王子と坊さん

「あんた、いつまでそのままなの?」

 文化祭の最終日。後夜祭の真っ最中。
 まだ袈裟を着たままの京介は、誰もいない教室でだべっていた。

「ん? だって制服返ってこねーんだもん」

 学校の教室で、袈裟姿でだらしなく座っている京介の恰好は、かなりシュールな感じだ。なんかバチとか当たりそう。
 そう思うあたしも大概で、まだ王子役の衣装を着させられたままだったんだけど。

「後でめぐみに返してもらう。あーでも、すぐ帰ってくっかなぁ?」
「さあね。めぐみだしね」

 ま、あんたにとっちゃ制服の一枚や二枚、なんとかなるもんなのか。
 しかし、めぐみのお父さんは制服のままどうやって帰るんだろう、と別に要らないかもしれない心配をぼんやりしていたら。

「そんな事よりさぁ、えみか! ズルいよ!」

 いきなり京介から非難の声が上がった。

「何が?」
「泉水ちゃん!」
「泉水ちゃん?」
「劇とはいえ、催眠術とはいえ、オレのえみかと踊るなんて! ズルい!」
「……あ、そ」

 聞いただけ無駄な、くだらない言いがかりだった。
 呆れて彼から視線を外すあたしに構わず、京介の熱い弁は誰も頼んでもいないのに続けられる。

 えみかの王子役はいいよ。超カッコよかったもん。
 でもさ、えみかの相手役だったら絶対絶対絶っ対! オレが! やりたかったのに!
 このイケメンなオレに裏方させるなんてさ、勿体無いよ。
 大体、泉水ちゃんよりもさ、オレの方が女のコの仕草完璧だし!
 色んな女のコのこと、たーっぷり知ってるから!
 最後の一行が言い終わるのと、京介の腹にボディーブローがしっかりと入ったのは同時だった。

 暫く床に突っ伏していた京介が漸く起き上がった。口こそ閉じたものの、その顔にはまだ文句がありそうな面が残っている。
 ていうか、これは妬かれてるっていうのだろうか。
 むしろ、あたしが泉水ちゃんに妬いていたっていうか。
 実際、間近で手を取って踊ることで、周りが泉水ちゃんをお姫様に祭り上げた理由が分かる気がした。
 催眠術までかけられた本人にとっては良い迷惑なのだろうが、細い、小さい、可愛い、と三拍子そろったあの容姿は、お姫様、と称しても何一つ違和感がないように思えた。
 周りが押し付けたイメージが、本人にとって良いものとは限らないことくらいは知っているので(その所為であたしは王子様な訳だし)、口には出さなかったけども。
 それでもあたしは素直に、うらやましい、と思った。
 少し黙考した後、誰もいない教室の教壇に座り込み、足を振る。
 ま、あたしはお姫様って柄じゃないし。

「別に、劇なんだし。しょうがないじゃん」

 その台詞は、半ば自分自身に向かって出たようにも聞こえた。
 別に、気にしてるって訳じゃないでしょ、と自分に言い聞かせる。
 しかし、あまり軽いとも言えないあたしのその言いように、京介からは不釣り合いにも無邪気な声が返ってきた。

「じゃーさ、えみか! 俺とも踊って!」
「……ハァ?」

 意味わかんないし。
 劇でやったとはいえ、あんなの演技だから適当だし。

「無理」
「へーきへーき。オレがリードするから」

 あくまでも押し切るつもりか。
 京介は教壇に座るあたしを引っ張り上げて。

「さて、王子様。一曲、オレとお相手を」

 そう、恭しく、キザったらしく礼をした。
 中学までのお坊ちゃん教育での賜物。それとも自分で習得したモテ特技か。
 だけど、はっきり言って全然似合っていない。不自然すぎる。
 普段チャラチャラしている分、そのギャップが余計に目立つ。明らかに、これはあたしが知ってる京介じゃない。
 驚いて身を引こうとした隙に、奴はあたしの掌を取った。
 あ、不覚。
 しかし、その様もいつになく優雅で、あたしは密かに息を飲んだ。
 ここが教室でも。着ているのが袈裟でも。顔に止血用のテーピングがしてあっても、それでも。
 不自然すぎて、こっちの感覚がおかしくなったのかもしれない。

「……アカネちゃんじゃなくて良いの?」
「オレ、えみか一筋だし!」

 ……どーだか。
 もしそうだったら、首絞め跡を隠す為の包帯なんて巻かれてないと思うんだけど。
 よくも、そんなに自信満々に言えたものだ。
 ま、教室に誰も来ないうちなら良いか。

