Vampirism

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05

 恋人だろうと、先輩後輩だろうと、主従関係だろうと――要は何であれ、相手に言い出しにくいことってあるんだよな。

「ものの本によれば、絶頂を迎えた美少年の生き血は最高に美味いらしいぞ?」
 ほら、と神原が指差した愛読書は『鬼畜ギャルソンシリーズ』の第二十六段(上巻)であった。言わずもがな、BL小説である。寝物語にボーイズラブの話を選ぶのはいい加減に止めて欲しい……。
 如何にも「良いことを知ったぞ!」風な得意満面の笑みを湛えている彼女だが、その情報に僕が喜ぶとでも思っているのだろうか。僕の嗜好についての認識に差が開き過ぎているのではないか、些か心配である。
「ていうかそれ、吸血鬼ものだったのか? えらくファンタジー路線だな」
「最近いきなりファンタジー色が強くなってな。長年通読していたファンとしても驚かされているところだ」
「ふうん?」
 正直、彼女と僕の読書ジャンルは決して遠くはない筈なのだが、この件に関しては知識が浅いどころか皆無に近いので、よく分からない話だ。
 というか、そっちの造詣については深めたくない。
「話を戻すが、美味いらしいぞ? 本当かどうか是非確かめて――」
 と、興奮半分、するりと衣服を乱し始める神原。めちゃくちゃ自然な動作だが、襟ぐりの広いタンクトップからのぞく胸元に、意識を持っていかれる前に。
「却下。BLファンタジーのリアリティなんて検証したくないし、そもそもお前は美少年じゃないだろ」
 美少年にはそんな立派な肉塊はついてねーよと、僕は僕の魔手から逃すようにして、彼女のその胸元までをタオルケットで包んでやった。
 その時点で既に、僕の心中では性と理性の間で大きな葛藤があったものの、神原はそんなことなどつゆ知らず。
「えー。でもこれは阿良々木先輩にしか実証出来ないことなんだぞ? ああ、私が男の子だったならば、今すぐ阿良々木先輩の欲求に応えられたというのに!」
「僕の欲求に応えるより先にお前の邪な欲を抑制してくれ」
「先輩はいつから人を抑圧する人間になってしまったのか。こうも遊び心を失わせてしまうとは、お恨み申し上げるぞ。……まあしかし、ファンタジーはファンタジーのままの方が夢があって良いかもしれないな」
 なんて一区切りを付け、彼女はさっさと読書に戻ってしまう。どうやら今の話は彼女にとっては雑談の域を抜けないらしく、言いたいことは言い終えた、とでもいうかのように視線を手元の本へと戻した。もう手元の行をなぞることに忙しそうだ。
 一度集中に戻ってしまえば、隣に寝ている僕のことなど気に掛けもしない。ふとした瞬間に相手に抱かせた劣情も含めて。
 邪な欲の制御を強いられたのは、神原じゃなくて僕の方だったのか。
「…………」
 その態度の所為もあってか、ちょっとした悪戯心が働いて、僕は爪先で神原の膝を少しつついてやった。
「お? さては阿良々木先輩もやはり試してみたくなったのか? 致した後の私の血をしゃぶりたくなってきたか? 好きにしゃぶってくれて構わんぞ?」
 にやりと笑う神原が手にする本の帯に並ぶ惹句は、『骨までしゃぶるぞ、鬼畜ギャルソン』……ってそうじゃなくて。
「い、いや、違うけど。……なんかイチャイチャしたくなっただけ」
「そうか」
 膝で膝を割るようにして、脚に脚を絡ませる。足の甲で感じるふくらはぎの感触が、柔らかくて気持ち良い……。
 このような大胆なことをするのに慣れていない僕は、実行に移すまでにえらく緊張したというのに、彼女はえらくあっさりしたもので、抵抗することなく太腿で僕の脚を受け入れ、挟み込んだ。
「私は阿良々木先輩とエッチなことが出来るなら何でも良い」
「エッチなことに対する執着が強過ぎるよ」
「ふふ、内腿で阿良々木先輩を感じるのも悪くないな」
 と、神原は満更でもないようだ。
