「老倉さんに必要なのは自己肯定感だと思うな」
 なんて、仲の良い(相手なんて私の周りに居たためしがないけれど、偶々座席が隣だったので話す機会も必然と多く、かつ私が学校に通っていた期間は疎らだったという事実を後から鑑みても、彼女は挨拶を交わす回数のカウントアップが捗る貴重な人材だった。だから、多少はおこがましい表現を選んでも差支えはないのかもしれない)友人から言われた時、こいつは頭がおかしいんじゃないかと思った。だけど、彼女が悪気があって言った訳ではないと察されたので、私は文句ひとつ出さず。
 そ、そうかしら?
 こんな風に、当たり障りのない(どもった時点で差し支えてはいたけれど)相槌を打つだけに留める。勿論、心の中で舌を出すことも無い。それは別に私が誠実だからという理由ではなく、真相は寧ろ真逆であり――というか、そんな残酷な助言、本当に悪気があってする訳がないでしょ。普通なら。
 だけどそれは単に悪気がないというだけであって、私の為になる言葉だったかどうかは、甚だ疑問だ。あらゆる言葉は私にとって刃物に成り得る。それが例えどんなに好ましく思っている相手から貰ったものだとしてもだ。
 かような私の思考回路を指して彼女は「自己肯定感が低い」と言ったのかもしれないが、私はどうしたって痛がりで、頭がおかしい疑惑がある彼女よりも私の頭がおかしいということは命題として紛れもなく真だ。失礼ながら、相手は善意の指摘を投げるのがあまり上手いとは言えなかったけれど、私は私で上手な捕手になれる訳がない。
「試しに自分のことを褒めてみてよ」
 嫌よ。何が楽しくて自分なんかを褒められるのよ。褒められるべきタイミングで褒められるなら分かるけれど。
「なんだ。褒められたくないって訳じゃあないんだ」
 と、相手がおかしそうに笑うから。複雑な気持ちは少しだけ凪いだ。笑われるのは嫌いだが、相手が笑うのは嫌いじゃないのかもしれない――この気持ちを開示したら相手は先の発言を撤回してくれるのかもしれなかったが、悲しいかな、そんな度胸は私に無かった。

2

#リプ来たキャラに自分の私服を着せる

01

 華やかな色の服を着てみようか。
 ふと湧き上がった自分の願望に一番驚いたのは、他でもない私自身だった。何故だろう。私らしくもない。根が引きこもり寄りな私が、珍しく木枯らしに吹かれながら街を歩くことで、眠っていた感性が目を覚ましでもしたのだろうか。それとも気の早い大学デビューとでも称した方が、もっともらしい言い訳に聞こえるか。これはアリかもしれない。幸い私の進学先は既に決まっていた。
 深い赤色が映えるロングカーディガンだとか、臙脂色(この色は綺麗な色をしているのに、どうして今一つ字面が美しくないのだろう)のアイラインのスカートだとか、そういう類の衣類に袖を通す自分を想像して、すぐに止める。幸せな自分を想像するだけで頭痛がしてくる。どうして私のメンタルはこうも弱いのか。
 しかし、だ。数年に一度くらい、自分の心が擽られる瞬間があるのだ。
 許してよ、そのくらい。
 たかだか四ヶ月、否、一ヶ月程度に納まる予定の宍倉崎高校における学生生活だが、私の神経を震わせたものの一つに(こういう言い方をするということはそれなりに沢山あったという意味でもあるけれど)、こんなエピソードがある。
 クラスメイトが――つまりは高校三年生で、受験生である筈の女子が、マニキュアを塗っていたのだ。
 私はあの子達のようになれない……なりたくもないが。
 爪に色を塗ることに大した意味を見出すことができないし――そもそも私と同年代の女子は意味など深く考えずお洒落を嗜んでいるのだと分かってはいるのだけれど、なかなかどうして感覚のみで自分自信を豊かにする行為に興じることが出来ない性格なのだ。私は。まるで駄目だ。何か理由が欲しい。
 それでも、はやる気持ちを今日くらい素直に受け入れたって罰は当たるまい。たかだか衣料品販売店に入るだけで何を心配しているんだ……と、情けなくもなるけれど、私の――老倉育の人生というやつは本当に、徹底的に呪われているから、困る。
 誰かを見返す為に選んだスカートと、誰かに愛して貰う為に選んだスカートは、色が違って見えるものだろうか――なんて。色彩細胞の働きが感情に左右される訳がないということも、私は勿論知っているのだった。

 

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