「でもさ、えみかは始めは嫌がるだろうけど、結局は踊ってくれるって、俺は分かってたよ」
「……なんで」
「えみかはオレのお姫様だから」
「ウザッ!」

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何もかも、暑さの所為だ

 暑くて眠れない夏の夜には、よく京介を思い出す。
 それは決して、恋のおまじないが大好きな友人に似合う乙女的な物言いからくるものではない。恋人を思うと胸が苦しくて夜も眠れないとか、そういう類ではない。ただ、夜風も吹かない、湿気を多く含んだ汗ばむ夜は、どこかあの粘着質な男を連想させるというだけの話。季節を問わず、春だろうが冬だろうが、京介はよくあたしに纏わりついてくるけれど、特に夏は最悪だ。どうしてわざわざ夏場にそんな暑苦しいことをするんだ、恥ずかしい、と彼を引き剥がす為に消費したカロリー量も少なくはない。
 ……まあ、彼の悪癖に制裁を加える為に費やした運動量には遠く及ばないけど。
 とにかく、あたしは夏が苦手だ。朝から晩まで纏わりつく暑さに辟易し、何もかもが億劫になる。彼のことはよく思い出せるが、思い出してるといよいよ眠れなくなるので、思い出さなかったフリをする。
 そういえば。
 初彼に対して初恋の人は、冬が似合う人だった。
 なんて思うのは、中学時代に喧嘩して帰って来た日――尚ちゃんがあたしを気遣ってくれた日を思い出すと、それはあたし好みのきりっと寒い冬の日だったから、というだけで、これは勝手なイメージに過ぎないのだろう。夏に開放的になる(超迷惑)彼氏と相対して、感じるだけ。
 だけど、温室育ちのお嬢様であるさよも(性格は中々にアグレッシブだけど)冬が似合う女の子な気もする。彼女の場合は愛用するロングスカートの印象もあるだろうけれど。
 でも、あながち間違ってはいないんじゃないかな、なんて気持ちもある。兄妹で何か通じるところもあるんじゃないか、なんて。
 冬生まれのあたしが、初めて尚ちゃんに会ったのは果たしていつのことだったのか。幼過ぎて覚えていない。だけど、寒空の下で尚ちゃんがさよにマフラーを巻いてあげていたことは覚えている。憧れっぽい何かを抱いたりもしたっけ。その気持ちが果たして誰に、どの方面に向けられてた気持ちだったのか、中学生のあたしも高校生のあたしも分からない。
 そうだ。
 比べて、うちの兄と言えば。
 どうして我が家のエアコンは、リビングとお兄ちゃんの部屋にしか付いていないのだろう。理不尽だと思う。恨めしくも思う。それを理由にして兄に喧嘩を売る程、高校生の私は馬鹿じゃないけど。夏休み、うちに泊まりに来ためぐみが冷房の効いたお兄ちゃんの部屋から出て来なくなることは、あたしにとっては良いことだから。
 ただし、京介に入り浸られると、あたしは涼しいリビングから自室に戻らなくてはならなくなる。彼が隣にいるだけで、エアコンのない部屋に引きこもる以外に選択肢がなくなる。そして、自分だけでも涼しい部屋にいれば良いのに、京介も律儀にあたしの部屋まで着いて来る。確率は七割五分くらいで、それはそれで歯がゆい思いをする。残りの二割五分はお兄ちゃんのところだ。それはそれでどこか恨めしく思ってることは内緒だ。
 今日も真夏日だったというのに、二人きりになると京介はすぐ私の腰に腕を回した。すると大好きな筋トレでさえ満足に出来なくなる。怠惰な夏の所為で、振り払うのがどっと面倒になる。あたしがよく夏太りをするのはそれが理由だろう。きっと。
 せめてストレッチくらいしようかと上体を反らしたら、すぐに。

「えみかは全然太ってないし、少しくらい気にすることないのに」

 なんて、調子良く私を甘やかそうとする京介の言葉も苦手だ。
 相も変わらずあたしの腰にベタベタと絡ませてる腕も。いつもの動作に少しだけウエストのくびれの太さを確認するような動きが加わっていることだって、あたしの羞恥心を的確に射抜いてくるから苦手だ。あたしは胸の下に汗を掻きやすいってことが彼にバレたら嫌だった。
 暑くて眠れない夏の夜には、よく京介を思い出す――なんで一人だけ涼しい顔していられるんだ、馬鹿。
 何もかも、暑さの所為だ。
 何もかも、京介の所為だ。

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五秒

 高校一年時の初夏。制服の袖の長さが半分になってから数日経ってのこと。
 自分のセーラーと、自分と向かい合っている『奴』のYシャツが、屋上に吹く風に煽られて僅かになびいている。
 そんな中、奴が口を開いたのは、あたしがしっかりと照準を合わせた後だった。

