手帳

Reader


「阿良々木先輩は、随分と分厚い手帳を使うのだな」
 と、僕の手元を覗き込みながら、神原は言った。
 年の瀬が迫った時期の、大型書店の文房具コーナーでの指摘だった。
「そうかあ? 厚いって言っても、精々文庫本一冊程度だろ? 持ち歩くのに苦って訳でもねえし」
 なんて返しながら、僕は手元の水色の冊子を開く。
 ふむ。月曜始まりか。それならこっちの方が馴染みやすそうだ。あ。でも罫線よりは方眼紙が良いな。
「十二分だと思うがな。それ、マンスリーじゃなくてデイリータイプだろう? ふむ。阿良々木先輩くらい成熟した人間のスケジュール管理となると、一日一ページ用意されるだけではとても紙幅が足りないということか」
「そういう訳じゃあないけどさ。書き込むスペースが沢山ある方が便利だし。予定を組んでいくのは嫌いじゃないっていうか」
 大仰な扱いをする神原に何か思わなくもなかったが、僕達の場合、こういう話を一つ一つ掘り下げていたら収拾がつかなくなるので適当な理由を並べるだけにしておいた。
 今度は隣に平置きしてあった紺色のカバーを開く。パッケージに目標達成管理重視型と謳われていた通り、大きなグラフ管理ページが目立っていた。
「お前も部活の練習メニューとか、手帳に書き込んで管理したりしねえの?」
「あー……そういう時代もあったな。大抵三日坊主になってしまうのだが」
「だろうな。そんな気がするよ。どうせ飽きてどこかに放っておいて、失くしちゃうとかだろ」
「いや、飽き性であることは否定しないが、失くしてしまう訳ではない。盗まれるのだ」
「ぬ、盗まれる?」
「なんでも、私のファンクラブ内で高値で取引されるとか。全く、困った子猫ちゃん達だ」
「それは本当にお前のファンの集まりなのか?」
 犯罪組織か何かじゃねえのかよ。
「はは、時間泥棒とはまさにこのことだな」
「上手いこと言った風な顔をするな」
 ものが手帳だけに、間違ってなさそうなところが癪だな。と、細かなツッコミも忘れず突きつつ。しかし、大丈夫なのだろうか。今は携帯電話が大半の機能をカバーしているとはいえ、手帳だって個人情報の塊みたいなものだろうに。
「うん。だから最近は盗まれても構わないように、虚構の日記をつけるようにしている」
「それはもう日記の意味を成してなくないか? いや、お前が楽しんでるなら別に良いんだけどな……」
「『十一月某日、阿良々木先輩から夜デートに誘われた。いくらエロ奴隷契約を結んでいるからといって、やって良いプレイと悪いプレイがあるのではなかろうか』」
「この間から神原スールの監視の目が厳しくなったのはお前の所為か! つーか、それ、単なるお前の愚痴じゃねえかよ!」
「それこそが私の策であり、虚実なのだ。私が阿良々木先輩から受けた命令に反する訳がないじゃないか。私が阿良々木先輩のエロ奴隷であるところは公然たる真実なのだから」
「そこが一番の虚言なんだよ」
 なんという妄想日記。大丈夫じゃないのは僕の方だった。
「して、阿良々木先輩はその手帳を買うのだろうか? その分厚い手帳を」
 閑話休題。とばかりに神原は話を戻した。
「うん」
 結局、僕は白い表紙の、余白がふんだんに用意された一冊をレジへと持っていくことにした。これは予定を立てるのが楽しみになりそうだ。
 ふと隣を見れば、神原がものを言いたげに首を傾げている。
「なんだよ、やけに引っ張るけど、何か不服なのか?」
「要らぬ心配かもしれないが……阿良々木先輩は一緒に遊ぶ友達も少ないのに、そんなにページが埋まる予定があるのかな? と思って」
「それは本当に要らない心配だ。つーか、ストレートに酷いこと言ってんじゃねえ! どうして手帳一冊買うのにこうまで罵倒されないといけねえんだよ!」
 というか、そんな悲しい事情、今更指摘されるまでもなく。今年のスケジュール帳だって、下半期に差し掛かる頃には白いページの美しさが目立ってしまうのが実情なのだが……まあ、それくらいは黙っておいても先輩として罪ではなかろう。
 まだレジを通していない紙束が、掌の中でずっしりと重くなった気がした。
「……良いんだよ。一からページを埋めていくのもまた、新しい手帳の醍醐味ってやつだ」
 虚言ならぬ虚勢を張った。
 薄氷の様に心許無い見栄だったが、まあまあ、張らないよりはマシってものだ。
「ふむ。そういうことならあなたの忠実な後輩として、協力するに吝かではないぞ。ではとりあえず、その新しい手帳には、再来週の月曜日の項に私の名前を書いといてくれ」
「? なんで?」
「クリスマスだから」
「自然な流れで僕とのクリスマスデートを企むな。僕には虚構の日記をつける趣味はねえよ」
「夜だけでも良いぞ。夜明けに二人で黄色い太陽を見よう」
「それは一人で見てろ。……十八時からで良いか?」
「応」

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