死んでいくロマンチスト

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03

「……私は扇くんのことが好きなのだろうか」
 自転車に跨った背中に向けてこぼした呟きは、確かに私の声で出来ていた。
 突如、鼓膜に突き刺さるようなブレーキ音と共に、前を走っていたママチャリが百八十度ぐるりと半回転した。
「危ないじゃないか。事故が起きたらどうするんだ」
「あなたの発言こそが大事故でしたよ。うわぁ……。なんですか駿河先輩、とうとうその気になっちゃったんですか?」
「告白されてのリアクションが『うわぁ……』だった時点で、芽生えかけていた何かは気の所為だったような気がしてくるな」
 気の所為というか、気の迷いというか。
 なんにせよ、気まぐれにでも甘い顔をするべきじゃあなかったな、と私はさっきの発言をなかったことにした。責任なんて知るか。
 撤回され、彼はわざとらしく肩を竦めて見せてきたが、タイミングが遅かったこともあって罪悪感は湧いてこない。
「あれ? もしかして僕、勿体ないことしちゃいました? すみません。いざという時に使えるよう録音しておきたいので、もう一度言って貰っても良いですか?」
「ふざけるな。二度も言える台詞じゃないよ。巡ってきたチャンスをその場で掴めないようでは、欲しいものが得られる訳がなかろう」
 大きな口を叩いたが、無論、それは私自身のことである。
「含蓄あるお言葉ですね」
 苦言を挟まれたにもかかわらず、扇くんはしみじみとそんなことを言った。台詞に起こさなかった感情もなんとなしに伝わったらしく、彼は包帯越しに私の左腕を舐めるように見る。私の恋慕の残滓を。
「……これまでの私はもっと、心の中に大きく風が吹いたような瞬間を、恋だと思っていたのだが」
「ははあ。そう言って頂けると光栄ですよ。僕との思い出をそのように美化されてしまうと、なんだか面映ゆい気持ちになってきますね」
「とても残念だが、きみのことじゃない……扇くんはどう思う? 今まで生きてきた中で、そういう感覚を覚えたことはあるか?」
「そのように話を振られてしまうと、僕はこう答えざるを得ません。『僕は何も知りません。あなたが知っているんです、駿河先輩』」
「…………」
「まあ、かつてのあなたは別として、今のあなたが感じているように。雨水が地面に染み込んでいくが如く、じわじわと心を侵食する恋もあるんじゃないですかね」
 と、扇くんは薄く笑った。
 今日までの私はこういう時、他人の思惑の底を見透かすような黒い虹彩から逃げたくなって、目を逸らすのが定石だったのだけれど、今は不思議とそんな気持ちになれなかった。
「そもそも、扇くんは私のことが本当に好きなのか?」
「うーん……特に嫌いな理由も思い付きませんし、好きなんじゃないですか?」
「いやに消極的というか、消去法的だな」
「そうでもないですよ。僕は何も知らないけれど、この人のことは好きになろう。と、生まれる前から決めていました」
「生前からの因縁をちらつかせるな」
「じゃあ気の所為ですよ。人恋しくなる時期でしたし、世間に感化されただけじゃないですか? 僕も駿河先輩も告白されていたことですし」
「人の気持ちを流行病みたいに言うな。……え? もしかして今、私は振られたのか?」
「あ。ケーキが安売りしてますよ。駿河先輩、一緒に食べましょうよ」

 

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