ひとでなしの恋

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03 彼女のそれは恋ではない

 別れるからには徹底的に別れよう。
 躊躇いなく割り切ったかのように下した決断は、言うほど前向きな気持ちにはなれなかったし、そんな身辺整理的な立ち振る舞いこそ、彼女には馬鹿で真面目過ぎると切って捨てられるのかもしれない。
 しかしどうしたってこれが私の選んだ結論で、その時選べた最善策で、その後、慕う先輩から身を引こうと決めた際もこれは貫き続ける想いとなる。
 ただ、完璧にとはいかなかった。
 それこそすれ違いが避けられない廊下でうっかり鉢合わせしたり、教室の自分の席から何気なく窓の外を眺めていたらうっかり目が合ってしまう瞬間が合ったりはした。
 女子バスケ部の部室の窓から、対立する校舎の屋上を結ぶ様に――我ながら、よく気付いたものだとも思ったけれど――茶髪の彼女と。
 かちり、と目が合った。
 途端、自分からすぐに逸らしたから、相手も逸らしたかどうかは分からない。再び、今度は顔を動かさず目だけで窓の外を窺ったが、そこにはもう彼女の姿はなかった。
「……なあ、日傘」
「んー?」
 苦し紛れに、隣でノートを写していた日傘に話しかけると、彼女は顔を上げもせずに返事をした。ノートに貼り付くように寄せられた頭は、私の金釘文字を解読するのに忙しいらしい。
 ともかく、私にとってはありがたいことだ。
「お前さ、沼地と喋ったことってあったっけ?」
「ううん。ないない」
 否定の返事の後、それまで床に広げていたノート類に伏せられていた顔が、ぱっと上がって、訝しげな視線が飛んでくる。
「……沼地って、あの沼地よね?」
 毒の沼地。跳ばずの沼地。泥沼ディフェンス。あの強豪中学で。負けなければ勝ち、みたいな。スポーツ特待生的な。一人で敵チームを完封したとか、なんとか。
「あんまり良い噂は聞かないけどね」
 と、日傘の口からすらすらと並べ立てられた単語達を、私は頭の中だけで彼女と重ねてみたが、どうもそれはバスケットコートの中に限った彼女の話であると感じたし、そう感じられた自分は、やはり彼女と何もなかったとはもう言えないのだろう。
 今は視線を外すことが可能だったとしても、昔逸らせなかった過去は変えられない。
「るがーは喋ったことあったんだ? ……というか、そもそもさ、るがーから沼地の名前が出たことがもう、ちょっと意外なんだけど」
「意外?」
「るがーと沼地って何かと並べて語られることが多かったけど、好敵手ってよりは、ほんと、競争相手みたいなイメージだったから。傍からも近寄りがたいっていうか、触れにくいっていうか……仲悪いのかと思ってた」
「……まあ、どうしたって違う中学だったし、仲良くはなかったけれどな」
 嘘は吐いていない。
 と、思う。
 そして、日傘の口ぶりから察するに、語られた印象は日傘個人のものであり、同時に近隣中学の女子バスケ部全体で共有されていたものでもあったようだ。
 まあ、実際の事実は万人の認識とはまた遠い場所にあった訳だが。
 当時の私達は自分達の関係を、そこそこ上手く隠せていたらしい。
「でも、るがーも昔は随分近寄りがたかったけどね」
「そうなのか?」
「うん。同じ学校になってやっと、人となりが分かってきたっていうか。今こうしてるがーと喋ってるのだって、同じチームにならなければありえなかったんじゃない?」
 こうしてノートを写させて貰ってることだって。と、自分が勤しんでいた作業を思い出したのか、日傘は愛用のシャーペンを握り直し、再びノートに視線を落とした。
「まあそれで、あんたと、あと沼地とだって、私は中学の頃は喋ったことがなかったけどさ、ひょっとするときっかけ次第だったのかなーとか……だからって、沼地もるがーみたいに、部室で堂々とBL小説を読んでたら仲良く出来たかも――なんてことは思わないけどさ」
「はは」
 そういう冗談は止めて欲しい。乾いた笑いしか口から出ないから。
 というか、日傘的にはそれがきっかけで仲良くしてたつもりだったのか?
「逆もありがちだけどね」
「逆?」
「なんかやだったなーってことは覚えてるんだけど、どうしてその子をやだなーって思い始めたのかは、全く思い出せない……みたいな感じ」
 るがーみたいなタイプに分かる話かどうかは分からないけど、と微妙な予防線を張られながらの語りだったが、なんだか日傘らしい言葉だと思ったし、私も素直に共感出来る気がした。
 ……ふむ。
 きっかけ、か。
 先輩を好きだと思い始めたきっかけは覚えている。そして、好きでい続けることさえ許されないと思い知ったきっかけも覚えている。
 しかし。
 当時の私が、彼女を――沼地蠟花を嫌いじゃないと思い始めたきっかけは、どうしても思い出せないのだった。
 再三、屋上を盗み見るように見上げても、そこには誰もいなかった。

 それが、私が高校二年生の頃の話。

 

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