でも美術室に呼び出されると行く

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「さっさと課題出せや、我妻善逸」
 我が校の美術教科担当の宇髄天元先生が何か仰ったようだが、残念なことに俺の耳にはノイズキャンセリング機能が備わっているので、その発言は俺の中ではなかったことになった。なかったことにしたつもりだったが、少なくともそのご指導とやらは、絵筆に油絵の具を纏わせてキャンバスと仲良くしながら言うことではないだろ。どんな良い美大を出てんのかは知らんけど、自室ならともかく学校の美術室でやることですかね、それ。なんて、胸の中で悪態がつけてしまえたので、完全無視はし損ねているようだ。俺も甘い。
 まあでも、ここで俺が黙ったままでいれば、聞かなかったも同然だ。だから、美術室の備品の背もたれがない椅子に腰掛けて、たっぷり五分は口を閉ざしていたのだが、宇髄先生が自身で描いたド派手で極彩色の世界との睨めっこを終えたところで、「聞いてんのか?」と返事を促された。右手に握られていた筆がオイルクリーナーに突っ込まれて、じゃばじゃばと音を立てる。油の匂いに鼻の奥を焼かれたような気がした。不快感に顔を顰める。
「なんでテメェに配ったケント紙だけ綺麗に真っ白なんだよ。せめてへのへのもへじのひとつくらい描いとけよ。お前、俺の課題だけは一度も提出したことねえだろ。お前の通信簿に1を付けることは簡単だがな、ちったぁやる気がある振りくらいしろ。形だけでもやる気はありましたけど出来ませんって体の方が、こっちとしてはもう少し掛けてやれる温情も――」
 と、俺の方を振り返ったところで、宇髄先生は口を噤んだ。アンタに掛けて貰う温情なんて望んでませんが? という俺の冷たい視線を浴びて、感じるところがあったのだろう。
「……ま、お前の成績が下がることはお前の問題だからどうでも良い。だけどな、あまりにも素行不良な教え子がいると、教師側も指導不足ってことで俺の給料が下がる。そんなん、誰も幸せにならねえだろ」
 テンションと言葉をやんわりと切り替えて、そんなことを言う宇髄先生を教師と思えなんてやはり無茶があるのではないか。誰に同意を求めるでもなく心の中だけで一人ごちて、これ見よがしにはあ、とため息を吐く。
 画材を片付け終えた宇髄先生は、ボトルからガムを取り出して口に入れた。よくこんな油臭い部屋でものなんか食えますね、と思ったが、口に出す義理はないので出さない。「お前も食うか?」と差し出されたボトルガムも勿論固辞した。
「……この天元様がここまで目を掛けてやってるのに、良い態度だな、お前」
「俺、イケメンとは腹を割って話せない呪いにかかってるんで」
 すると、それまで涼しく喋っていた先生が真顔になり、その女子生徒にもてはやされそうな顔に「クソガキ」と罵る四文字がチラついた気がしたので、ほんの少しだけ俺の心はスッとした。

 

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