玄関のドアを閉めた時から不穏な空気は感じていた。
 投げやりにチェーンロックが閉まって、重い足音が廊下を滑る。おかえり、と敢えて明るい声を作ったのは決して嫌みではなかった筈なのだが、相手から返ってきたのは表情筋の動きを最低限に留められた故に絞られたボリュームのそれだった。
 一緒にごはんを食べなきゃ家族じゃない、なんていうのも乱暴な話だ――と、言っていたのは私の母親だけど、それはそれとして、しかし私達は夕食のタイミングを別にすることが多かった。なので私の胃は既に満たされていたのだけれど、返ってきたあいつの腹具合はそうではなさそうだったので、炊飯器の中に炊きあがって二時間は経ってしまったお米で良ければ、まだ残っている筈だと伝えたのだが、要らないとすげなく返された。保温のスイッチをオフにする私の口元が少し尖っていたとしても、それは私だけの所為ではないと主張したい。
 まあ、そこまでは良い。だけど、続いて相手が持ち帰って来たドラッグストアの袋からゼリー飲料が出てきた時は面食らった。いやいや、待て待て。流石にそれはどうかと思う。いやしかし、一緒に食卓を作る努力をしていない私がそこまで口を出すのもお節介が過ぎるのではないか? ましてや見るからに機嫌が悪そうなのに。と、一度冷静になろうと引いてしまったのが悪かった。迷っている間に、流動食を手早く腹に納めた後、バスルームへと向かう彼女の背を見送ることになってしまい、ちょっとだけ後悔が持ち上がる。どうせ考えることは向いていないのだから、さっさと動いてしまえば良かったのだ。
 シャワーが床を叩く音を聞きながら、ため息。
 手慰みに残された買い物袋の中を覗くと、中には新品のボディクリームがあった。洗面所に常備しているものと同じメーカーのそれは、もうすぐ底を突きそうだった筈だと思い出す。
「神原」
 振り向けば、タオルを頭に巻いたままの彼女が、背後に立っていた。すると我ながら単純なもので、濡れた髪と僅かに赤みが差している頬が、少しだけ私の気持ちを軽くさせた。右の手に件の、開封済みのクリームのボトルが握られていたのは正直意外だったが。なので、私は大人しく背を向ける。伸びた髪を首から横に流す。いつものルーチンに従って。
「……なあ」
「ん?」
「機嫌が悪かったんじゃないのか?」
「……まあ」
 背中越しに相手の気持ちを伺ってみたが、どうも上手く分からない。残り少ないクリームを乗せた指が、私の背を滑る。

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