わすれがたみたち

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「親父が死ぬ前に、ちゃんと腹を割って話をしておくべきだったよ」
 相田先生が酒を飲む時、三度に一度はそんなことを言う。この村において酒は貴重品だし、相田先生が未成年を酒の席に招いてくれること自体が稀なことだから、僕にとっては三度に一度のことだとしても、それはごく偶に漏らされる先生の本音なんじゃないか。なんて、僕は睨んでいる。
 ま、そんなのはただのガキの想像でしかなくて、本当は生まれた時から両親が居ない僕に対し、先生がデリカシーに欠いた愚痴を仄めかすことで大人ぶっているだけなんじゃないか――なんて、邪推こそいよいよガキっぽいが、相田先生が迂闊に子供の不審を買うような人ではないことも知っているので、僕は純粋に、父親の顔を知っていることを羨ましく思っているのだと思う。今時、親の顔を知らない子供なんて珍しくもない。だけど、僕の世代よりその下、この村で生まれる赤ん坊はそんなこともない。ぽっかり空いた穴のような世代が僕達だった。まるで、この赤い大地を無理矢理切り出して作った村のように。
「じゃあ、相田先生は親父さんと何を話したかったんですか?」
「ん、……いいや。別段何か話したかったことがある訳じゃない。ただ、どんな酒が好きだったのかとか、俺の趣味の話とか、上手い釣りのやり方とか、そういう特別じゃないことを話しておくべきだったってだけさ」
 親父がどんな人間なのか知る機会があったのに、それをなかったことにしてしまったのが残念なんだ。と、先生は猪口を舐めながら、寂しそうに目を細めた。それを見て、自分は先生と同じように目を細めることは出来ないだろうな。と、知らない味が詰まった一升瓶を眺めながら、僕はぼんやりと考える。

「そう言えば、シンジの両親って生きてるの?」
 と、何気なく訊いてから、しまったって思った。あからさまに彼の表情が固くなったのが分かったからだ。
「いや、ほら。僕らの世代ってそういうの珍しくないから、気になってさ。嫌な気分にさせてたら、ごめん」
「……いや、違うんだ。僕の方こそごめん。……多分、リョウジくんが考えてるような感じじゃないんだ。僕の父さん、生きてるから。殆ど話したことないけど」
「あ、そうなんだ。他の村にいるの?」
「うん、そんなとこ。母さんは小さい頃になくなったから、あまり覚えていない」
「ニアサー?」
「じゃあないけれど……」
「そっか。なんか色々複雑そうだね」
「そんなことないよ。……いや、そうなのかな? なんだか僕にももうよく分からなくて」
「はは、なんだそれ」
 なんとかくしゃりと笑って見せると、シンジくんも笑顔になってくれた。良かった、切り替えてくれたみたいだ。
「僕も両親いないんだ」
「うん。ケンスケ――相田先生から聞いたよ」
「そうなの? ちぇっ、先生も狡いなあ。僕にはシンジのことちっとも教えてくれなかったのに」
 半分は本音、半分はパフォーマンスで口を尖らせてみせると、シンジはまた少しだけ苦しそうに笑った。
 シンジは僕と同じくらいの歳のくせに、まるで僕よりもずっと大人みたいな態度を見せる時があった。この村のことしか知らない僕とは違って、他の場所から来た所為なのだろうか。僕が生まれるより前は、この村の人数よりもずっと多くの人がいたのだと聞く。もしかすると、シンジくんはここよりももっと広くて、色んな人がいる場所から来たのかもしれない。それこそ訊いてみる気にはなれないが。
 まだ知り合って間もないけれど、でも、彼がそういう顔を見せると、何故か僕の心の奥にはぐっと寂しさが押し寄せる。だから僕は、シンジのことをもっと知りたいと思っているのだろうし、だから、さっきの質問はそういうことなんじゃないかって後付けしている自分がいた。
 左手首に付けていたアラームが鳴った。ぴりぴりぴり、と高い音を響かせて、休憩終了時間を伝えてくる。
「おっと、そろそろ時間か。行かなくちゃな」
「クレイディトの仕事?」
「うん。今日は大した作業じゃないけど、一応ラボに行っておくかな」
 抱えていた膝を解き、尻に付いた土を軽く払いながら立ち上がった。隣に座っていたシンジもそれに倣った。かと思えば、彼は自分の指に付いた土を神妙な面持ちで眺め始める。不思議だったので、何? と訊けば、なんでもないよ、と言われた。まあなんでも教えて貰えるとは端から思っていなかったけどさ。
 僕はシンジのことを何も知らない。だけど、想像することは出来る。ここはあの赤い世界から無理矢理切り出した場所だけれど、なんの匂いもしない野外ラボよりは大分マシだ、と僕も思う。
 もしかすると、僕は全く見当違いのことを考えていて、シンジはもっとずっと遠くで何かを想っているのかもしれなかったけれど、僕は僕のやり方でしか彼を捉えることが出来ないでいる。そしてそれは、僕が僕の両親のことを考える時の気持ちに似ていた。
「ねえ、リョウジくん。僕もひとつ訊いても良いかな」
「ん?」
 しばらく思い詰めたような顔をしていたと思ったら、今度は急に凜々しい顔になってシンジはこっちを向いた。……あ。こいつモテそうだな、となんだか変な直感が脳裏を通り過ぎていったが、口に出すのは止めておいた。
「リョウジくんは、どうしてクレイディトに入ったの?」
「どうしてって……考えたこともなかったなあ」
 するとやにわに想定外の質問が飛んできて、はたと一人取り残されたような気持ちになった。うーん、と腕を組みながら考えてみたけれど、すぐには出て来ない。うーんうーん、と天を仰ぎながらもっと考えてみたけれど、やっぱり出て来ない。見上げた青い空の端っこの方に、L結界浄化無効阻止装置が小さく見えた。
「……さあ、分からないや。次に会う時までに思い出しておくよ」
「そっか」
 僕のつまらない回答を、シンジは気を悪くしたような様子もなく受け入れた。それからまた寂しそうな、それでいて優しそうな色で目を細めて、じゃあ行こうか、と僕に言う。そこで遅れて、僕は嘘を吐いていたことに気が付いた。本当は、クレイディトに入った理由は、いくらでもある。仕事だから。働かなくては生きていけないから。相田先生の紹介だから。顔も知らない両親のことを知りたかったから。他にももっと、もっと、沢山ある。だけどそのどれも選ぶことが出来なかった。
 多分、僕は、早く大人になりたかったんだ。

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