パジャマ

 星野はたまに、ファイターちゃんになる。
 今日も夜遅くに帰ってきた。ドアが開く音がして、次にスリッパがぱたぱたと床を叩く音。
 枕に頭を乗せたまま、あたしが薄目を開けた時は確かに星野だったのに。シャワーを浴びてお風呂場から出てきた時にはもうファイターちゃんだった。
 なんだか不思議。今日は女の子の気分とか、男の子の気分とか、あるのかな? あたしにはわかんないけど。
 でも、パジャマの代わりにって言いながら、タンクトップをラフに着こなすファイターちゃんの背中はとっても綺麗だし、なんだかかっこいいなあって思う。
 薄く筋肉がついている、スレンダーな女の人の背中。あたしと同じ歳のはずなのに、なんだかとっても大人っぽい。いいなあ。あたしもピンクのパジャマを卒業したら、こんな風に綺麗になれるかなあ。
 後ろ姿をぼんやりと眺めていたら、ファイターちゃんは長い後ろ髪を結びなおして、静かに布団に入ってきた。飲みかけのミネラルウォーターをサイドテーブルに置いて。

「あら、起きてた?」
「うん。ちょっと前から」
「声掛けてくれればよかったのに……さては覗いてたのね」
「ちっ違うもん。ちょっとぼーっとしてただけだし」

 あたしは眠い目をこすりながら舌を出す。シーツの上をもぞもぞ転がって、ファイターちゃんにすり寄った。お風呂上がりのはずなのに、肌が少しひんやりしてた。

「……星野のにおいがする」
「そお?」

 おでこを胸にくっつけて、すん、と鼻を鳴らすと、ファイターちゃんがちょっと照れくさそうに返事をした。

「そんなに男みたいなにおいがする?」
「んーん。そういうんじゃなくてね。上手く言えないんだけど……星野とくっついてる時も、ファイターちゃんのにおいがするなって思うことあるんだ」
「そうなの? 難しいのね」
「うん。あたしにも、よくわかんない……」

 自分で感じたことなのに、自分ではとてもじゃないけど言葉にできない。それはほんのちょっぴり残念だった。
 優しい掌がふわりとあたしの頭を撫でる。ファイターちゃんは優しい。星野だったら、きっと今頃呆れたように笑われていたかもしれない。
 なんて、いつの間にかそんな想像をしている自分に気が付いた。これも不思議。なにか違うのかな。同じ人のはずなのに、考え方の違いかしら?
「女の子と男の子では脳みその作りが違うのよ! ほら、右手の人差し指と薬指、どっちが長い?」って、話してたのは誰だったっけ。レイちゃんだったかな? あ、でも亜美ちゃんには「科学的な根拠はないそうよ」って言われてたっけ。「でもさ、男の人と女の人で見える世界が違うってのも、なんだかロマンチックだよなあ」って言ってたのは、まこちゃん。「考えるより実践あるのみよ! うさぎちゃん、こういう時にこそ変装ペンを使っていかなくちゃ!」「そっかあ!」って盛り上がった美奈子ちゃんとあたしは、揃ってルナに叱られたんだけど……うーん、これは思い出さなくていいや。
 どう言えば伝わるんだろう。星野はファイターちゃんで、ファイターちゃんは星野。頭を洗うシャンプーも、肌に付ける化粧水も同じ。タンスに入れているポプリの香りも同じもの。だから同じにおいがするはず。でも星野は星野だし、ファイターちゃんはファイターちゃんで――

「んんー……ねむいよお」

 でも、考え始めると難しくなってきちゃって、結局途中であきらめちゃった。
 大きなあくびをひとつしながら、あたしにはもうちょっと考えることが得意な脳みそが欲しかったなって思ったりして。亜美ちゃんみたいに頭がよかったら、こういう時もっと上手に説明できるのかなってうらやましくなったりする。

「ごめんなさいね、起こしちゃって」
「ううん。ファイターちゃんに会いたかったから、それはいいの。ただね、とってもねむいだけ……」

 考えている間にも、ファイターちゃんはずっと頭を撫でていたから、また眠気がやってきたってのもあるかも。密着したまま息を吸うと、やっぱり心が落ち着くにおいがして、ますますまぶたが重くなる。
 それでもなんとか「おやすみなさい」を言う間際、あたしを包む腕の力がちょっとだけ強くなった気がした。

0

チョコミント

「だって星野のおごりって言うからさあ」
「おごりじゃなかったら来なかったのかよ?」
「やだな、そんなことないってば」

 軽口を叩きながら二人で足を向けたのは、通学路から一本外れた道にあるチェーンのアイスクリーム屋だった。
 ほんの数秒前までショーケースの端から端までをじっくり吟味していたはずの月野は、早くもコーンの上にアイスをダブルで乗っけてご満悦らしい。

「あれ? 星野、食べないの?」
「お前が注文早すぎるんだよ。えーっと、限定のやつはおだんごからもらえば良いから……」
「だーめ! 勝手に数に入れないでよ。これはあたしが頼んだやつなんだから!」
「あんまり欲張ると太るぞ?」
「欲張ったのは星野の方でしょ!」

