口癖

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「りつさんって、『にゃ』ってよく言いますよね」
「にゃ?」
 大きな耳がぴくりと動き、それまでずっと前を向いていたりつ姉さんがゆっくりと振り向いた。
 それを見た私がまず一番に思ったことは
「余計なことを聞くな」
 だった。
 壁越えの策の要であるミドリ。その制御を担っている姉さんの負担になることはなるべく避けたい。というのが本音で、それはそのまま私の口をついて出た。
「いいにゃいいにゃ、りん。気分転換も大事だにゃ。わかばくん、わたしの喋り方、そんなに気になるかにゃ?」
「いや、気になるっていうか、不思議だなー? なんて思ったものですから……」
「わかばは変なことが気になるんだな」「な」
「あはは……でもでも、りなさん達も言葉の最後に『な』って付けるじゃないですか。それも、口癖なんじゃないんですか?」
「口癖な?」「元々は口癖じゃなかったんだな」「でも、今はもう口癖になっちゃたんだな」
「へええ! なんで? なんで? めっさ気になるー!」
「わかば、ケムリクサ以外にも興味があったんだな」
「へ? 僕ってそんなに、ケムリクサ以外に興味がないように見えますか?」
「見えるな」「見えるんだな」
 見える、と私も心の中だけでりなに同意した。
「そ、そうですか……」
「ふふ、みんなが気にならないことに気付くなんて。わかばくんはまるでりょくちゃんみたいだにゃ」
 そう言った姉さんの声は久し振りに柔らかい感じがして、少しだけ心が解れた。私も同じことを思い出していたからだ。
 同列に語るのはあまり気乗りしないが――妹のりょくは、時たま不思議なことを言う奴だった。それを完全には理解しきれなかった私達を指して、『好奇心』に欠けているとあいつは言っていた気がする。
 ならば、こいつはその『好奇心』とやらを持っているのだろうか。
 言われてみれば、りょくも、そしてりょうやりくも、こいつが言うように私達とは違った喋り方をしていた。
 確か、それは。
「……私達は皆、昔は同じ見た目をしていたから」
 妹や姉のことを思い出していたら、自然と言葉が漏れた――が、これはまずかった。自分の迂闊な発言を後悔しても、既に遅く。
「そうなんですか?」
 と、答えた相手の顔が、思いの外近い場所にあったので、後退る。その癖の付いた頭はさっきまで、りなやりつ姉さんの方を向いていた筈なのに。いつの間にか、こっちを覗き込むようにしていた。
 決してびっくりした訳ではないのに、胸元がドクドクと強く跳ねた。
「な、なんだ! ヒトの顔をまじまじ見るな」
「す、すみません……」
 視線が外される。すると、身体の異常は少し和らいだので、私は密かに安堵した。
「でも確かに、りんさんもりなさんもりつさんも、姉妹で顔がそっくりですもんね」
 そんなところを見ていたのか。
 こいつは何にでもすぐに納得する。だけど、別に納得されるようなことじゃない。
「同じ髪型で同じ服装だったら、本当に区別が出来ないかもなあ。すごいなあ」
 こいつは何にでもすぐに感心する。だけど、別に感心されるようなことじゃない。
「互いに識別しやすいように、髪を結わえるようになった。身に付けるものも変えるようにして、喋り方も変えていった」
 だから、姉さんやりなの喋り方は、作られたものだと言えるかもしれない。
 元からおっとりとした気質だから違和感なく受け入れていたけれど。こうして指摘されてから考えてみれば、逆に、姉さんの性格は喋り方に影響されて変化していった可能性もあるのだろうか。
「あれ? でも、りなさん達はみんな同じような感じですよね。何か、理由があるんですか?」
「これがりなちゃんのスタイルなんだな」「りなちゃんズにベストなスタイルなんだな!」「それにそれに」「りなっちと」「りなじと」「りなよと」「りなむは」「全然違うんだな!」「識別には困らないんだな」
「えっ、そうなんですか? ちょっと見ただけだと、僕にはわからないのですが……うーん?」
「わかばは見る目がないな」「な」
「す、すみません……」
 ぴょんぴょん跳ね回るりな達に向かって、ぺこぺこ頭を下げた。元々間抜けそうな顔をしていると思っていたが、どうやら気も弱いらしい。
「あ、いたいっ!?」
 ついでに反射神経も良くないのか。
 ミドリが瓦礫を避けたタイミングで、車体が大きく揺れた。壁に頭がぶつかった音がした。
「ごめんにゃあ、大丈夫ー?」
「あいてててて……はい、なんとか」
 額を押さえて蹲る姿を見て、りながまた高い声を上げて笑った。
「ん? でも、ということは――じゃあ、その時にりんさんも喋り方、変えたんですか?」
 ……よっぽど強く頭を打ったのか。また変なことを思い付いたようだ。
 正直、こいつの考えていることはよくわからないことが多い。
「私は――どうだったかな」
 記憶を掘り起こそうとしてみるが、叶わず。ちらりと車体の前方を見やると。
「うーん? りんちゃんはあんまり変わってないと思うにゃあ」
 ふんわりとした声で代わりに返事があった。ならば変わっていないのだろう。私はりつ姉さんやりなと違って、取り立てて好きなものやこだわりがあった訳ではない。変わるべき指針がなければ、変化は望むべくもない。
 もっと自由に、好きなように生きろと言われた過去もありはしたが、好きなものがない私には難しいことのように思えた。好きなものはないが、大事なものはあった。その大事なもの――姉や妹達を守ろうとした結果が今の私で、その現状に不満を覚えたことも、ない。
 ――まあ、なんにせよ。
「昔の話だ」
 と、私は話を畳もうとする。
 上手くは言えないが、自分の内側を探られるのは、なんだか恥ずかしいことのような気がしたからだ。
「へえー……! でも、なんか良いですね」
「良いって、何がだ?」
「だって、お互いが違う方が、それぞれの良さが分かるじゃないですか!」
「なっ……!」
 反射的に振り向いてしまい、相手を視界に入れてしまったのが悪かった。嬉し気に目を輝かせている様が、私の網膜を刺激する。
 なんだ、こいつは。
 視界が眩しくなる。瞳から入った情報が思考を突いて、頬を熱くさせる。心が散らかっていくようで、得意じゃない。
 私が妹の好きなものを受け入れられたように、こいつの考え方も、いつか理解出来る日が来るのだろうか。と、少しだけ考えてみたが、やはり今の私には想像もつかないことだった。

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