前略お母さん、僕の愚息が勃たなくなりました。
――という次第なのだが、勿論実母に相談する訳にもいかず、僕は途方に暮れていた。
僕は吸血鬼という体質上、絶対に病気にはならない。なのであんまり焦ってはいなかったのだけれど、裏を返せば、吸血鬼という体質上、絶対に病院には行けなかったので(行けばその超回復を根掘り葉掘り精査されてしまう)、人知れず相談しようにも相談相手が限られる身であった。
なので、携帯電話を取った時は、半ば縋るような気持ちだった。連絡を取るべき相手はただ一人――こういう時の頼みの綱。クローズドな人間関係を構築している僕にして、性的な話をオープンに語れる唯一無二の人材、神原駿河である。
メールと電話を駆使してそれとなく状況を説明したところ(オブラートに包んで現状説明をするのには非常に骨を折った)、事が事だからラブホテルで待ち合わせしよう、という流れになった。マジですか。飲み込み早っ!
ホテルにチェックインして早々、神原はシャワールームに閉じこもった。次に出てきた彼女は、バスタオルで濡れた頭を掻きながら。
「ふむ。まずは口でマッサージをしてみるから、阿良々木先輩は服を脱いで仰向けに寝てくれ」
と、言った。
「お、おう」
マッサージね……。
そのあっさりとした様に気圧されながらも、僕は言われるがまま服を脱ぎ、ベッドに横たわった。部屋の広さに対し、大胆な大きさのダブルベッドだ。僕はホテルという場所にあまり縁が無かったから知らなかったけれど、存在感のある広さの割にシーツは清潔な感じがして、素肌で触れると少しリラックス出来た――いや、快さはあったけれど、精神的に落ち着いてはいなかったか。これから始まることを考えると、どうしたって呼吸と脈拍が早くなる。
というか、大丈夫なのかな、この状況。
後輩女子の前、生まれたままの姿で二人用のベッドの真ん中に寝転がり、足を肩幅に軽く開く。普段ならこれだけでも高まるシチュエーションの筈なのだが、どうしてか僕のペニスはしんと静まりかえったままだった。故に、罪悪感と劣等感が酷い。遅れて羞恥心も追いついて来そうな気配もある。かようなコンプレックスに邪魔され、ベッドの端に座る神原の姿は直視出来なかった。なので視線を上に逃がす。天井にはシミひとつないな――と、悩める僕が自身の心をささやかに逃避させていると。
「では失礼する」
神原が僕の下半身に蹲ってきた。両手で僕の力無い性器を包み、先端にキスをする。い、いきなりですか? と、僕が突っ込む間すらも与えず、そのまま唇を密着させたまま、合わせ目を開きながら降りてきて――
「うあ……っ」
熱い。そして柔らかい……!
口の中に収められ、舌全体を使って撫でられる。その舌遣いは優しく丁寧で、神原が哀れな僕を慰めているようだと思った。ねっとりした、という表現が似合いそうな程、執拗に愛撫が繰り返される。
「かんば、る」
「ん? ひたひは?」
痛いか? と訊かれたのだろう。僕を撫でる圧が少し緩んだ。その加減の仕方があざとく僕の情欲を刺激してくる。
喋る間も口を離す気はないらしい。声はくぐもっていたけれど、先をくっつけている上顎が微妙に振動してくすぐったかった。それがなんとももどかしい。
じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ。
粘膜が擦れる水音の中、時折神原が息を吸う音が混じり、その度に僕の気持ちは昂ぶった。端的に言えば、気持ち良いのだ。神原の舌先が僕の弱い場所を弄ぶ度、ずっと焦がれていた快感が顔を覗かせる。
なのに。
「うーん……聞いていた通り、勃たないな……」
暫くして。ぷは、と口を離した神原は、怪訝そうに僕を見た。離れた瞬間はものすごい喪失感に襲われたが、さもありなん。視線の先では、僕のペニスが濡れたまま申し訳なさそうに頭を垂れていて、そりゃあ相手も心配そうな顔になってしまうだろう。
先も触れた通り、快感を覚えていたことは確かなのだけれど――なんというか、身体が気持ちに追いついていないようだった。快楽を紡ぐ神経伝達物質は放出されている筈なのに、それを受け渡しするシナプスが繋がっていないかのような。
「念の為に確認しておくけれど、阿良々木先輩が勃たないのは私が相手だから、ではないよな?」
「どういう意味だよ?」
「その、私とするのに嫌悪感があるとか……」
「いや、全く。寧ろお前がここまで親身になってくれるだなんて、感激の至りだぜ」
と、虚勢を張ってみたけれど、事態が事態だからあまり格好は付かない。
「なら良い」
神原は短い返事をして、また僕のペニスを慰める作業に戻った。
……やけにそっけない態度だったけれど、懸念は払拭出来たのかな?