「『いま、セイヤとアイス食べてるところだよ』……っと、これで良し」
「カレシ?」
「やっだ、勝手に見ないでよお」

 恥ずかしいじゃない! と、頬を膨らませたところを見ると、どうやら図星だったらしい。
 ほんのちょっぴり覗き込んだスマホの画面からは、かわいい系のスタンプが見えた。海の向こうの彼氏宛てに送ったんだろう。

「んー、まもちゃんやっぱ忙しいのかなあ。既読がつかない」
「あっちって、時差どんくらいだっけ?」
「あ、そっか。もしかしたらもう寝てる時間かも」
「うわ、飯テロするなんてひでーカノジョ」
「うるさいなー、ちょっとうっかりしてただけだもん」

 今年の春に、衛さんの留学期間が一年延びて。
 去年にはあれだけ寂しがりと強がりを繰り返してたってのに、今じゃ片手にアイス、もう片手に携帯握りながら、超ご機嫌な笑顔なんだもんなあ。
 もちろん、そっちの方が良いって意味だけどさ。

「仲良いよな」
「ん? 何が?」
「おだんごと、おだんごのカレシ」
「あったりまえじゃない! なに今更なこと言ってんのよ。あたしとまもちゃんはねえ、それはそれはふかーい愛で結ばれてるんだから!」

 と、月野は誇らしげに胸を張ったが、顔を見ると、中々どうして様にはなっていない。

「……口にアイスついてんぞ」
「ん?」

 まったく、しょうがねーやつ。
 俺は笑いを噛み殺しながら、両手が塞がっている相手の代わりにハンカチで拭おうとした。が、

「ん、あんがと」

 その前に本人の舌が口の端をすくったので未遂に終わった。
 手持ち無沙汰になった右手をポケットにしまい、俺も自分のアイスに取り掛かる。
 何故だろう。慣れないチョコ交じりのミントの味が舌に染みた。

「でもねえ、ケンカすることもあるよ?」
「え、マジで?」
「うん。前に二回別れて、二回より戻したこととかあったし」
「ええー!?」

 意外過ぎる。なんか、さらっと言われたけど、かなり驚いた。
 こいつはドジってアイスを落っことすことがあるけれど(この一年で二、三回は見たことがある)、今日に限っては俺が落としそうになったくらい。
 えー? だって、そんな話、誰からも聞いたことないぜ?

「レイちゃんとか亜美ちゃんは知ってるよ? あ。でも、はるかさんとかみちるさんは知らないかも」
「ふうん」

 と、いうことは木野や愛野も知っているということか。
 天王はるかが知らない話を俺が聞いているという事実にはちょっとした優越感を覚えたが、口に出すのはみみっちい気がするので黙っておくことにする。

「衛さんが怒るところとか、ちょっと想像できねーんだけど」
「怒るっていうか……まもちゃんもたまに頑固なところあるから。ま、そういうところも可愛いんだけど」
「へえー……いや、やっぱイメージできねえ」

 現に今だって、幸せそうな顔でスマホをいじっている顔を見てると信じ難い。
 その幸せは右手に残っている夏季限定フレーバーのアイスに起因している可能性も、経験上、ゼロだとは言えないけどな……。

「まあ、その……ケンカするほど仲が良いって言うしな?」
「そーお? あたしはあんまりケンカしたくないけどなあ」
「そりゃそうだ」

「で、さっきから何してんの?」
「まもちゃんに『このアイスおいしかったよ!』って教えてあげたいんだけど、写真が上手く撮れなくて」

 だ、そうだ。
 傍から見たら、自分のスマホに向かって不思議なダンスを踊っているようにしか見えなかったので、俺は訊いたのだけど。つまり自撮りがしたかったってことか。

「こういうの、美奈子ちゃんとかは可愛く撮れるんだけどなあ」

 と、ぼやきながら月野は眉を八の字にする。

「……俺が撮ってやろうか?」
「ほんと!?」

 すると、くすぶっていた表情がぱっと笑顔に変わり、早速スマートフォンを俺に手渡してきた。

「んふふ、星野もやさしいとこあるんじゃーん」
「いやいや、俺はいつだって優しいだろ」

 それに、あんなにしょげられたら誰だって安請け合いすると思うぜ? なんてことを俺は考えつつ、撮影前にちょいちょい、と前髪を直している仕草を画面の中央に入れる。

「あ。人にカメラ向けるってなんか新鮮かも。普段は向けられてばっかだから」
「ちょっとー? ふざけてないでまじめに撮ってよー」
「任せとけって」
「ちゃんとアイスも入れてね」
「はいはい」

 おい、あんまりくっついて来るとピントが合わねーだろ。と、俺はスマホを持った方の腕を遠ざける。
 小さなシャッター音が俺達の頭上で鳴った。

「……あ、やべ。動画だったかも」
「へ?」
「いいや、上手く撮れてるし、このまま送っちゃお」
「あー! ちょっと! 勝手に送らないでよお!」

0