 沼地は呆れたように目を細めたが、私には今一つピンと来ない指摘だった。例え付き合っている相手がいたとしても、先の質問にはノーで答えるのがこの世界の定石だからだ。
 ……なんとなく、罪悪感。
 嘘を吐くのは苦手じゃないけれど、相手をがっかりさせてしまうのは好きではない。
 そんな私を尻目に、沼地は鞄を漁り始める。……会計にはまだ早い頃合いだが、何か用事でもあるのだろうか。それこそクリスマスだからか?
 そう言えば、私のバイト先を知って、嫌な顔をしなかったのは沼地だけだったな、と思い至る。その反面、十二分に面白がられているのだと思うと、また複雑な気持ちだが――
「はい」
 と、沼地が差し出したのは、上品な包装の小さな箱だった。如何にも値段が張りそうな。
「何だこれは」
「何って、プレゼントだよ。クリスマスだから」
「私に?」
「あんまり確認すると嫌味っぽいよ? 要らないなら良いけどさ」
 差し出された箱をしげしげと見つめる。想定外のイベントに対し、どういうリアクションすれば良いのか考えていなかったからだ。扱いあぐねる。
「……上手く喜べる自信がない」
「え? 何だって?」
「どうしてそう都合の良いタイミングで優しくして来るんだ、お前って。彼氏でもないのに」
「だから事前に訊いたんじゃないか。きみの為を思って選んだんだぜ?」
「そんな言い方されると余計に受け取りづらいだろ」
「こういう時くらい笑顔で受け取っとけば良いんじゃない? 客からキャバ嬢への差し入れなんだし」
 なんて、相手から言われてしまえば是非もなかった。
 沼地蠟花から神原駿河へではなく、あくまで一人の指名客からキャバ嬢に対してのプレゼント、だという。
「そ。だから気楽に貰っちゃえば良いんだよ」
「……あ、ありがとう」
 受け取った箱を自分の掌に収めても、やっぱり手に馴染まなくて、なんだか不思議な気持ちになった。
「……そうだな。別に、恋人がサンタクロースって世代でもないしな」
 照れ隠しも兼ねて吐いた台詞を前にしても、沼地はどこか満足そうにグラスに口を付けていた。

 沼地からのプレゼントは、私が知らないブランドのブレスレットだった。
 女が女にアクセサリーを贈る意味だとか、お前がわざわざ店で選んできたのかとか、色々と訊きたいことはないでもなかったが、私はその全てを全部飲み込むことにした。それくらい彼女の贈り物のセンスは良かったと言えた。
 それに、私がこの仕事に就いて初めて貰ったプレゼントに、少しだけ舞い上がってしまったことは否定出来ないだろう。
 しかし残念ながら、今回の話にはオチが付いている。
「それ、手首に付けるものじゃないと思うんだけど」
「えっ?」
 クリスマス・イヴ以来、沼地が店に来た日のことだった。私は先日貰ったプレゼントを律儀に手首に巻いていたのだが、彼女はそれを早々に指摘した。らしくなく、含み笑いなんてものをしながら。
「買った店ではアンクレットだって言われたよ。もしかして、きみの足首には小さかったとか?」
「そ、そんな訳ないだろう」
 言われてみれば、チェーンが長過ぎることに気付くべきだったかもしれない……。でも、誤解を恐れずに言わせて貰うと、プレゼントにアンクレットを選ぶって、ちょっとマイナーじゃないか? ひねくれ過ぎだろう。
それに、贈り物としての意味合いも違ってくる。足首に巻く鎖だなんて、まるで。
「それはほら、私の足はこれだから」
 と、軽薄にギプス包帯を持ち上げる沼地。
「重っ!」
 なんとなく感じていた懸念は、本人の口から言葉にされることで更に重みが増したのだった。

 

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