失恋専用救急箱

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01

 神原駿河が失恋した。その日を境にして、それまでも危ういバランスで成立していた私達の関係は瓦解した。
 その日は雨が降っていた。雨音がやけに響く部室の隅で、私は神原を見つけた。制服姿のままへたり込んでいた彼女は実に酷い有様だった。憧れの先輩様にこっぴどく拒絶されたらしい。宛があるでも無かったが、私はティッシュで彼女の目と鼻を拭った後(結構な抵抗をされたけど無視した)、すぐに彼女をその場から連れ出した。
 雨の中、俯いて歩く彼女の耳にイヤホンをあてがってプレーヤーから好きな曲を流し、コンビニで必要物資を買い込んで、食欲が無いという彼女に無理矢理チョコレートを食べさせ、頭が痛いと言うから(あんなに泣きじゃくったら当たり前だ)鎮痛剤を飲ませ、冷却ジェルシートまで貼ろうとしたが断られ、仕舞いにはどこかの一室の風呂場に備え付けの安っぽいバブルバスを握らせて押し込んだ。
 薄い壁越し(安い部屋の証拠だ。げんなりする)に聞こえるシャワーの音を聞きながら考えた。沼地蠟花が人に媚びるような真似をしている。その事実は吐き気にも似た何か嫌な感情を思い起こさせたが、私も残りのチョコレートを食べてさっさと忘れることにした。
 神原が風呂から上がった後、そのタイミングでちょっとした一悶着があって、やっと私は後悔に辿り着く。彼女の嗚咽混じりの喘ぎ声はその日の激しい雨音を以てしても消えず、いつまでも私の耳の奥に残ることになったからだ。
 再び彼女を風呂に入れ、今度は自分も一緒に入った。湯に浸かり、身体を洗い、神原は二度目なので洗髪は省略。上がらせて、濡れた肢体をバスタオルで拭いて。一度着せて脱がせた制服をまた丁寧に着せてやった。
 神原は急に大人しくなった。何も言わず、されるがまま。先程までの激情の中で、喉と目を潰してしまったんじゃないかと疑うくらいだった。
 止まない雨の中、彼女を家まで送り届け、その日は終わった。
 明日はまた何事もなく、勿論喉と目を潰すようなこともなく、神原駿河は学校に来るのだろう。

 いやはや、先輩もなんだってあんな印象深い日に彼女を振ってやったのか。
 お蔭様で、神原は雨が降ると私の前に現れるようになった。百パーセントとは言わない。ただし、雨脚が強い夕方なんかに、よく現れる。
 特別に何を言うでもなく、何をするでもなく。ただ口に栓をしてやると神原は喜んだ。色んな奴に嘘を吐いてばかりの彼女だが、喜ぶ振りは下手だとは思った。それが気に入らなかった。その実、先に痺れを切らしたのは彼女ではなく私の方だったということが、一番気に入らなかった。
「どうせ私のことだって、あの先輩の代わりにしているだけなんだろう」
 だからいつまでも忘れられないんだろうと。雨が降る度に思い出して泣いているんだろうと。
 泣き虫。
 きみの悩みなんて、時間が解決してくれる筈なのに。私が解決してやることなんてないのに。
「……じゃあ、どうして私はあの日、バスケ部の部室にいたと思うんだ」
 彼女は狡い。そんな台詞を寸分の計算も無く言ってしまうのだから。
 表でもてはやされているような健全なスポーツマンだったり、スター性だったり、王子様だったり、そんな様、私には微塵も感じさせない。
 ティッシュも、イヤホンも、チョコレートも、鎮痛剤も、バブルバスも、知っているのは私だけだった。

 

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