本日は急病につき

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 私は真面目なバスケットボールプレイヤーではないので、放課後の部活動を黙って抜け出すことにさしたる罪悪感は湧いてこなかった。せめて顧問に一言伝えるのが礼儀だろうという声が聞こえてきそうだが、そんな律儀さや誠実さは社会に出てから嫌でも強要されるのだから、それはその時になってから考えれば良い。なんて、思考を巡らせてしまう私。本当に罪悪感をこれっぽちも感じていないのだとしたら、そんな心配はしない筈だろうと悪態をつく。厄介だね、体育会系気質って。
 ただただ身体が重い。頭の芯が脈打つ様に痛い。
 心身の不調に任せて部活動をサボろうとする私を、神原選手は止めようとはしなかった。
 それどころか一緒に付いてきた。
 いや、きみは私と違ってさ。うちの部のスタープレイヤー様は、練習試合前のこの時期に油売ってて言いの?
 そんな脳裏に浮かんだ嫌みを口に出す元気は今の私にはなかった。
「自転車はどうする?」
「置いて帰る」
 二人乗りをする元気はなかったし、ましてや自転車に乗れない神原にハンドルを握ってくれと冗談を言う気分でもなかった。なので駐輪場はスルーして歩く。疎らに止められた自転車達の影と、私と神原選手の影がアスファルトの上に伸びている。風邪を引いた時の頭ってのはどこかおかしくなっていて、視界は狭くなる癖に、風景のコントラストだけはやけにはっきり知覚出来たりする。その影響か、半歩後ろを付いてくる神原選手の顔色が、私に対する心配の色を帯びていることに気付いてしまった――が、そのことについてはあまり言い訳とか、コメントとかはしたくない。学生時代にだけ味わえる放課後という貴重な時間を、彼女と一緒に過ごせるプレミア感だとか。そんなノリの表現で適当に誤魔化して、嫌な気持ちに蓋をしておく。それが私なりの正解だ。
 まもなく、雨の日、雪の日、その他気持ちが乗らない日限定でお世話になるバス停が見えてきた。
 真っ先に時刻表を眺めだす神原を横目に、私はバス亭脇のベンチに腰掛ける。
 学校の最寄りの停留所だというのに、バスシェルター下には私達二人のものを除き、人影がなかった。我らが女子バスケ部が熱心に活動している証拠である(学校側がそれを望んでいるかと言えば、また別の話なのだろうけれど――この話は日傘辺りが敏感に感じ取っていそうだ。神原選手なんかは理解しているのか、ちょっとよく分からない)。まあ、それは何よりだったけれど――やっぱりさっさと帰れば良かったと、今日に限って真面目ぶった自分に悪態をつきたくなった。全身の筋肉が軋む。じくじくと痛い。悪寒と倦怠感が交互に背をくすぐる。
 五分も待たずバスが来たのは運が良かった。こういう気持ちの時に間を持たせるのは面倒くさいからだ。
 重い足取りでステップに立った私が、彼女の目にはどれほど情けなく映ったのか。
「やっぱり送っていこうか」
 そんな同情が滲んだ声が掛かる。
 思わず舌打ちしそうになってしまったが、堪えるだけの理性はまだ残っていた。
 ――考え過ぎだよ。彼女にとって、これは単なる厚意だ。大きなお世話、お節介でも親切には変わりない。彼女はわざわざ練習を抜け出して付き添ってくれてたのだから。黙ってありがたく受け取るのが賢い生き方だ。それこそ律儀さとか誠実さとか。まさか彼女が本気で求めているとは思えないけれど、示して喜ばれないことはないだろう。優しさに苛つくのは、私の性格が捻くれている所為だ。顔を覆ったマスク越しに、お礼の言葉のひとつでも言えば良いんだ。
 なのに。
「……いい。方向逆だし」
「でも」
「うつされたくなければ、さっさと帰りなよ」
「ぬま、」
 バスのドアが閉まる。発車ブザー音が痛む頭に響く。私は咳払いを一つする。
 あの神原の顔を見たか。
 絶対に入眠前には思い出したくない表情だった。

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