 しかし、執着の度合いは阿良々木先輩よりも鬼畜ギャルソンへ向かう気持ちの方が強いらしく、依然として目線は本に張り付いたままだ。
 遠回しな誘いでは、彼女に届かないということか(男らしくないと言いたいなら言ってくれ)。
 ならば、僕は僕で諦めて寝ようかな、と欠伸をひとつしたタイミングで。
 ――神原の腰が、一度、ぴくりと動いた。
 こんな風に簡素に表現してしまうと、特筆すべきではない些細なことのようだけれど、どこか不自然さを感じる動作だった。
 それでもまだ気付かない振りが出来る程度のものだったので、「ん? 読書の邪魔になったかな?」なんて紳士的に脚の位置を動かすと、彼女は彼女で追う様にして体の向きを変えてきたので、かえって距離が近くなってしまった。
 脚の間に絡まった脚。僕の太腿には彼女の股が隙間なく密着していて――その収まりが悪いのか、彼女は腰をもぞつかせる。が、その回数がやけに多い。
 すり、すり、すり、と。
 宛てがっている右脚に全神経を集中させなくては感じ取れない程に静かな挙動だったが、それは確かなものだった。膝頭で僅かに感じた違和感を、僕は見過ごさない。
 だって。
 視線の焦点は未だに本の中にあるけれど。
 ……神原の顔、ちょっと赤くなってないか?
「なあ、神原?」
「んぁっ」
 突如、場にそぐわない高い声を上げてから。そこで彼女は漸く愛読書から目を離した。
「あっ……す、すまない……その……」
 先まで彼女と接していた場所を確認するように触れると、少しだけ湿った感触を指先が拾う。
「お前、今、……何してた?」
 なんて、訊く方が野暮というものだろう。
 彼女は熱くなった頬を更に赤くさせる。そして――嘘を吐いても良かっただろうに、『それ』をしていたことからの後ろめたさからなのか、だから誠実でありたかったのだろうか、とにかく――健気にも彼女は僕の質問に正直に答えた。
 自慰行為。
 神原が。
 僕の太腿で……?
「みっともないことをしてしまって申し訳ない……謝って済むことじゃないだろうし、だけど、その……言い訳にならないのは重々承知なのだが――なんだか今日は、いつも以上にムラムラしてしまって――」
「我慢出来なかったってことか?」
「っ……」
 言葉にされたことが効いたのか、神原が怯む。もう耳までをも真っ赤に染めてしまって。僕の問いかけに黙ってしおらしく頷く様は、見てるこっちがいたたまれなくなる反面、大変興味をそそられる反応だった。
 だってそれは。
 僕が抱えていた情欲と同じものを彼女も持っていた、ということじゃないか。
「……なあ、神原」
「な、なんだ?」
「続き、しないのか?」
「えっ……」
「そのムラムラしてるってやつ、まだ治っていないんだろ? また僕の太腿使って良いからさ、ほら。やりづらいってなら他のとこでも」
「や、先輩それは流石に……恥ずかしいというか」
 たじろぐ神原から身を引こうとする気配を感じてすぐ、僕は彼女の腰を咄嗟に掴んだ。紳士にあるまじき性急な動作だったと反省することしきりだが、何故か、この機会をみすみす逃してしまうのは勿体無い気がしたのだ。こういう時、僕の口は我ながら良い働きをしてくれていると思う。
「恥ずかしい? 今の今までやってたことじゃないのか? 否、僕達の関係性を以ってすれば恥ずかしいことなんかないだろ? 僕は気にしない。それでも神原が気にするってなら、目瞑っててやるからさ」
「いや、そういう問題では……あっ」
 今度は彼女の、僕と接していた場所に触れる。スパッツの内側でぬるついた感触を得た後に、彼女はびく、と腰を跳ねさせた。
 その反応を見て確信する。
 この様子なら、あともう一押しくらい――
「それでさ……あ、嫌なら断ってくれたって構わないんだけど」
 困惑した顔の神原に向かって、僕は。
「終わった後で、味見してみても良いか?」
 相手を追い詰めたそのくせ、自分の欲求を素直に吐露することは出来ず。
 結局のところ、彼女の提案に乗ることにしたのだ。