心配になって、熱心に僕に奉仕し続けている相手の後ろ髪を撫でる。ここで神原に見捨てられてしまうと、本当に、僕はこの先どうしたら良いのか分からなくなってしまう……。そんな情けない動機での接触だったが、何かしらのやる気に結びついたのだろうか。神原は更に舌を押し付けてきてくれた。くそう、可愛いじゃねーか。
「いや、精神的にはかなり近いところまできてる。きてるんだよ。寧ろ身体が反応しないのが不思議なくらい……うおっ!?」
僕の状況説明を待たず、神原が根元を強く握った。さっきまでの快感とは一変、ちょっと痛いくらいなのだが……。
「あ、あの、神原?」
「ちょっとキツめにいくぞ。大丈夫、阿良々木先輩なら堪えられる筈だ」
「えっ」
未だ柔らかいままのペニスを啜るように貪られた。カリに当たる部分と尿道口を同時に刺激される。何分、いきなりのことだったし、あと、日頃は経験しないような責められるようなシチュエーションも相まって、
「あ、あっ……! っ……わ、悪い、出ちゃったか?」
「申し訳ないが、全然だ」
「…………」
しょんぼりだぜ。
本当に、どうしちゃったんだよ、僕……。
「口ぶりから察するに、肉体的な刺激に鈍感になっている訳ではなさそうだな」
と、神原は口から出したペニスを、片手でころころと転がしながら分析した。普段なら「人の性器で遊ぶな」と言いたいところだが、こうまで世話になっている手前出来る説教はないに等しい。手で無理矢理に腹に付くよう押し付けられている様は、いつかの僕からすれば見る影もない……。
◇
「そう落ち込まなくても良いぞ、阿良々木先輩。あまり気にせず、今は私の身体を楽しんで欲しい」
と、神原は慈しむようにそう言って、今度は僕に覆い被さるような姿勢で、裸の胸を僕のものに合わせて来た。中々に可愛い所作だ……可愛いし、そうしてフランクな姿勢でいてくれることはとてもありがたいのだが、彼女にここまでさせておいて問題を解決出来ないのも、後輩に対して不義をはたらいているような気になってくるのである。
「うむ。阿良々木先輩の謙虚な姿勢は素晴らしいと思うが、そういうところが疾患に繋がっているのでは? 私の見立てでは、これは長期戦になると思うがな。焦っても仕方がなかろう」
「お前の見立てが確かかどうかは一考の余地がありそうだが、長期戦か……」
ならば神原と重ねてこういうことをする可能性もある訳か。それはそれで――と、考えかけて、それは褒められないことだと思考を塗りつぶす。僕としても、いくら困っているからとは言え、相手に付け込むような形で事に至るのは本意ではない。
唯一の救いは、そんな懸念や雑念が相手には届いていないってことくらいか。神原はじゃれつくように、自分の頭を僕の胸に押し付けながら。
「しかし、阿良々木先輩も一人で悩むとは水っぽい。一体いつから悩んでいたのだ?」
と、訊いてきた。それを言うなら水臭いが正しい表現だろうが、訂正を挟む気にもならなかった。触診のフェーズを終えた今、今度は問診に入ろうとでもいうのかな。
「いつから……ってのも具体的にはよくわからないんだよな。ほら、痛みが伴う疾患って訳でもないし」
「一人でしていて、いつの間にか勃たなくなった、という感じかな?」
「ま、まあ、そんなとこ」
そこまで赤裸々に踏み込まれても、困る。
如何せん、今現在の僕の性交渉の頻度は低いから、当面は問題が公になることはなさそうだけど……と、続けると、それまでにこにこしていた神原が、今日初めて不服そうな面持ちで唇を尖らせた。
あ。失言だったか。
「……でも、こういうことを相談出来るの、僕にとってはお前だけだぜ」
「んっ」
誤魔化しとばかりに、腹の上に乗っていた相手に向かって手を伸ばす。うなじを固定するように首の後ろに手を回すと、重力に従って神原が降りてきた。着地点に唇を合わせて、それを受け止める。
