デートのすがた

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「十一月の頭からアイスクリームって、季節外れじゃないか?」
「そうか? 美味しいものはいつ食べても美味しいじゃないか。それに、近年は冬場のアイスの売上って伸びているらしいぞ?」
「へえ?」
「私もそろそろ食べ頃だぞ? 阿良々木先輩に美味しく食べられる準備はいつだって出来ている」
「時期尚早だな」
 血の様に赤いアイスクリームにスプーンを突き立てながら、隣の先輩はぼやいた。チョコレート交じりの赤い色は、寒空の下で食べるには似合う色だとは思うのだが。彼の指摘通り、アイスのコーンを持つ指先が少し冷えてしまうのは誤魔化せなかった。
『デートをしよう!』
『今までのデートとは違う、もっとデートらしいデートをするんだ!』
『だから阿良々木先輩も、待ち合わせ場所にはお洒落をして来てくれ! いつもみたいに適当なパーカーを着て来ては駄目だぞ?』
 怒涛の勢いで捲し立てた私の強気な誘いに、阿良々木先輩がやや困った顔で頷いてくれたのは金曜日のことである。『月火ちゃんに見繕って貰った』と言い訳をしながら選んだというMA-1は、存外先輩に似合っていると思うし、今までで一番(とは言っても、私が先輩とデートをした回数は片手で数えられる程度だが)それらしい格好だった。私も、今日のコーディネートは気合を入れて考えて来たから、先輩から一言も言及されなかったのは少し寂しかったが……まあ、それは良しとしよう。
 一緒に映画を見て、一緒にアイスを食べるという本日の日程は、十二分にデートらしい流れを選べているに違いない。これでも丸一日掛けて入念に練ってきたのだ。
 アイスクリームチェーン店のメニューボードを前にして、
「ほら、阿良々木先輩。あの限定フレーバーなんか美味しそうだな」
 と、言っただけで、私が気になっていたアイスを自分の分として注文している辺り、私は阿良々木先輩にかなり甘やかされていると思うし。
 まったく、この状況のどこがカップルらしくないと言うのだろう。扇くんに見せてやりたいものだ。
 ……否、知られたら知られたで恥ずかしいのかもしれないけれど。

「駿河先輩は阿良々木先輩とお付き合いされているんですよね?」
 サクッと踏み込んだことを訊かれてたじろいでしまうのは、私が恋愛沙汰に慣れていないからとか、そんな初心な理由ではない。疑問を投げたのが、忍野扇だからである。
 私は前を見て走ることに集中しているから、隣で自転車のハンドルを握っているであろう彼の顔は見ていないのだが、九割九分皮肉っぽい笑みを浮かべていることだろう。だからその質問には目を合わせずに答えるのが吉だろう。
「改めて確認されると、肯定するのも気恥ずかしいところがあるが……まあ、そうだな」
「でも、ちっともカップルらしくないじゃないですか」
「は?」
「どう贔屓目に見ても、男友達のノリですよね?」
 聞き捨てられない――というか、自分でも気にしていた現状の指摘に、見ないと決めていた扇くんの顔を見てしまったのが悪かったのかもしれない。彼のペースに乗せられたとすれば、このタイミングでだっただろう。
「ちょっと試しに、最近したデートの話でも聞かせてくださいよ。阿良々木先輩はどんなプランニングをなさるんですか?」
「え、えっと……あ、阿良々木先輩は、あまり自分でデートのセッティングはしないというか……」
 阿良々木暦と神原駿河は付き合っている。付き合い始めて間もなく半年、そこそこに良好な関係を築けている筈だ。
 しかし、人に語れるようなデートの思い出となると……。
「あ、この前、一緒に下校したぞ?」
「それなら僕と駿河先輩だって、毎日こうして一緒に登校しているじゃないですか」
「それはきみが勝手について来てるだけだろう」
「えー? つまらない男ですねえ。我らが阿良々木先輩が、彼女との逢引きの一つも満足に提案出来ないとは、残念でなりません」
「私の先輩を悪く言うな」
「僕にとっても先輩なんですけどねー。しかし、駿河先輩も大概ですよ? 日頃からエロ奴隷だとか、性欲をぶつける場所でありたいとか何とか言っている癖に、蓋を開けてみればエロさの欠片もないじゃないですか」
「ぐ……」
 確かに、自転車に並走して家に帰るだけとか、デートとしてカウントするには難しいことくらいは私にも分かるけれど。プラトニックにも程がある。やっていることとしては、今の私と扇くんの状況と大差ない。
「まあまあ、そんなつまらない男なんて放っておいて、ここからが本題です。駿河先輩、僕とお付き合いしませんか? そろそろお乗り換えしませんか?」
「しない」
「退屈はさせませんよ?」
「退屈はしないだろうが、その前に私の堪忍袋が持たないと思う」

