01
華やかな色の服を着てみようか。
ふと湧き上がった自分の願望に一番驚いたのは、他でもない私自身だった。何故だろう。私らしくもない。根が引きこもり寄りな私が、珍しく木枯らしに吹かれながら街を歩くことで、眠っていた感性が目を覚ましでもしたのだろうか。それとも気の早い大学デビューとでも称した方が、もっともらしい言い訳に聞こえるか。これはアリかもしれない。幸い私の進学先は既に決まっていた。
深い赤色が映えるロングカーディガンだとか、臙脂色(この色は綺麗な色をしているのに、どうして今一つ字面が美しくないのだろう)のアイラインのスカートだとか、そういう類の衣類に袖を通す自分を想像して、すぐに止める。幸せな自分を想像するだけで頭痛がしてくる。どうして私のメンタルはこうも弱いのか。
しかし、だ。数年に一度くらい、自分の心が擽られる瞬間があるのだ。
許してよ、そのくらい。
たかだか四ヶ月、否、一ヶ月程度に納まる予定の宍倉崎高校における学生生活だが、私の神経を震わせたものの一つに(こういう言い方をするということはそれなりに沢山あったという意味でもあるけれど)、こんなエピソードがある。
クラスメイトが――つまりは高校三年生で、受験生である筈の女子が、マニキュアを塗っていたのだ。
私はあの子達のようになれない……なりたくもないが。
爪に色を塗ることに大した意味を見出すことができないし――そもそも私と同年代の女子は意味など深く考えずお洒落を嗜んでいるのだと分かってはいるのだけれど、なかなかどうして感覚のみで自分自信を豊かにする行為に興じることが出来ない性格なのだ。私は。まるで駄目だ。何か理由が欲しい。
それでも、はやる気持ちを今日くらい素直に受け入れたって罰は当たるまい。たかだか衣料品販売店に入るだけで何を心配しているんだ……と、情けなくもなるけれど、私の――老倉育の人生というやつは本当に、徹底的に呪われているから、困る。
誰かを見返す為に選んだスカートと、誰かに愛して貰う為に選んだスカートは、色が違って見えるものだろうか――なんて。色彩細胞の働きが感情に左右される訳がないということも、私は勿論知っているのだった。