 戸惑いながらも頷いてくれたのは、やはりさっきの行為に後ろ暗い気持ちがあるからなのだろうか。
 恋人という立場としては、その心苦しい思いは払拭してやるのが正しい形と言えるのだろう。だから僕は、彼女にとって良い恋人にはなれそうにない。今もこうして彼女に付け入っていることに優位性を感じ、快感を覚えているのだから。
 神原は、僕より一回り小さな身体を太腿に押し付け、腰を振ることに集中している。
 さっきのそれより明らさまな動作だ。上下に、前後に、良いところを探るように触れては離れを繰り返す感触が生々しく僕の腿を通して伝わってくる。
 折角だからスパッツを脱いでくれとお願いしたことも功を奏したのかもしれない。
「阿良々木先輩も……中々に、酷なことを要求してくるな……っ、……まあ、生殺しもプレイの一種と捉えれば、決して嫌いではない、ぞ……」
 強がる様な神原の台詞も、その語調は震えていて力強さに欠けた。
「いや、元はと言えばお前がきっかけで始まったことじゃねーか」
「そう指摘されてしまえば、何も言えなくなってしまうが……」
 ふう、と神原が息を吐く。
 切なげに伏せられた睫毛の下から、僕を恨めしそうに見つめる視線。それすら可愛いものだと思えてしまうのは、僕の太腿を濡らし続けるそれの所為だろう。唇の上下をきつく結ぼうとして、しかし幾分かするとすぐに解けてしまっていて、半開きになった口からはややだらしない印象を受ける。そして、はっと気づいたようにまた歯を食いしばって腰を動かす。その繰り返しだ。
 その一連の表情の変化を見て僕は悟る。
 自分の為に理性を飛ばすことを、僕の彼女は良しとしないのか。
「なんかこう……お前って、普段から自分を律しているところがあるじゃん?」
「……そうなのか?」
「そうなんだよ。確かにかなり挑戦的な物言いはしてるけど、実際の行動とか、行為に関してはどこかストイックなところがあるっていうか……」
 僕の言い分に首を傾げる彼女。無論、その間もずっと腰を振り続けるよう促すことは忘れない。
 やや自意識に欠けるところのある神原のこと、本当に自覚はないのだろう。
「だからこそ、お前が素直に欲を出してる顔を見てみたいって思って」
「――っ」
 自分より恥じらっている相手を前にすると不思議と冷静になれてしまうもので、僕にしては少し珍しいことに、臆面なく本音を言えてしまえた。
 すると、神原の喉は声にならない悲鳴を押し潰し、
「ふ、っう……はあ」
 彼女は熱望していた絶頂を得ることが出来たようだった。
 ぎゅっと背を丸めると同時に腿を圧迫した力の強さは、素直に僕を驚かせもしたけれど。数分前より確実に上がった彼女の体温に、汗で湿った脚の付け根に、遅まきながら実感を覚える。
 ああ、彼女は本当に、していたんだ。
 …………。
 ……すげえ、可愛かった。
「満足したか?」
「…………」
「神原?」
 と、そこで合わさった視線の中に、未だ恨めしそうな色が残っていることに気付く。
 あ。これ、もしかして拗ねられちゃったやつじゃないか?
「悪い、ちょっと調子に乗り過ぎ……んむっ」
 そして、そのままもたれかかるように身体を預けてくる彼女は、自身の息を整える間もなく指先を口内に突っ込んできて。人差し指の腹を僕の八重歯に強く押し当てた。
「……美味いか?」
 と、皺を寄せた眉間と心底悔しそうな声音を用いて尋ねる神原。
 期待させておいて申し訳ない限りだが。ここは、まあ、ノーコメントで。
 ただし、照れ隠しの味は存外悪いものではないことは確かなのだった。

 

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