ひとでなしの恋

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04 彼女のそれは償いである

 神原とまともに再会したのは、制服のリボンの色が二度ほど変わってからだった筈で、その変化に年月の重さを感じられる程、私は真面目な学生ではないことも事実だった。
 薄暗い体育倉庫の中では、識別出来る色もそう多くはなかったし、些細な問題だ。
 ただ、顔を見ずに会話をするには、おあつらえ向きのシチュエーションだった。
「失恋したから、私に会いに来たの?」
「…………」
 彼女は何も答えない。昔もからかわれるのには弱かったので、ここは妥当な反応だと割り切ろうか。
 まさか三年前に別れた相手と、三年前と同じテンションのまま話せるとも思っちゃいなかったし。それを叶えるには時間が経ち過ぎていた。私も。神原も。
「でなければ、何かな? 神原駿河さんは三年生に進級したと共にバスケ部を引退したから、やり場のないストレスを発散させたくて、こうして私を睨みつけているのかな? 中学時代から輪をかけて、華々しい活躍ぶりだったよね。高校生の神原駿河選手は」
 沈黙を保ったまま距離を詰めて来る彼女に、牽制のつもりで言葉を連ねた。後から振り返ると、これでは私の方が久方ぶりの逢瀬に緊張していたみたいじゃないかと、思わないでもない。
 正直なところ、彼女がどうして今更私の元へやってきたのか、皆目見当が付かなかった。
「全国大会にまで行ったきみが、まさかまだ私のことを覚えていてくれてたとはね。嬉しいけれど、正直意外だったよ」
「……嫌味は上手だが、嘘が下手なところは相変わらずだな」
 私の松葉杖を蹴り上げといてよく言うぜ、と手の届かない場所に転がったそれを見やると、私の物言いに対してなのか、彼女はますます眉間の皺を深くする。
 さて、どうしたものかと、私が選んだ選択肢は、そのまま相手の出方を待つことだった。
 すると、床に座り込んだままの私からほぼゼロ距離の位置に神原が立つ。相手から間合いに入られるなんて、それこそ現役時代を彷彿とさせて新鮮な気持ちにはなったけれど、素直に喜べはしない。
 だけど、下から見上げた彼女の顔をよく見れば、既に諦めたような顔をしていた。
「そりゃあ覚えているさ。私をなんだと思っているんだ」
「直江津高校のスタープレイヤー様だろう?」
「そんなのは誇張された評価だ」
「だろうね。私の目から見たきみは、真っ直ぐなプレイスタイルが取柄の馬鹿に見えるよ」
「その馬鹿を相手に散々プレイしていたのはお前だろう。もう少し優しい言い方は出来ないのか?」
「私に優しくして欲しいって? まさか、『あれからずっときみのことを想ってました』なんて、言って欲しい訳じゃないよね?」
「分かってるよ。私にとっては印象的な三年間だったけれど、お前にとっては違うんだろう」
「……そういうところが重過ぎるんだって」
「それでも、私は間違っていたとは思わない。戦場ヶ原先輩のことも。お前のことも」
「じゃあ証明してみなよ――中学の時と同じ様にはいかないぜ」
 付き合っていたあの頃でさえ、語調を荒げたことなどついぞなかった。
 バスケットボールさえあれば相手と語り合うことが出来る、と信じていた頃とは違う。今の私はもう、コートに立つことは出来ないのだから。ならば何を語ることが出来るんだ――と、自棄な調子で嗤うより早く。
「そうだ。同じ様には出来ない。だから、沼地」
 らしくないなとは自覚していたけれど――彼女を前にしてそんな感覚に触れていることすら、今や懐かしさすら覚えるが――今は私に増して、神原の異常性の方が目立っていたのだろう。
「私はあの時、お前とは出来なかったことがしたい」
 三年前とはまるで別人のような声音でそう言って、神原駿河は制服のスカートを下ろした。

 陳腐な手順を踏んでいるとお互いに分かってはいたものの、どちらから指摘することもなかった。こんな状態の元恋人同士を――なんて言い方をすればうすら寒いが――泥沼と表して間違いではあるまい。
「下着を脱いで下半身を合わせればなんとかなるとか、そんな甘いこと、思っていないよね?」
 私の声に、びくりと身体を震わせる神原。正面から身を預けるような体勢で肩に顎を乗せていたので、危うく舌を噛んでしまうところだった。
 明らさまな煽りにも素直に反応するところを見ると、彼女が抱える緊張はかなりのものらしい。手慰みに優しく腰を撫でてやっても、私のそれでは幾分も解消してやれなかった。
 気を抜くと、彼女の視線は私の左足に落ちている。神原本人は気付いてない、つまりは無意識の気遣いであるらしいその視線が、私にとってはこれ以上なく不快だった。
「ねえ、ちゅーしてよ」
「……っ!」
「前は普通にしてたじゃないか」
 嘘だ。いつだって、きみは自分のことに一杯一杯で、おっかなびっくり目を瞑っていた。『普通に』だなんてとてもじゃないけど言えやしない。私の性格も大概だが、無防備に晒された恐れの表情に加虐心を煽られるのは、少なからず彼女の所為だろう。
 忘れちゃったの? と精一杯あざとく首を傾げれば、神原の瞳の中が揺らぐ。
 目と鼻の先で、彼女が息を止める気配がして。固く結ばれた唇が一瞬だけ触れた。
 それが彼女の誠意とでも言うのならば、やはり私は酷く重いと答えるだろう。
「……それで? まさか本当に忘れちゃったのかい?」
 焚き付けるような台詞を口に出してすぐだった。神原が私の上に跨る。太腿に回していた腕に体重を乗せられ、彼女の肌に爪が食い込む。それでも退こうとしない。それは彼女が評価されている人格、意志の強さなんかじゃない。子供染みた意地の張り合いだ。私の好奇心を刺激するには、それで十分だったかもしれないが――きみはそれを狙ってやれる程、器用なことが出来るタイプだったっけ?
 漸く遠慮を忘れてくれた彼女と腰が重なる。不意に、左足の包帯の中身が鈍く痛んだ。
 それだけは、願うべくして得た痛みだった。

 それが、神原が高校三年生の頃の話。

 

 

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