うちのナースはおさわり禁止

02

 神原駿河を呼び出すにあたり、その後の私がかなり骨を折る羽目になったということは想像に難くないだろう。
 まあ、彼女の機嫌を損ねた原因の九割は私にあるのだろう。一方で、残りの一割は彼女の気質によるものでもある。
 彼女の性格を見誤っていた。そこまで気にするとは思っていなかったんだよ。うん。そんな純情な性格でよく接客業が勤まるものだと感心してしまうが、私が気になったのはまさしくその辺り。
 だから気長に待つつもりではあった。
 貰った無料指名券はいつまで有効なのかはっきりしなかったが、私の初来店からおよそ半月を経て。漸く気持ちの整理でもついたのだろうか。待ち合わせに日の高い時間を指定し、あくまで昔の知り合いからの呼び出しという体で、彼女はやっと私のアポイントメントに応じてくれた。
 さて、そろそろ自己弁護の台詞を考えておきたいところだ。

「酔ってたんだよ。きっと。酔いが醒めた後に責められたって困ってしまうな」
「ノンアルコールしか頼んでいなかった奴がどうして酔っ払うんだ」
「お酒にじゃない。場の雰囲気に酔わされたんだ」
 そんなキザな言い訳は聞きたくない。と、彼女がそっぽを向くと、私達の間に置かれたティーソーダがグラスの中で液面を震わせた。
 キャバクラ店の外で会った神原は(待ち合わせ相手を視界に入れて早々に目くじらを立てたこと以外)、極めて普通の女子大生だった。
 ヒールとか履いてなかったよ。
 とても歩きやすそうなぺたんこ靴だった。
 この間は濃い目に色が引かれていた彼女の唇も、今日は薄くリップが塗られているだけ。
「誰かに見られでもしたら」
「誰も見ちゃいなかったよ」
 ほっぺにちゅーしたくらいで大袈裟な看護師だな、と返せば、彼女の顔は更に苦くなった。
「なんだよ――まるで誰かに見られちゃ都合が悪いような言い方だね」
「そういう訳じゃない、けれど」
「そもそもさあ、神原選手みたいな奴がどうしてあそこで働いてるの?」
 我ながら、人の話に耳を傾けるのが好きな質だと思う。でも、自分から相手を質問責めにしてしまうのは、私としてはあまり趣味が良いとは言えない。
 しかし、今日だけは割り切るべきだ。それを聞き出す為に、私はわざわざ彼女を訪ねたと言っても過言ではないのだから。
「どうしてって……ただのバイトだよ。別に、特別な理由がある訳じゃない。家から通える場所で、大学に影響がない範囲でシフトが入れられて――」
「ん、ああ。そういえば大学生だっけ? 何学部?」
「医学部」
「……マジで?」
 昼は医者の卵、夜は桃色のナースって。拗れすぎじゃない? それに、あのコスプレを見ちゃった後だからかなあ、きみの頭はあまり良さそうには見えないんだけど。人は見かけによらない意外な一面がある、なんて割り切っちゃっても良いところなのだろうか、これは。
「そんな訳だから学費も稼がなくちゃいけない。あのバイトは稼ぎも悪くない」
 ついでに、己のモンスター級の社交スキルを存分に生かせる職だと、神原は説明してくれた。
「なるほどね。私が知る頃から人当たりは良かったもんね、きみ」
 私と違って、と付け加えると、複雑そうに眉を寄せた。嫌味が通じたらしい。
 個人的には、もっと生々しくて裏のある話が聞けるんじゃないかと期待していたから、肩透かしを食らったようで残念な気持ちもあったけれど。
 でも、納得したのは本当だ。自分の能力を踏まえてアルバイトを選んだ結果だと理解はした。
 だけどさ。
「……何もナースである必要はないと思うんだけど」
「それは私の性癖だ」
「ならば私には一生かけても理解出来そうにないね。それに、わざわざセクキャバを選ぶこともないんじゃない?」
「ちっちっち。セクキャバじゃなくていちゃキャバと言って欲しいな」
「…………」
 わざわざ指を振るジェスチャーまで付けて否定してくれたけれど、私には全く違いが分からない。
「サービスの内容が違う。いちゃキャバは、お客さんにより多くの夢を見せることが出来る」
「おっぱいを触ると怒られるか、そうじゃないかって認識で合ってるかい?」
「それは大体怒られると思うぞ」

