僕の神原がボブカットになった

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 私の先輩が失踪した。

 私こと神原駿河のバイト先の病院には、職員も利用する休憩スペースがある。一人で昼食を食べるには少々味気ない場所だが、昔の知り合いと雑談をするには趣のある場所だと常々思っている。
「――と、そんな感じで逃げてきてしまったんだが」
「それは何かな? 惚気の一種かい? 女友達に聞かせる話としてなら良いチョイスだったと思うけれど、『悪魔様々』に語る話にしてはちょっと趣味が悪すぎるなあ」
 なんて、渋めの感想を述べた割に、昔の知り合いこと沼地蠟花の表情は興がる時のそれだった。十五歳の容姿で作るにはいやに成熟された底の深い笑顔だったが、彼女の精神年齢は私と同じ十九歳だから――否、それでも早熟な印象は拭えないか。
 彼女のおいしそうな笑みの原因は、大方、私が愚痴と一緒に深いため息をこぼしてしまった辺りにあるのだろう。もう少し相手の話を真面目に聞くべきだったかもしれない。そんな感じの私の後悔の近くに。
「ふうん? で、きみの彼氏――阿良々木さんが帰って来ないのは、自分が髪を切ったのが原因じゃないかと、きみは悩んでいる訳だ」
「違う。私の話をちゃんと聞いていたのか? 私がボブカットにしたことが直接の原因とは思っていないよ。体を張ったリアクションを、適当にあしらってしまったことを悔いているんだ、私は」
「はいはい」
 ……面白がられている。それを感じさせるまま隠そうともしない沼地に対し、なんだか居心地が悪くなって、ただし悟られるのも嫌だったから、私はただ脚を組み直す。
「……考え過ぎだと良いんだがなあ」
 そして、かような当たり障りのない返事をした。
 阿良々木先輩の顔を最後に見たのは、ええと、一週間くらい前か? まあ、元々色んなことに首を突っ込んでは、帰って来たり来なかったりするような人だからな。その程度の不在を気にしても今更という感覚もあるのだが……。
「ああ。教室にいるのかいないか、印象に残らない感じ?」
「止めろよ。本人に言ったら結構傷付くんだぞ?」
「ははは、分かる分かる。学生時代の私と同じタイプだから」
「…………」
 コメントし難いよ、それ。
 お前と阿良々木先輩じゃあ印象が真逆だけどな。
 気質そのものが正反対なのか、私の髪型に対する反応も、彼と彼女では全く逆のものだった。
 ただし、ヘアスタイルについて言及するならば、一年前に私を驚かせたのは他ならぬ彼女の方だったことは未だ記憶に新しい。
「私の頭くらいで目を白黒させてたきみも大概だと思っていたけれど、なんというか、上には上がいるというか――ちょっと髪を切っただけでそのリアクションも大したものだ。それこそきみが毛染めなんかしちゃったら、どうなるんだろうね? ひょっとしたら泣いちゃうかな?」
「まさか」
 とは言ったものの、沼地のように冗談っぽくは笑えなかった。
 少なくとも、戦場ヶ原先輩が髪を染めたショックで涙目になった経験(つい先日のことだ。だって、私がよくよく知っている戦場ヶ原先輩のイメージと随分な差異があったから……明るい髪色も思いの外似合っていた)がある私は笑うべきではなかろう。
 変化が嫌い、という訳ではないけれど。決して柔軟な方ではないのかもしれない。容姿の変化は環境の変化にも繋がる。フレッシュな気持ちも好きだけど、さみしいものは、さみしい。それこそ髪ならぬ身を切るような痛みがある。
 ふと、隣の痛めつけたような茶髪を目に入れる。
 こいつの場合は変化というより変質と表現した方が近いかもしれないけれど。ならば私は偏執的と言うべきか。
「変態的と言った方がきみに都合が良いんじゃないの?」
「都合って何だよ。確かに私に相応しいのは変容性より変態性だけど……お前から率先して言われるのは、なんか嫌だな」
「私からすれば、変容と言えるほど印象が変わったようには思えないけどね。あ。でも髪は長い方が似合ってたと思うぜ?」
「だから、お前の趣味は聞いて――」
 ない。
 と、否定するのにワンテンポ遅れた。
 視線を横に戻せば、隣に居た筈の彼女の姿は何処にも無く。私の奢りの缶ジュースのみを残して消えていたからだ。
 ……ほら、やっぱりさみしい。それは会話がぶつ切りになった所為だけではあるまい。
 プルタブを上げて間もない筈のスチール缶の中身はまだ半分も残っていて、それを喉に流し込むのはちょっとだけ骨を折った。

 

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