好きなだけ

Reader


 すん、と耳元で音が鳴った。
 首筋にくっつけられた相手の鼻先が、空気を取り入れた音だった。触覚に欠ける私が辛うじて拾ったもやもやした感覚の中に、何か別のものが交じる。そわそわとして、落ち着かない。この気持ちは、多分、恥ずかしいだ。
「……近い」

1

はじまりの文字

Reader


「字を教えてくれないか」
 ほんのちょっぴり恥ずかしそうな面持ちで、りんさんは僕に声を掛けてきた。
 出会ってからすぐの、警戒されていたが故の厳しい一面は、次第に鳴りを潜めてきてはいるものの、僕は未だにりんさんと話すのは少し緊張してしまう。例えるなら、そうですね――胸の辺りがどくん、とする時がある。そんな気持ちを抑えながら、僕は応じます。

0

スローモーション

Reader


「寝る前に辺りを一回りしておこう」
 とのことで、僕とりんさんは暗く濁った色の空の下を歩いていた。
 幸い、その日は赤霧も少なくて、葉をつけたミドリさんの幹が、遠くで静かに光っている夜で。だから、ちょっと気が抜けていたというか。僕が思ったことをふと、そのまま口に出してしまったのがきっかけだった。

1

口癖

Reader


「りつさんって、『にゃ』ってよく言いますよね」
「にゃ?」
 大きな耳がぴくりと動き、それまでずっと前を向いていたりつ姉さんがゆっくりと振り向いた。
 それを見た私がまず一番に思ったことは
「余計なことを聞くな」
 だった。

1