「阿良々木先輩、一口貰っても良いだろうか?」
「ん、ほら」
 差し出してくれたアイスをスプーンですくって口に運ぶと、きゅんと甘い味の中にチョコレートのほろ苦さが伝わった。季節限定のフレーバーは確かに美味しかったが、冷えた舌で味を受け取るのはちょっと難しかった。
「それで、どうするんだ? デートらしいデートをするには」
「ふふ、案ずるな阿良々木先輩。ちゃんと策は練ってあるのだ」
 スプーンを咥えたまま喋っていたので行儀が悪いと怒られたが、私は胸にとっておきの案を秘めていた。だから叱られたとて、それでも気持ちは否応なしに跳ねるのだった。

「阿良々木先輩、私達はこれから、ちゅープリを撮るぞ」
「ちゅ、ちゅープリ!?」
「扇くんに見せるんだ!」
 プリクラ機の撮影ブースまで彼を引っ張って来るところまでは良かったのだけれど、この一言に阿良々木先輩は怖気づいてしまったようだった。まあ、そんな予感はしていたので、この宣言をするのは百円玉を四枚全て、機械に投入してからにしたのだが。もう後戻りは出来ないぞ、という私の心構えの表れである。
「いや、流石に扇ちゃんに見せるのは、ちょっと……」
 阿良々木先輩は男の子をちゃん付けするような人じゃないのに、どうして忍野扇くんだけはちゃん付けで呼ぶんだろう? という疑問はこの際置いといて。
 いきなり尻込みの姿勢を見せる彼はちょっと初心で可愛らしいなとは思うけれど、私達に求められているのはそういう中学生のようなお付き合いじゃないんだ。もっといちゃいちゃしなければ。その時、私の胸にあったのは、もはや使命感に近い何かだった。
「待て! 阿良々木先輩!」
「うっ!」
 私の手から、どころかプリクラ機の中から逃げようとする先輩を羽交い絞めにして制する。残念ながら、あなたの彼女はここで諦めてしまうような女ではないのだ。
「阿良々木先輩は悔しくないのか? 阿良々木先輩と私は、全くカップルらしくないと言われたんだぞ?」
「そんなことを言われたのか……あの子も相変わらずだな」
 自分より身長の高い先輩の首を抱えながら、私はタッチパネルを操作する。まあ、撮影テーマとか背景選択とか、適当で良かろう。今回大事なのは私と阿良々木先輩はちゅープリを撮る仲である、というアピールをすることなので、写りの良さはこの際保証して貰わなくとも構わない。
「でもほら、そういうのは恋人同士で秘密裏に行うべきことだろう? 人に自慢するようなことじゃねえって」
「自慢ではない、証明なのだ。私が阿良々木先輩の彼女だということを、一度きっちり教えておく必要がある」
 し、阿良々木先輩にも確認して貰うべきだろう、とも思う。
 私が扇くんに吹っ掛けられた何気ない一言を流すことが出来なかったのは、私達には今一つ恋人としての自覚が足りないのではないか、なんて思う気持ちがあったことの表れだろう。
「そ、そうなのか? 女の子の考えることってわかんねーなあ……」
 阿良々木先輩は困ったように眉尻を下げたが、この際、分からなくても良い。彼女であろうとなかろうと、誰にでも優しく出来る阿良々木先輩には、はなから分からない話かもしれない。流石に、誰とでもちゅープリを撮れるような男だとしたら、今度は私の方が困ってしまうのだが。
 なんと言われようと、そろそろプリクラ機がカウントダウンを始める頃だ。覚悟を決めて貰わねば。
「さあ、阿良々木先輩」
「い、いや……まだ心の準備が」
「この期に及んで何を言っているんだ。ファーストキスでもあるまいし」
「そりゃ初めてじゃあないけれど、人前でキスしたことはねーし……ほ、ほら、神原が僕にキスしている絵面でも、十分にカップルらしいと思うぜ?」
「むう……」
 確かに、私から先輩にキスをする分には一向に構わないし、異性とは初めてってだけで、ちゅープリくらい過去にいくらでも撮ったことがある(言わないけど)。
 しかし、私の頭の中の扇くんが囁くのだ。
『いやいやいや、これどう見ても駿河先輩が阿良々木先輩を一方的に好いているだけの絵面じゃないですか? 阿良々木先輩の頬にキスしながら写真を撮るだけなら、僕にだって出来そうですし』
 なんて、この子はどうしてこうも的確な煽り文句を並べられるのだろう。私の想像の筈なのに。
 だから。そういう訳なので。
「な、ならば、口じゃなくても良いから……とにかく、私は阿良々木先輩からして欲しいんだ!」
 私のことが好きならば、ここで証明してくれ! と。
 さん、にー、いち。
 明るい声でのカウントダウンが大きく響いて、すぐに。
 ちゅ、と。
 個室でフラッシュがたかれたのと、阿良々木先輩が私の額に口付けたのはほぼ同時だった。
「……これで良いか?」
「……あ、ああ」
 スピーカーから響き続ける音声が、冷やかすかのように次の一枚を促している。
 …………。
 まあ、良いだろう。
 先輩も頑張ってくれたのだ。画面の上からほっぺに花丸くらい付けておこうか。

