僕の神原がボブカットになった

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04

「そんな薄情な男さっさと捨てて、私と付き合いなさい」
「えっ!」
「冗談よ」
 なんだ、冗談か。
 ぬか喜びして損した。
 あなたからの告白に対する私の返事の文言は、何時だって『はい、喜んで!』だと決まっているのに。

「チーズのキッシュが美味しいお店があるのよ」
 と、なんだかお洒落な台詞に誘われて、私こと神原駿河は優雅なランチタイムを嗜んでいた。
 まあ、声を掛けたのがあなたこと他ならぬ戦場ヶ原ひたぎ先輩だったから、たとえお洒落なオープンテラスのカフェじゃなくっても、牛丼屋さんでもおでん屋さんでもしゃぶしゃぶ屋さんでも、私は何処でも付き合っていたとは思うが。
「誘い甲斐のない後輩ね」
「そうか? ものを美味しそうに食べるから奢り甲斐があるとはたまに言われるぞ?」
「なるほどなるほど。今日のお茶代は割り勘にするべきね」
 そんな風に私達は席に着き、注文した戦場ヶ原先輩イチ推しの季節のキッシュを切り分けて、口に運ぶ。私は戦場ヶ原先輩に近況を尋ねられる。大学で取っている講義の話をして、アルバイトを始めようかと考えている話をして、住んでいるアパートの家賃の相場話をして。その流れで、うっかり阿良々木先輩の名前を出した――のがまずかった。いや、良かったと言うべきだろうか。
 とにかく、そこで冒頭のシーンに戻るという次第だ。
「行方不明。ふうん? どうりで最近姿を見ないと思った」
「同じ講義を取っていると聞いていたが、気付かないものなのか?」
「それはそうなのだけれど、彼の自主休講は珍しいことじゃないもの」
 それこそ高校時代から。と、戦場ヶ原先輩はらしくなく、昔を懐かしむような表情を見せた――ような気がする。発言に自信を持ちきれないのは、阿良々木先輩が帰って来ないことを悲しむより先に、戦場ヶ原先輩に二度目の失恋をしたことに私は軽いショックを受けていたので、見誤ったかもしれないからだ。
「無理。私には荷が重すぎる相談だったと思って諦めてちょうだい」
 つれない。しかし、そこは私のよく知る戦場ヶ原先輩で、そういうところに惹かれたりもする。
 ただ、今は怒られたい気分ではなかったので、しょんぼりと頭を垂れてみた。そうすればちょっぴり甘やかしてくれるんじゃないか――なんて、甘くて卑しい期待をしながら。我ながら現金なものだ。
「阿良々木くんが帰って来た時に然るべき制裁を与えたい、という話なら前向きに検討するのだけれど」
「いや、そこまでではない」
「神原が是非にというのなら、私は協力を惜しまないわ」
「甘え甲斐のない先輩だなあ」

「人と暮らすのは難しいな」
「そうね。あなた達の場合は特に」
「特に。とは、どういう意味だろうか?」
「特別という意味よ。同棲、つまりは二人暮らしをしているというより、二人の人間が同じ場所で暮らしている――端から見ていてそんな印象を受けるわね」
「? それは――」
 同じことではないのか? と、訊こうとして、止めた。
 違うことなのだろう。
 きっと、私が真意を受け止められていないだけなのだ。
 ただし、そんな私と阿良々木先輩の状態が、良いことなのか悪いことなのか。戦場ヶ原先輩は結局教えてくれなかった。
「そうだ。戦場ヶ原先輩は、私の髪の長さについてどう思っているか訊きたいのだが」
「何よ。その如何にも彼氏にするのが相応しい質問は」
「彼氏じゃないから訊いているんだけどな」
「……ふむ」
 と、戦場ヶ原先輩は少し考えるような素振りを見せて。
「正直、自分が気にしている程、他人は他人の髪型なんて興味無いわよ」
「きょっ……」
 一瞬、戦場ヶ原先輩からマジ顔で興味ゼロと表されてしまい鼻の奥がツンとした。が、それもそうだと思い直す。それに、正直過ぎて辛辣とさえ言える指摘は、如何にも私が求めていたものだったから――
「いえね、自分勝手な話。自分のことを一番愛することが出来るのは、他ならぬ自分自身だから。仮に他人に愛される自分なったところでその自分を愛することが出来なければ、維持出来ないもの。長続きしない」
 だから他人に意見を求める前に、まずは自分を愛せと。自己愛を深めろと。
 戦場ヶ原先輩の論は、私の厚くて熱い敬愛フィルターを通してすらやや乱暴に聞こえるものが多いのだが、よくよく聞けばどれもちゃんと芯が通っていて、気持ちが良い。それは今回も例外ではない。だから、言葉の響きをそのままそっくり頭に入れておきたかった。
 のだけれど。
 ……どうだったかな。
 私はかつての自分――戦場ヶ原先輩の為と思って、戦場ヶ原先輩を避けていた二年間の自分を――愛せていたのだろうか。そして今、阿良々木先輩を待ち続ける自分を、私は愛せているのだろうか。
 そして私の初恋の人は、キッシュの最後の一欠片をフォークで突き刺して。
「だから、神原の好きなようにすればいい――なんて。阿良々木くんも、そんな質問し甲斐のない回答をしそうだと思わない?」
 私の恋人の声音を真似て(申し訳ないけれどあんまり似ていない)、そんなことを言った。
 うん。
 それは私もそう思う。

 結局、その日に財布の紐を緩めてくれたのは戦場ヶ原先輩の方だった。
「次に会うときはもう少し元気な顔になってなさい」
 なんて、ちょっと嬉しいツンデレサービスまで添えてくれた。こちらは意図的なものではなかったらしいが。
 戦場ヶ原先輩の掌の中で長財布がぱちん、と閉じられる。その音を聞いて、私はえも言われぬ気持ちになる。
 戦場ヶ原先輩や阿良々木先輩が私を可愛がってくれるのと同じくらい、戦場ヶ原先輩や阿良々木先輩も自分のことを愛していてくれれば良いのに。一年遅く生まれた後輩の身でそんなことを思うのは、エゴイズムが過ぎるだろうか。
 でも、それも一種の自己愛だとも、戦場ヶ原先輩は言ってくれそうだった。

 

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