「知り合いには何か言われないの? きみみたいな真面目な子があそこで働いてるとなると、周囲の反応は良いものだとは思えないんだけど」
 現に、今だって私に捕まっている訳だし。
 と、そこは素直に痛いところを突かれた反応らしく、彼女は気まずそうに頭の後ろを掻いた。
「うん。まあ、だから基本的には内緒なんだよ」
「ふうん? じゃあ、私は神原選手の知られたくない秘密を知っちゃったってことか」
「また嫌な言い方をするな……ああ、『お医者さんのコスプレだったら僕が毎日通ったのに!』と豪語していた白衣フェチの先輩はいたな」
 ピンクのナース服はちょっと趣味ではないらしい。なんて、大真面目な顔で答える彼女に対し、思わず頭を抱えてしまいそうになって、すんでのところでぐっと堪えた。
 あれだけドン引きした後なのだから、もう並大抵のことには動じないと思っていたのだけれど、私のメンタルはそこまで強くはなかったんだろう。
「それだけかい?」
「? 他に理由が要るか?」
 正直、彼女の話に得心いったかどうかは微妙なところだった。しかし、自分で言うのもおこがましいが、私の性格は、そこそこに物分かりの良い方だろう。
 だから、返すとすればこんなところかな。
「まあね。理由なんてないに越したことはないのさ。下手に真っ当な目標や立派な志があったら、やめたい時にやめられなくなるからね」
 私の口はそんな風に繋いでくれた。隠し立てせず話してくれた彼女に敬意を示し、ここは理解の姿勢を見せておくべきだろうってね。
 ……ああ、でもこれは訊いておきたい。
「客とベッドに入ることってあるの?」
「な、何でそんな質問をする。というかこの時間は何なんだ!? そこまでお前に情報を開示する義務が私にあるのか!?」
「はぐらかすってことはあるのか」
「ないよ。ない。大きなお世話だ。そういうのは自分で断ってるよ」
 あくまで仕事なんだから。ただのアルバイトで面倒な思いはしたくない、なんて神原は言った。どことなく頬に朱が差しているのは私の気の所為だろうか。ただし、それを追求する前に、
「お前はどうなんだ?」
 分かりやすく話を逸らされてしまった。
「私?」
「随分と私のことをあれこれ詮索してくるけれど、沼地は今何をいるんだ? 私と同じ大学生か? 足は怪我しているようだけれど……働いていたりはするのか?」
「へえ。神原選手って、自分が好きな相手以外のことはどうでも良さそうな性格かと思ってたけど、意外とちゃんと見てるんだね。それとも何かな、私に興味が出てきたの?」
「お前は私をそんな奴だと思っていたのか」
「そんな奴じゃないと、そのお仕事は続けにくいんじゃないかって思って。偏見だよ」
「……別に。私は訊かれたことは全て話したから、お前の話も同じくらい聞かないと、なんだか不公平じゃないか」
 それはもっともな感覚だった。
 同時に、貼られたレッテルを否定はしないんだな、と思ったことは内緒にしておいた方が良いかな。
「そうだな。きみと同じ――と言えるほど立派ではないけれど、私も勉強中の身だよ。就きたい職があって」
「へえ。何を目指しているんだ?」
「カウンセラー」
「……は?」
 その日、私を驚かせた事実は決して少なくはなかったけれど、この時に限っては神原の方が目を丸くする番だった。
「え? カウンセラーって、お前が? 何で?」
 その新鮮な驚きを見るに、かなり意外だったらしい。もっとも、立場が逆だったら私だって彼女と同じ反応をしただろう。
「突然店に来て、どういうつもりだったのか分からなかったけど――もしかして、私はお前に心配されたのか?」
「いや、全然」
「そ、そうなのか?」
「だとしたらね、神原選手。きみは私がカウンセラーを志している理由を誤解しているよ。私はそんな殊勝な奴じゃないってことはもう察しが付いているだろう?」
 そう言って、私は笑顔を作る。作為的で悪魔的なやつを。だって、この私――沼地蠟花がこうして時間を割いている理由は、きっとこんな感じだから。
「悩んでいる他人の話を聞くのって面白いじゃないか。なんだかハマっちゃうんだよね」

〈悩んでいる人間や困っている人間の話を聞いて、『よかった、私と同じように不幸な人間、私よりも不幸な人間はたくさんいるんだ』と安心するために――〉

 なんて類のことを正直に説明し、
「…………」
 そして軽蔑されたようだ。言葉を失った彼女の視線が、明らかな敵意を持った温度に変わった。
「……じゃあ、お前は私の話を聞くために――つまりはただ愉しむ為だけに、私を指名したのか」
「そうだね。まるっきり嘘だとは言わない」
 聞いて、神原は弾けるように席を立った。その左手は拳を作っていたが、振り上げるには至らなかったらしい。
 私を気にしながらか、彼女は小さく深呼吸をして。
「私は不幸なんかじゃないよ」
 そう、感情を押し殺した声で言った。

「じゃあ、もう二度と呼び出すなよ。私のバイトについては他言無用だからな」
 と、簡素に言い残し、神原は帰っていった。テーブルに千円札を一枚残して。お茶くらいなら奢るよ、と言ったのに、苦学生の彼女が断固として割り勘を貫きながらの発言だったので、拒絶の意志は相当に固いようだ。
 果たして今日一日で、私は彼女の感情をどのくらい引き出すことが出来たのだろうか。
「…………」
 気の抜けかけたティーソーダの泡が、私を嘲笑うかのように静かに弾けていた。

 と、いう訳で後日談。
 私は件のキャバクラ店に居る。
「お前、私の話を聞いていなかったのか?」
「真剣に聞いていたよ。もう二度と呼び出すなって言うから、お客さんとして来たんだよ」
 きみから貰った指名券で、と付け加えると、神原は露骨に嫌そうな顔をした。
 しかし、初来店時とは違う展開がひとつ。
 彼女なりに前回の塩対応を――もとい態度を改めようとでも思ったのか。それとも店側で新しいサービスでも始まったのだろうか。
 神原は振り向きざま、私に向かってウインクをひとつして。
「皆の心のナイチンゲールだぞ♪」
 ……全く心がこもっていない所為かな。
 どうも私には響かないようだ。

 

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