病的感情

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 阿良々木先輩が私の部屋にやってきた。
 何のことは無い。いつもの私の部屋の片付けの日だった。もう何度目になるだろう。
 今日も今日とて、阿良々木先輩はいらないものを買うなだとか、買ったものはちゃんと収納しろだとか、この本を買ったなら僕にも教えといてくれよ全力で語り合えるんだからとか、そんな文句をあれこれ言いつつ、かつ公には出来そうもないアンダーグラウンドな話を交えつつも、熱心に片付けを進めていた。
 その様を、私は廊下に座ってぼんやりと見つめる。冬の廊下はひんやりと冷たかった。
 高校三年生の冬。受験生にとって追い込みのシーズンだというのに、阿良々木先輩は休むことなく定期的に私の部屋を訪れていた。
 罪悪感を感じながら、それでも向けられる厚意を断ることが出来ないまま、私は彼を部屋に通しているのだった。
「はぁ……胸が痛いな」
「え? 大丈夫か?」
 ぽつり、と思ったことがそのまま口に出てしまった。
 そういえば今日は下ネタにもキレが無いし、おかしいと思ってたんだよ、と阿良々木先輩は続けた。
 彼の中の私の認識に何か感じるものが無い訳でもなかったが、ここは黙することにする。
「そういえば顔色も悪いな。少し横になった方が」
「……いい。気にしなくて大丈夫だ」
 そう言えば、羽川先輩の件は頭痛が前兆だったと聞いたような。その所為も手伝っているのか、阿良々木先輩は私の取り留めのない一言にやけに拘った。いや、この人は誰に対してもそうなのだろう――と、考えたところでひとつの結論に辿り着く。
 私は、阿良々木先輩に、構って欲しいんだ。
 気付いた途端、遅れて嫌悪感が重なってくる。とても愚かな自分の姿がそこにあった。
「いいって、良くないだろ。胸って……、もし、なんか悪い病気だったら……」
「んー、そうだなあ……」
 気怠さを覚えながら私は答える。
「阿良々木先輩の手で揉んで貰えたら楽になるかもしれないなあ」
「重症だな」
 そんなやり取りの後、阿良々木先輩は私の額に触った。
 検温のつもりだろうか。
「あ、い、いや、先輩。そういうつもりでは……」
「…………」
「阿良々木先輩?」
「……お前、熱あんじゃねーのか?」

 まさか本当に体調を崩していたとは思わなかったけれども。
 それから掃除は中断され、私は恐るべきスピードで敷かれた布団(その際の阿良々木先輩の気迫と手際の良さは言い表すに難い)に横にされ、体温計(口に咥えるタイプのものだ)をあてがわれ、大人しくしてろと命じられてしまった。
 途中でおばあちゃんが氷枕を運んできた。
 つまらない一言の所為で、なんだか本当に病人めいてきてしまった。
「流石に裸で寝るのは控えるべき季節だったということか」
「お前、この真冬に……」
 私の口内から取り出された体温計が、阿良々木先輩の手に渡る。
 先輩は何の気なしに目盛りを読み取っているが、その様になんとなく私は目を逸らす。
「うわ、結構あるな……何か欲しいものとかあるか?」
「…………」
「神原?」
「ひぁっ!?」
 なんだかいたたまれなくて、背を向けた私の首元に、阿良々木先輩が手を伸ばしてきた。
「あ、悪い。でも返事ぐらいしてくれよ」
「……あ、ああ」
「で、何かあるか? して欲しいこと」
「そうだなぁ……熱に浮かされ弱り切った私を、阿良々木先輩が無理矢理襲って欲しいなぁ……」
「その熱の割に元気そうで何よりだよ」
 その手の動きの流れのまま、阿良々木先輩は私の頭を撫でた。
「……駄目だ先輩……私を甘やかしては」
「何言ってんだよ。具合が悪いときくらい、人に頼れ」
 ……むう。
 なんだか反則のようだ。
 いつもではないか。いつも私を頼らせすぎではないか。
「そんな事を言われると、私は馬鹿だから調子に乗ってしまうぞ」
「ああ、いいよ。馬鹿な後輩の面倒を見るのが先輩の仕事だ。ほら、言ってみろ」
「では…………高熱でつらいから……キスをして欲しい」
「!」
 先の冗談ではないけれど、これは本当に熱に浮かされた自分が口を滑らせてしまったと言うに他ならない。
 いや、体調の所為にするのは虫が良過ぎる話だろう。
 でも。
 阿良々木先輩には、私のその発言が何を意味するのかは分かっている筈だった。
「……一応確認しておくけど、もし仮に僕が今のお前にキスしたとしても、それは医療行為なんだよな」
「ああ、そうだ。医療行為だ。深い意味は無い」
「…………そうか」
 真剣に頷く先輩を確認し、私は瞼を閉じた。

 半吸血鬼である阿良々木先輩の唾液を飲むことで、少しだけ、私の体温は平常に戻った。
「……どうだ?」
「うん。随分と楽になった」
 熱も、胸の痛みも。完全に消すにはまだ時間が必要だけど。
「そっか……じゃあ、ちょっと休め。片付けの続きはまた今度してやるから」
「うん」
 結局いつまでも甘えっぱなしの私は、再び瞼を閉じた。
 意識を手放すまでずっと、私の隣から阿良々木先輩の気配は消えなかった。
 また胸が痛むかもしれない、と眠りに落ちる前のとろりとした頭がどこかで考えた。

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