ハッピーバースデーを、あなたに

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「お誕生日おめでとうございます」
 と、真っ黒な後輩は真っ黒な瞳に薄い微笑みらしきものを浮かべて、恭しくのたまったのだった。ついでに今日の彼の私服も真っ黒いそれだった。休みの日にわざわざ家にまで訪れて、人を祝おうとしてくれる気持ちはありがたいのだが。
「……扇くん。私の誕生日、今日じゃないぞ」
「ええ、ええ、分かっておりますよ。僕がお慕いする駿河先輩の生まれた日を間違える筈がないじゃないですか。全く、駿河先輩はもう少し僕のことを理解しておいてくださいよ」
「いや、きみが私のことを理解してないから先輩としてツッコミを入れておいた訳だが……なんだその上から目線の発言は。きみは私を本当に慕っているのか?」
「勿論です。来週ですよね、お誕生日」
「ああ、まあ、……そうだけど」
 概ね当たりである。
 しかし、私は扇くんに自分の誕生日なんて教えたっけかな? この後輩に自分のパーソナルデータを安々と預けてしまうのは、なんだか危険な気がしてならないのだけれど、まあ、生まれた日くらいは会話の中に出て来たとしてもおかしくない、かな?
 だけど、正確な情報を知っているのであれば。
「だったらわざわざうちに来なくとも、来週、学校で言えば良いだろう」
「どうしても僕が一番に言いたかったんです。僕が駿河先輩の一番を頂きたかったんですよ。ほら、最近はフラゲとか当然の様にあるじゃないですか」
「人の生まれた日をフラゲする必要はないし、フライングし過ぎだよ。フライング過ぎてもう失格だよ」
「はっはー。厳しい指摘ですね。やはり駿河先輩は短距離走出身だからこそのツッコミですかねー」
「それはあんまり関係ないし、正確には違うけどな……」
 彼の言う通り、私の脚は短距離型ではあるのだが、それは独学で習得した技術であり、私が陸上競技に籍を置いていたことは一度としてなかった訳で。今でこそバスケットボールを楽しんでいるものの、当初は消極的な理由で入部を決めた――という話を、彼は知っているんだっけ?
 思いがけず自分の出自を振り返ることになり、少し後ろ暗い気持ちにならなくもない。
 溜め息と一緒に自分の首が前に垂れて。
 その先に、
「それでは、どうぞ」
 隙を突くようなタイミングで、花束が差し出された。
 ふわり、と香る生花の匂い。
 それが扇くんの手によってもたらされたものだと認識するのに、私が必要以上に時間を要したのは、彼の日頃の行いの所為だと主張したい。
「お誕生日おめでとうございます」
 それは数分前にも聞いた台詞と全く同じものだったが、二回目はいやに私の心に刺さった。
「僕はいつまでも、あなたのファンです」
 私の前に跪いて、花を掲げる扇くん。片膝を付いて、私の手を握り、下から目線をくべるどこかテンプレートめいて陳腐なポーズは、とてもとても彼のキャラクターには似合わなかったが、真っ黒な彼に真っ白な花束の対比は目に刺さる程に綺麗で。
「あ、ああ……ありがとう」
 喉から声を押し出すのに、いつもより少し苦労したことは秘密である。
「どういたしまして。どうせ駿河先輩のことだから、こういうのに弱いんじゃないかなって思いまして」
「その一言がなければ完璧だったな」
 だからきみの手からものを受け取るのはちょっと怖いんだ、とおっかなびっくり受け取る。自分の手に渡ってしまえば、何の変哲もないただの花束なのだった。
「でも、なんか意外だな。まさかきみに祝って貰えるとは思わなかったよ」
「何を仰っているんですか。僕以外に誰が駿河先輩を祝うというのですか。僕は薄情な先輩方とは違いますからね」
「私の尊敬する人達を薄情とか言うな」
 確かに、私は先輩に誕生日を祝われたこととか、ないけどさあ。
「とにかく、扇くんにはこうしてちゃんと祝って貰ったし、お礼はするよ。きみの誕生日はいつだ?」
「さあ? 駿河先輩はいつだと思いますか?」
「いや、知らないよ……。こういう時くらい、はぐらかさないで素直に教えろ」
「はぐらかしている訳でもないんですけどね。まあ、教えたところで駿河先輩はすぐ忘れちゃうでしょう?」
「私のことまでそんな薄情な奴だと思っていたのか、きみは」
 とは言ったものの、私は目の前の後輩との出会いの瞬間さえ上手に思い出せないので、あまり大きなことが言えないのは事実だ。
 思えば、私は自分を慕ってくれる子に対して、知らないままでいることが多過ぎる気がする。
 すまん、扇くん、私は自分のファンに対してとても不実な奴だよ。
「僕はあなたのそういうところ、扱いやすくて好きですけどね。駿河先輩がどうしても祝いたいって言うのなら、ご厚意だけ受け取っておきます。多少の我儘を許して頂けるのであれば、僕は男の子なので、花束より駿河先輩を束にして頂きたいです」
「さり気なく怖い要求をするな」
 なんだ、『駿河先輩を束にして』って。裸にリボンみたいな話か? 裸ガムテープ時代は経ている私だけれど、そんなことまでこの後輩は知っているのか?
「僕は何も知りませんよ。あなたが知っているんです――あ、ガムテープの感触は知りたくもないので語らなくて良いですからね」
 と、まるで皮肉の様に、彼は握っていた私の左手を更に柔らかく握り直し、さり気なく自分の口元に持っていこうとしたから。
「っ!」
 間一髪。
 私は慌てて、貰ったばかりの花で扇くんの顔を払い除けた。貰ったばかりのプレゼントをこんな形で役立てたくはなかったのに。
「いやいや、ちょっと待て。流れるように口付けしようとするな。私だってきみの唇の感触は知りたくないよ」
 何も知らないっていうか、知っちゃいけないやつだろ、それ。
「あーあ、惜しかったのになー」
「……そろそろ手、離して貰えるかな」
「はい」
 ぱっ、と。
 何の未練もなくあっさりと距離を開くところをみると、なんだかんだで彼が私に向けるそれは冗談の域を出ないのだと、心のどこかで安心してしまう。
 ――僕はいつまでも、あなたのファンです。
 『いつまでも』とか、私も誰かに対して思ったことがあったなあ。おおよそ五年前の私が、その年上の誰かに対し同じ様に唇を捧げた過去こそ、彼には黙っておきたいところだが。
「でも、正直意外だったよ。きみが祝ってくれるとは」
「意外なことはありません。当然ですよ」
 扇くんは言う。いつもの飄々とした口ぶりで。だからきっと私は、彼が本当は何を言いたかったのか分からないのだろう。
「あなたが生まれてきてくれたおかげで、僕は生まれたんですから」

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