ピロートーク

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 家の匂いというものを知らない。
 人にはそれぞれ匂いがある、と炭治郎は言った。同じ匂いの人は世に一人としていない。だけど、人の放つ感情の匂いというのは不思議と似通っているものだから、丁寧に辿るとその人が何を考えているかは分かる。そうして少し似ていて、だけどちょっとずつ違った人の匂いが集まると、それらは生活の匂いとなり、それらの差異を確認しあうことを、世間では人の営みと呼んでるのだと、炭治郎は幼い頃に理解したのだという。そして、その生活の匂いを更に突き詰めていくと、家の匂いになるのだそうだ。炭治郎曰く、それを吸い込むと、自分の居場所に帰りたくて堪らなくなるらしい。
 日頃は何かにつけて長男ぶった態度のお前も、たまには感傷的になることもあるんだな、と俺が茶化すと、炭治郎は照れくさそうな面で顎を触った。眉尻を困ったように下げた様は、少し愛嬌があるなと思った。
 人の匂いくらいは俺にも分かる。流石に相手が何を考えてるかまでは嗅ぎ分けられないが、人によって匂いが違うというのは理解出来る。それこそ女の子なんかは良い匂いするもんね。しかし、家に匂いがあるというのは全く分からない。
 だけど、その話をしている時に炭治郎がした瞬きの音は、とても寂しい気持ちの音だった。きっと、亡くした家族のことを思い出し、恋しくなったのだろう。良い家族だったんだな、と家族が居ない俺は思う。
「家の匂い、ね。俺にも分かる方法、なんかないかね」
「そうだなあ……」
 と、なんの気なしに尋ねた俺に、炭治郎は真剣に考え込むような素振りを見せた。俺としては、暗い話題を炭治郎から遠ざけることが出来ればなんでも良かったので、匂いの話それ自体への興味は薄かったのだが、律儀な炭治郎がどんな答えを用意してくれるのか、待ってやることにする。
「例えば布団なんかが分かりやすいな。幸せな家の布団は、良い匂いがする」
「ふうん」
 相槌を打ってはみたものの、あまりピンと来ない話だ。その理由は単純で、家族を亡くした炭治郎には帰る場所があったけれど、俺にはあったためしがないのだ。
 寝起きする布団はいつも違った匂いがして、どこで目が覚めてもそこは俺の居場所ではなかった。根無し草という言葉は俺のような奴の為にあるに違いない、と何人目かに傍に居させて貰った女の子に言われたこともある。鬼殺隊士になってからもその生活は変わらなくて、藤の家の人は見ず知らずの俺を温かく迎えてくれるけれど、それは俺が鬼狩りだからだ。その温情を受けることが出来るのも、俺が生まれるよりもずっと前、俺も知らないような鬼狩りがその家系の人を助けたからで、勿論それは俺の功績ではない。唯一、じいちゃんの元で剣を習った一年が、俺が帰る場所があった時期だったけど、藤襲山で生き残り、日輪刀を受け取ってからは、また根無し草に戻ってしまった。
 そんな取るに足らない身の上話を、俺がぽつぽつと伝えると、炭治郎は、
「じゃあ、今日から俺が善逸の帰る場所になれば良い」
 と、何故か俺の寝ていた布団に自分の布団を寄せてきたので、俺は呆けた顔になる。

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