「ん、んう……」
抗議の声らしき音が喉から漏れたが、無視して唇をついばんだ。すると、観念したように合わせ目がゆるみ、柔らかい舌が降りてくる。舌の裏や歯茎や歯列を優しくなぞると、びくり、と肩が大きく震える。どうやら弱いらしい。
僕は心ゆくまで神原の口内を味わった。ひょっとすると、この行為で僕の愚息は元気を取り戻してくれるんじゃないかと期待したが、そんな甘い目論見は打ち砕かれる結果となった。まあ、打算で動いているうちは駄目なのかもしれない。
「狡いぞ、阿良々木先輩」
首筋を押さえていた手を解放すると、真っ先に非難の声が飛んできた。だけど、その声は熱っぽくて、僕を心から咎めているようには思えない。
だから。
「話をちょっとだけ戻すんだけど、お前って、一人でしたりする?」
「ん? 阿良々木先輩の話じゃなくて、私の話か?」
「うん。ちょっと気になって」
上体に神原を乗せたまま僕は問いかけた。腕を伸ばすと、丁度相手の腰に当たったからそのまま撫でてみる。すると、神原はもどかしそうに身体を捩るので面白い。
「答えたくない?」
「んー……他でもない阿良々木先輩からの質問だから真摯に答えるけれど……することもあるぞ、うん」
その返事を聞くと、僕の心がちょっと回復したような気がした。
……うん。この路線はありかもしれない。
相手の腰の形を確かめるように手を動かしながら、僕は追撃で質問する。問診される側から問診する側へのチェンジだ。僕の脚の隙間に絡めるように投げてあった神原の太腿が、何かを堪えるように力を込めた気配がした。
「それ……どうやってしてる?」
「……手で触ったり、軽く入れて動かしたり」
「今ここでやってみせてくれたりは」
「……それで、阿良々木先輩の力になれるのなら」
健気な後輩だよ、本当。
神原の自身の手が、下半身に回った気配がした。相手の手の甲に触れたペニスはやはり静かなままだったけれど、何かの気持ちが昂ぶったので、再び僕は神原の唇を呼び寄せた。今度はうなじを支えることはせず、神原の手首に手を添える。動きを確認する為だ。細い指がその場所を弄り始めると、くちゅくちゅと粘液が掻き混ぜられる音がした。
「もう濡れてるのかよ」
「阿良々木先輩がキスしてきたからだ」
相手の声が震えている。それだけで充足感を覚える僕がいる。これは良い傾向かもしれない。
「はあ……は、あ……」
熱く息を吐き出す神原。中指を中心に自分の敏感な場所をくりくりと押し潰している。余計なことかもしれなかったが、僕が老婆心で合わせ目を開いてやると、ゆるやかだったピストン運動が直接的な刺激に変わったのか、喘ぎが切なそうな響きを帯びる。ただ、彼女は堪えるように顔を僕の胸へと押し付けてしまったので、表情が見えなくなってしまい、ちょっとだけ寂しい。
「……今、何考えてる?」
「もちろん、あららぎせんぱいの、こと、考えて……」
それはそれは。お世辞でも嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
「ああっ……!」
相手の指を掴んで、そのまま掻き回す。今やイニシアティブは完全に僕の方にあった。見せてくれって言ったのは自分の方なのに、堪え性がないなあ、僕……とは言ったものの、神原が完全に嫌がっていないことも、寧ろ彼女は主導権を握られる方が興奮するということも僕は知っていたので、その通りに動いたまでである。
二本だった指を三本に増やしてやると、彼女はいやいやと首を振った。皮膚の上で柔らかな髪の毛先が流れて、くすぐったい。それも僕をそそらせた。
やがて神原は絶頂を迎え、それまで張り詰めていた四肢の筋肉が緩み、僕の方へと深く落ちてくる。とろりと溢れ落ちた愛液が僕のペニスを濡らしたが、それでも勃ってはくれなかった。