Vampirism

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01

 気付くのは、その日一日を終えようとしているタイミングである時が多い気がする。当たり前と言えば当たり前のことだ。吸血鬼は夜に活動するものだから。
 口腔内に違和感を覚えて自分の舌を八重歯に当てると、予想に違わぬ鋭い感触。そうなるとすぐにでも鏡を覗きたくなって、僕は洗面台の前に立つ。
 そろそろか、と鏡の向こうで目いっぱい口を広げた間抜けな顔を披露している自分に向かって問い掛ける。
 口の中の尖った八重歯が僕の代わりに返事をした。
 認めたくはないが確かな返事のようだった。後から愛用の手帳(月齢カレンダー付き)で確認しても、満月が近かいようだった。応じて、僕の体は変化しているらしい。
 出そうになったため息を欠伸で誤魔化した。
 人間には三つの欲があるという。睡眠欲、食欲、性欲――つまりは生きていく上の三大欲求。
 勿論、僕にも相応にある。しかし、それとは別の、もうひとつの厄介な欲が顔を出しつつあるのが飲み込んだため息の原因だ。
 吸血鬼もどきである僕には、吸血衝動がある。

「らぎ子ちゃん、らぎ子ちゃん」
「その呼び方止め……んむっ!?」
 ツッコミが追いつく前に、いきなり口に指を突っ込まれた。
 気軽に。
 えい、って感じで。
 危うくかじってしまうところだった。超あぶねえ!
 あまりに突然のことで僕は面食らってしまう。すぐ隣で横になっていたというのに、犯行に及ばれるまでちっとも気付かないとは。自分の反射神経はかなり鈍いのか、はたまた神原駿河というスーパーアスリートは気配の消し方まで完璧だったのか。
 とにかく、気付けば僕は彼女の右手の人差し指の、第一関節程までを咥えていたのだ。
「なあに、ちょっと紙で指を切ってしまってな。舐めてくれ」
 彼女の柔肌を裂いたという紙――読みかけのBL小説を伏せて(本が傷みそうな置き方なのが少し気になる)神原は僕の方に向き直った。
 表情を窺うかのように、僕に対して注がれる上目遣いにやや心を揺さぶられる。実際のところはお伺いを立てられたのではなく、確定事項の通告だった訳だが。
「随分と刺激的な提案だが、僕はお前の絆創膏じゃないぞ」
「絆創膏どころか万能薬くらいに思っている。手っ取り早く阿良々木先輩に治して貰おうと」
「吸血鬼もどきを便利グッズ扱い出来る奴って、お前くらいのものだろうな……」
「使えるものは使った方が良いだろう。先輩はもう少し自分の能力を喜んでも良いと思う」
「……うわあ! 嬉しいなあ! 愛すべき彼女の指をべろべろ舐められるぞ!」
「あと演技も上手になった方が良いと思うぞ」
 辛辣に言い切る神原。これでいて、僕が自分の体質についてコンプレックスを抱えていることを知っているのだから、すごいメンタルだよなあ……。
 まあ、ともあれ可愛い後輩の指を合法的に舐める許可を得たというのは、僕にとって損ではないことは確かだ。
「何を言っているのだ。私は阿良々木先輩が求めるのであれば、いつでもどこでも身体を差し出すぞ? 好きな時に好きな場所を好きなだけ舐めて貰って構わな……ひぁっ!?」
 大きいことを言う割に、口腔内の指先をちょっと強めに弄っただけで神原は簡単に高い声を上げた。
「狡いぞ。喋っている途中は反則ではないか」
「この状況下でそんなことを言えばどうなるか、神原くんにだって予想出来ないわけじゃないだろう?」
「……むう」
 僕だって、お前のくすぐったがりくらいとっくの昔に把握しているのだ。
 悔しそうに唇を結ぶ彼女に対して自然に顔が綻ぶ。我ながらいやらしい笑顔だ。
 そのまま数十秒。小さな傷にしては明らかに長い時間を経て、口内での戯れで神原の肩を七、八回は震わせた後、彼女の人差し指は僕の口から抜けた。
 舌を宛がう対象がいなくなって心成しか口寂しさを覚えるが、一時的なものだろうと割り切る。
「次は阿良々木先輩の番だな」
「え」
 神原の、傷ひとつない綺麗な指先は濡れていて――反射的に喉を鳴らしてしまう僕を見越したかのように、それを一度自分の口に含む動作は完全に僕をからかう行為なのだろうけれど(例に漏れずどきっとしてしまう僕も我ながらちょろい)、次に彼女がさらりと口乗せた提案には真剣さがあった。
「そろそろじゃないのか?」
 ……ああ、ばれた。
 誤魔化せたかと思ったのに。
 指を突っ込まれたまま喋ってはいたけれど、極力八重歯が当たらないように意識していたんだけどなあ。

 白い肌に牙を沈ませると、やや低めの声が遠慮がちに漏れた。行為に及ぶのは一度や二度目じゃない筈なのに、僕は決まって彼女の呻きに怯んでしまう。
 さっさと終わらせて一刻も早く解放してやりたいのだが、急いで吸うとかえって痛そうなんだよな……。
 折角僕が傷を治したというのに、すぐに僕が傷をつけるのだから皮肉なものだ。
 これが終わったらまた彼女の肌をべろべろ舐めて、元の綺麗な神原駿河に戻してやらなければ。
 今度はもっともっと念入りにやろう。

 

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