あまり馴染みのない顔の女子生徒を横目で見送ってから、私は神原の耳に顔を寄せた。
「あれ、ちょうだい」
「あれ?」
「生理」
「ああ」
『自分で常備しておくのがマナーだろう』とぼやきながらも通学用の鞄から取り出したポーチを渡してくれる神原に、『それはきみに指摘されなくとも常識として理解しているけれど、今回は急だったから』と恩人への憎まれ口を叩きながら私はそれを受け取った。
「どうも」
「おう」
そして私は痛む下半身を抱えながら、女子トイレへ直行する。
振り返ると、人に親切にしたことからの満足感からか(私が辛い目に遭っていることからの優越感ではないとは思いたいのだが)、どこか晴れがましい顔を浮かべながら神原が手を振った。
やれやれ。あの神原選手でもつるんで三年にもなれば、やや込み入った頼みも聞き入れて貰えるようになるのか。本当に、時間の経過というものはありがたい。
そんな穏やかな気持ちが失せたのは、個室に入ってポーチを開けてからだった。柔らかな繊維質のナプキンが規則正しく(意外だ。部屋は散らかっている癖に)並んでいる中に、ふと、違和感に気付く。
「……ん?」
かさ、とビニール製の軽い音を立てて出てきた小さな袋。
未だ人生経験の浅い十代の私が現物を見るのは初めてだったが、知識としては知っていた。というか、義務教育の過程で再三再四に渡り教え込まれていた。
所謂、避妊具。
外側からも封入されているゴム製の輪の形がくっきりと見て取れる程に薄い袋は、いとも簡単に破れてしまいそうで、成程、『そういう授業』で教師達が口酸っぱく取り扱いに気を付けるようにと注意する訳だ。
否、これの形状については興味は無い。面白半分で中身を開けてみようなんて、幼稚なことも思わない。
あくまで考えるべきことは。
どうして、神原選手が学校で避妊具を持ち歩いているか、だ。
◇
「持ち物検査だよ」
と、女子トイレから帰って来た私に、神原は言った。
事を大きくしたくなかったので、その固有名詞を教室で持ち出さずに彼女を問い詰めるのは少し骨を折ったのだが、私の意図が伝わると彼女は拍子抜けするくらいあっさりと事情を説明し始めたのだった。
「ほら、今日やっただろ? それで、うちのクラスは早く終わったから。だから頼まれたんだよ。『肩代わりしてくれないか』って。『うちのクラスはまだだから、検査の間だけ預かっててくれないか』ってな。――ああ、うん。お前が来る前に話していた子だな。一斉検査だとアウトだっただろうけど……まあ、うちの学校って進学校で――そこは独特の雰囲気はあるのか、目立った違反者もいないだろうから――本気じゃないというか、やはり形だけのものなんだろうな」
「そういうことじゃ、なくてさ」
彼女の長ったらしい説明を、私は短い言葉で遮った。つっかかったと言った方が正しいかもしれない。
「私が納得していないのは、どうして『神原選手が』頼まれて、それを受けたのかってことなんだけど」
「いや、だから持ち検――」
はあ、と。
そのタイミングであからさまにため息を吐いた私に、神原は素直な目を丸くさせた。
だから本当に、彼女にとってそれ以上の意味はないのだろう。
勿論、私だって、神原に頼る他なかった彼女の気持ちについて、何も想像がつかない訳じゃない。神原の広い人脈だとか、厚い人望だとか、大きな人柄だとか。そういうものを頼ってくる輩は多いだろうから。
「……いくら教師だって、生理用品用のポーチの中までは漁らないだろう。そいつ自身が管理するべきだ」
しかし、私の口から出たのは抱えていた不快感の半分にも満たない、表面的な正論だけだった。そして、正論だからこそ私が言うまでも無く、神原だってそれは想像がついていた上で、承知したに違いないのだ。
恐らくは、私に生理用品の入ったポーチを与えた時のように、『おう、良いぞ』ときっぷの良い返事と笑顔で。
でも、さ。
「それは――言わば、きみが隠れ蓑にされているってことじゃないの? 神原駿河選手はうちの学校のスターだから、もしもの時も、ちょっとくらい大目に見て貰えるんじゃないか、とか。彼女のお願いには、はた迷惑な希望的観測が入っていたんじゃないの?」
らしくなく落ち着かない気持ちで嫌味を言えば、彼女はただ困ったようにはにかむだけだった。
生理を言い訳に出来ないくらい、酷い八つ当たりだったと思う。
元々、『神原駿河が避妊具を持っている姿』を想像して幻滅した私自身だって、彼女に勝手なイメージを抱いているだけなのだから。