「男、もしくは幼女に生まれたかった」
「は?」
廊下で僕の清掃活動を眺めていた神原は、突然そんな事を言った。
「ああ、勿論、女に生まれたことを不幸に思っているとか、そういう訳では無いのだ」
「……よくわかんねーけど、女として生まれてんだから幼女は経験済みだろう」
「うーん……。その解釈から察するに、阿良々木先輩には私が伝えようとしている所が伝わっていないな」
と、男でも幼女でもない僕の後輩は、残念そうに肩を落とした。
その前に、幼女に生まれるという日本語が存在し得るかどうか微妙なところなのだが。
「つまりな、私が男に生まれていたら戦場ヶ原先輩と付き合えたかもしれないし」
「…………」
「あ、いや。それはもう良いのだ。整理のついたことだ。ただ……」
そこで神原は、それまでとは打って変わった熱いテンションで。
「私が幼女だったら阿良々木先輩に欲情して貰えたかもしれない。これが悔やまれてならないのだ」
と、語った。
拳を握り熱く語る姿は様になっているが、語っていることはちっとも様にならない。
「僕が幼女にしか興味がないように言うな」
好きか嫌いかは勿論別の問題なのだが、今ここでそれを語るのは止めておこう。
まあ、そりゃ無理だな。
時空でも越えなければ叶わない望みだ。
「私が阿良々木先輩よりも十年遅く生まれていたら……!」
「先輩と後輩という唯一の接点が無くなるな」
「幾つ歳が離れていようと、阿良々木先輩は私の先輩だろう? 私は一生を捧げて、阿良々木先輩を尊敬し続けるぞ」
「僕は何をしたら十年越しの後輩から生涯尊敬されるんだ!?」
どんな偉業を成したんだよ。
「はぁ……。敬愛する先輩から性的な目で見られないというのは悲しいものだな」
「お前は先輩という立場に何を期待してるんだよ」
「阿良々木先輩はそういう期待はされないのか? 私の元へは後輩女子が……いや、後輩女子のおっぱいが集まるぞ」
「マジで!?」
スターの神原が所謂モテる女子だってことは知っていたが、これほどとは。
僕も是非、バスケ部に入ろうか。来世あたりで。
そんな遂げる気も無い決意を固めた後、ふと見ると、神原の頬が膨れていた。
「なんだよどうした? 僕にその後輩を紹介してくれる気にでもなったのか?」
「別に……。阿良々木先輩は、どうせ幼女でもない私の、小さくも大きくも無いおっぱいには興味が無いのだろう?」
「あ、いや、そんなことは……」
「阿良々木ハーレムの構成員の中で、阿良々木先輩は私のおっぱいだけ触ってないもんな」
「そんな組織は存在しないし、僕は別におっぱいばかり触って生きている訳ではない」
「触りたくないのか?」
「触りたい」
「……むう」
神原はますます頬を膨らませ、僕に背を向け、ふてくされたようにその場で横になった。
チューブトップだけを身に纏った背中が、健康的な肩甲骨が、そこはかとなくエロい。
「おーい」
「…………」
「神原?」
「むう。ほっといてくれ」
繰り返された。お前ってそんなキャラだっけ。
しょうがねーな。
「……っ!?」
腰を持ち上げて、ぐっと起き上がらせた。
とっさのことで驚かれたのか、神原がいやにスムーズにずるずると引き摺られる。
「あ、阿良々木先輩っ?」
引き摺って、そのまま膝に乗せる。
ついでに自分の顎を神原の肩に乗せる。あくまでついでだ、ついで。
「んっ……っ!?」
すんすん。おお。首筋からそこはかとなく良い匂い。
耳に息が当たってくすぐったいのか、神原が息を漏らす。
「どうだ? 機嫌直ったか? ギブアップか?」
「た、たとえ阿良々木先輩が相手でも、私はギブアップなどしない、ぞ」
うむ。
こんな状況になっても諦めずに立ち向かう姿勢は、流石はスポーツマンとでも言ったところか。
僕も見習わなくてはならないな。
「ひゃうっ!」
そんな感想を抱きながら、僕は神原の腰に回した腕に更に力を入れた。
距離が縮まる。
◇
「あ、あ、阿良々木先輩、何を」
「……ん?」
気付いた時には、驚きの表情を浮かべた神原が、僕の膝の上にいた。
何をそんなに戦慄いているのか。心なしか頬が赤い気がするのは気の所為か。
む。何か可笑しなところでもあったのだろうか。
僕の持病の記憶喪失がまた発動してしまったのか、とも考えたが、神原の柔らかい唇の感触は忘れがたいものだった。
「……神原ってさ」
「な、なんだ?」
「おっぱい触って欲しいの?」
「…………むう」
「うおっ!」
それまで大人しく膝に乗っていた神原が、突然向き直り、僕の方に突撃してきた。
いや、これは抱きつかれたとでも言うのだろうか。
恥ずかしながら、彼女の体重を支え切れなかった僕は、神原ごとそのまま後ろにひっくり返る。
密着していた体が、さらに密着する。
「阿良々木先輩、私は……」
そこからはよく覚えていない。
なんというか、今度こそ僕の持病、記憶喪失が発動したのだろう。