「酷いです。駿河先輩をお慕いしている僕に対して、ここまで残酷な仕打ちが出来るだなんて。心ある人間の行いとは思えません。よくもまあそんなデリカシーに欠けることが出来ますね」
 証拠として突き付けたプリクラを前に、扇くんからはそんなお言葉を頂いた。
 ど正論である。
「あ、いや、ごめん……」
 煽られた手前、頭に血が上っていたことは言い訳として挙げたいところではあるが、冷静になって考えてみれば、普通は後輩にちゅープリなんて見せないよな……。
「えー? でもこれ、ちゃんとキスしているんですか? 今時は画像の加工くらい容易に出来る時代ですし、いくら機械に弱い駿河先輩でも、阿良々木先輩とのプリクラを捏造するくらいなら出来るんじゃないですか?」
 そして、私が想定していたよりも遥かに酷いいちゃもんを付ける扇くん。人が苦労して収めた思い出の一枚を、ぞんざいに指で摘み上げて凝視しながら。
「ちゅープリとか言いつつも、これ、一番大事な口元が見えていませんし」
「きみは揚げ足を取ることに暇がないな……とにかくしたものはしたんだよ」
「えー、だとしたらショックです。いくら駿河先輩のファンである僕でも――否、ファンだからこそ許しがたいです。今度ばかりは僕のハートも傷付きました。慰めてください」
「慰めてって……わ、分かった。私に出来ることなら償うよ」
「お詫びとして、僕ともちゅープリ撮ってください」
「やだよ。先輩の彼女に対してなんてお願いをしているんだ、きみは」
「たった三秒で前言撤回をはからないでください。じゃあ、プリクラは撮らなくても良いので、僕とちゅーしてくれませんか?」
「もっと嫌だよ! というか、それは出来ることの範疇を越えているよ!? 人の唇をそんなに安く貰えると思うな!」
 まあ、おしゃまな後輩の悪ふざけについてはともかく。
 この日以降、阿良々木先輩からデートに誘ってくれる機会が増えたことは確かなのだから、証明するには十分だったのだろう。

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