「ねぇ、えみか」

 あたしは、あたしを呼ぶ時のそれを、いきなり呼び捨てに呼び変えた男、増田京介に向かって。

「あのさ、」

 悟られない程度に片足を構えて。

「オレと、つきあっ……ぐはッ!」

 もう一方の足が地を離れたのとほぼ同時に、奴の身体が地面に倒れた。
 そしてあたしは決まりきったように言う。
 五秒以内に立ち上がれたら、つきあってやる。
 高校に上がってから、度々告白されるようになった。
 だけども、そのことにイマイチ興味を持てなかったあたしは、至ってシンプル(でちょっと乱暴)な方法で、その人達に返事を出してきた。
 勿論、誰彼かまわず蹴り倒すことが目的だった訳じゃないから、五秒以内に起き上がる奴がいたら、ちゃんと付き合うつもりでいたのだけど。
 強さこそ全て、とか言って、強い奴ならなんでもいいや、と特に拘りもせず、ぼんやり思っていた。
 あたしの本気の蹴りを受けて五秒以内に立ち上がる奴なんて、そうそう居ないとタカをくくってたのかもしれない。
 が、まさか本当に自分が誰かと付き合うことになるなんて、実は微塵も考えていなかった、ということに気付いたのは、『奴』を蹴り倒した後だった。
 もう、遅い。
 事切れたかにも思えた細っちい背中が、ぴくりと一回震えた後、やがて。

「じゃ、今日からオレ、えみかの彼氏ね」

 起き上がってからそう宣言するまで、5秒どころか3秒もかからなかった彼は、口から血反吐流しながら、超嬉しそうに笑っていた。

 あたしは重いため息とともに、キッチンの冷蔵庫を開けた。
 取り出した牛乳を自分のマグに注ぎながら、あの瞬間の、死にそうに輝いた笑顔がフラッシュバックする。
 あれから一週間ばかり経って分かったのだが、奴と付き合うってのは想像以上にウザかった。
 奴は先の宣言を貫こうとしているのか、学校で顔を合わせるとすぐさまベタベタとくっついて来る。あたしはそれを扱いあぐねるばかりで。
 加えて、人前にも関わらず、図々しく肩を抱いてくる奴に、こっちは毎日回し蹴りを喰らわせるという始末だった。
 えみかちゃーん、ちゅーしよー? とかなんとかほざくにやけた顔面に、何度パンチを入れたことか。
 一発本気で蹴りを入れた後とはいえ、いい加減に怖気づくんじゃないかと思ったのだけど、その気配は一向に無し。
 むしろ、諦めずに懐いてくる彼はどうにも一生懸命で。

「あー……。意味わかんない」
「何が」

 二度目のため息とともに漏れ出てしまったあたしの呟きを、テレビに集中してた兄が耳聡く聞きつけた。

「な、なんでもない」
「あー、そー……」

 それ以上の興味は湧かないらしく、兄の視線は依然として画面に注がれたままだったが。

「……お兄ちゃんはさ、よく知らない人に告られたときどうする?」
「付き合う」

 微塵の迷いもなく返ってきた返事にあたしは頭を抱える。

「ていうか、俺のこの類稀な美しさを持つ容姿に惹かれない女なんて居ない」

 あー、そーですか。
 相変わらず視線の先を変えることもなく、そうのたまった兄にあたしは閉口せざるを得ない。
 その自慢の顔でモテまくって、来るもの拒まず去る者追わず、それ故に特定の彼女無し、なお兄ちゃんには関係ない話でしたね。

「あー、お前告られたんだっけ? お前に告る奴なんて、よっぽど物好きだよな」

 その語尾にわざとらしくカッコ付きの笑の字が付いているの気がして、あたしはますます面白くない気分になった。
 てか、もう知ってたのか。
 友人の多い兄のことだから当然か。一週間あれば本人の興味の有無に関わらず、お兄ちゃんの所まで話が行くだろうし。
 やっぱ聞かなきゃよかった、と後悔しながら牛乳パックを冷蔵庫に戻した。

「お前、犬飼いたい、とか言ってたし、いいんじゃね?」
「は? そんな事言ったっけ?」
「知らね」

 適当かい、と心の中だけでツッコんどいて、私は牛乳で満たされたマグの中身を一気に飲み干し、さっさと自分の部屋に戻ることにした。
 奴が尻尾を振って懐いてくる様が脳裏をかすめたのは気の所為だと思いたい。それが妙に奴のイメージにピッタリだったことも。
 後から『彼氏』の犬扱いについて否定しとくべきだったかと思い出したけど、ま、いっか。

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