きみと私の夏休み

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「プールに行かないか?」
 と、提案したのは神原の方だった。
 理由を聞けば、
「偶にはバスケ以外の遊びをしても良いじゃないか」
 という当たり障りのない返事が返ってきた。
 しかし、神原が私を相手にそんな友達みたいなことを言う奴じゃないと知っていたので、更に根掘り葉掘り聞けば、同じクラスの連中に『私は古式泳法をマスターしている』とウケ狙いの冗談を言ったは良いが、予想外に広まってしまった文言が冗談で済まされなくなってしまい、なんとか夏休み中にマスターしてしまおう、という次第らしい。
 そして、同じ学校の生徒(どんな規模で噂が広がっているのか考えるだけで、私だったら頭が痛くなりそうだ)に練習中の姿を見られる訳にいかないから、という消極的な理由で、私は同伴者として選ばれたのだと言う。
 やれ、チープな冗談にマジになっちゃう奴も馬鹿だが、冗談を真実に変えてしまう奴はもっと馬鹿に違いない。
「軽々しく嘘を吐くものではないな……」
 ぼやく神原の隣、久方ぶりに引っ張り出した水着が入ったバッグを抱えてバスに揺られていた私も、大概だが。
 市民プール最寄りのバス停に至るまでの道のりは、同伴料である神原の奢りのアイスを食べ切るまでには丁度良い時間だった。

 私達は健全に遊んだ。
 私は適当に泳いでいたが、神原はマジで練習をしていた。夏休みにしては人がまばらな市民プールで、派手に水飛沫を上げていた。あまりにもばちゃばちゃ音を立ててもがいていたので、係員さんに溺れたんじゃないかと勘違いされた後、一度救助された。
 その一連の流れがあまりにも面白かったので腹を抱えて笑っていたら、彼女持参の浮き輪で殴られた。それからは流石に練習は控えようと思い直したようで、何度か競泳に誘われたりもした。『バスケ以外の遊びを』とかなんとか言っていた割に、神原は私を競争相手として見ているようで、結局私達はどこへ行っても変わらないな、と一人で苦笑したのだった。
 水に入ったり出たりを繰り返していたら気が付けばお昼で、互いにお昼ご飯は持参してなかったから、そこで切り上げることにした。
 そして例の泳ぎ方だが、彼女はちゃっかり一日でマスターしていた。彼女のイメージにしては割と可愛らしい趣味の水着が、なんだか武者か何かの鎧のように見えてくるくらいには上達していた。
「これで夏休み明けの水泳の授業では、無事に披露出来きそうだな」
 なんて、神原は満足そうに笑っていた。

「私の家に寄っていかないか?」
 と、提案したのも神原の方で、お昼に食べたコンビニのおにぎりによる満腹感と、泳いだ後の程良い疲労感が相成ってか、今度は私も彼女の提案に素直に乗ることにした。
 神原家の彼女の部屋に着いて早々、部屋の主は床にごろりと横たわった。
「古式泳法って、やっぱり体力がいるな。流石にちょっと……疲れた」
 なんて、現代人としては同意しづらい話を振られた。
 私も床に座りたかったが、部屋の散らかり(初めて見た訳でもないのにいつも感心させられる。酷い)は神原一人を横たわらせるだけで精一杯で、腰を落ち着けるスペースは新たに発掘しなくてはいけないようだ。
「その辺、適当にどかして良いぞ」
 一見きっぷ良く聞こえる神原の台詞だが、私からすれば、とても自分から部屋に誘った者の台詞とは思えない。
 やっとお尻を着ける場所を見つけたは良いが、私も少し休みたかったので。
「ねえ、なんか飲み物とかない?」
「んー? ああ、冷蔵庫から勝手に取って来い」
 彼女は顔を起き上がらせることもなく、大雑把な許可を頂いた。あの神原(大体私には良い顔しない)にして、プライベートゾーンがここまで緩くなってしまうとは、相当疲れたのかもしれない。恐るべき古式泳法である。
 なんとか神原家の台所に辿り着き、無遠慮ながら冷蔵庫を開けると、丁度冷えたラムネが二本並んでいた。しかも、昔懐かしい瓶のやつ。中にビー玉とか入っちゃってるやつだ。夏の午後に嗜む飲み物としては最高だと心くすぐられたので、一本拝借させて貰う。ビー玉を落としてから口を付けると、キリッと冷たい炭酸飲料が喉をくすぐった。

「……神原?」
 部屋に戻ると、彼女は難しい顔をしたまま、深く寝息を立てていた。
 手足が時折、ぴくりと動いている。さては夢の中でも引き続き練習中らしい。それとも観衆の前で実演中だろうか。どちらにしろご苦労様なことで。同時に、彼女が係員さんに救助された瞬間も思い出して、ちょっとだけ笑えた。
「やれやれ。昔の泳法なんかより――現代社会において周囲に溶け込む道化を演じることの方が、実は大変なことなんじゃないかと思っちゃうね」
 もう汗を掻いたラムネの瓶の底で彼女の頬をつついても、小さな唸り声を上げただけで、当分は起きてくれそうになかった。
 諦めて私も彼女の隣に寝転ぶ。
 そして、ちょっとだけ不健全なことをしたのは、ここだけの秘密。
 神原の髪からは、僅かに塩素の匂いを感じた。

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