うっかり血鬼術をくらってしまった結果、俺の尻から尻尾が生えた

Reader


 任務に向かった記憶はある。確か一人で鬼を待っていた。現場に到着したのは昼だったので、鬼が出るまで、つまりは日が落ちるまで待っていた訳だが、あまりにも暇だったからちょっとぼんやりしてしまった。気付いた時には夜空に月が浮かんでいて、鬼の頚が目の前に落ちていて、俺は血塗れになっていた。えっなんで? ああ、これはもしや知らない間に腹でも切られて死にゆく途中なのではないかと慌てたが、身体はどこも痛んでいなかったし、浴びた血は全て目の前に転がっている鬼の返り血のようだった。一体どういう状況なのかと問い質したい気持ちはあったけど、鬼はこと切れてから時間が経っているのか、もう殆どが塵になっていたので諦めた。
 なんだか腑に落ちないが、チュン太郎は満足そうに鳴いているので、任務はこれでおしまいの筈だ。隊服が随分血で汚れてしまったが、命が無事なら安いものだと、よそに避けていた羽織を着込む。帰る道中から、なんだか背骨の辺りがむずむずするな、という感覚はあったけれど、さして気にしていなかった。
 仰天したのは蝶屋敷に着いて、風呂に入ろうと隊服を脱いで、自分の尻から何か長いものがにょろりと生えているのを発見してからだった。その時は風呂場から廊下、どころか屋敷全体に俺の悲鳴が響き渡った。と、俺の絶叫を耳にしてその場に駆け付けてきた炭治郎から聞いた。

 うっかり血鬼術をくらってしまった結果、俺の尻から尻尾が生えた。
 いや嘘でしょ? 嘘だよね? 誰か嘘だと言っておくれ。ひんひん泣きながら、自分の尻の割れ目の上らへんをおっかなびっくり触ってみるのだが、自分のものとは思えない尻尾が、自分の尾てい骨から伸びている。何これ現実? こんなもの俺は知らない。どんな種類の悪夢なのこれは。
「綺麗に背骨が延長しているようです。まさに尻尾としか言いようがありませんね」
 と、しのぶさんは俺の首の後ろから背中、そして裏腿までを検めて、そんな診断結果を下した。しのぶさんとお知り合いになって以来、身体の負傷で困った時にはしのぶさんの元へ駆け込むのが常となっているけれど、今回ばかりは病気や怪我とは事情が違ったので、なんだか罪悪感が湧いてくる。訳の分からないものを調べさせてしまってすみません。俺も好きで女性に尻を見せている訳じゃないんです。
 俺の言い訳がましい言い訳は結局伝えられなかったが、しのぶさんは構うことなく、俺から伸びている尻尾を綺麗な指で静かになぞった。女の人に身体をまじまじ見られるのは初めてだったので、なんだか恥ずかしくなってくる。これが血鬼術で生えた得体の知れない尻尾じゃなければな……。
「ひとまず薬は打っておきますので、あとは十分日光に当たって療養すれば消えるでしょう」
「本当に?」
「ええ。本当に」
 しのぶさんがにこやかに笑う。この人がにこやかに笑ったところ以外を見たことがないけれど、ただその言葉は俺を安心させるのには十分だった。
「薬ってなんの薬ですか?」
「解毒剤です。善逸くんが血を浴びてから発症したことから、今回の血鬼術は毒の一種と考えられます。なので、那田蜘蛛山で処方したものと同じ種類のものを出しておきますね」
 言いながら、診察台にうつ伏せに寝ていた俺の腰に、しのぶさんは注射針を刺した。ちくん、と小さな痛みが背を走り、反射的に目に涙が滲む。でもまあ、あれだ。蜘蛛になりかけて手足が短くなったことだってあるんだもの、尻尾だって生える時には生えるのかもしれない。人ならざるものになりかける機会が多くて、心がめげそう。というか、またあの苦い薬を飲む羽目になるのか。最悪だ。
 一気に悲しい気持ちになったが、でも尻を見せながら散々泣いた後だったから、しのぶさんにこれ以上の醜態を晒すのはみっともない。尻尾を生やした絵面が間抜けであることは流石の俺でも分かっていたので、遅れてやってきた羞恥心と戦っていたら。
「善逸君、そうしょんぼりしないでください。きっと、すぐによくなりますから」
「え」
 随分と優しい声が飛んできた。しのぶさんは負傷した隊士には女神のように優しいが、あからさまな慰めの声を発する人ではなかった筈だ。というより、どうして俺がしょげていると分かったんだろう。泣いて喚いた後ではあったが、俺にしては頑張っていた方で、見栄や羞恥心を抱えていたこともあって、目に涙を溜めていた訳でもなかったのに。
「どうしてって、それは――」
 言いかけて、しのぶさんはくすりと笑い、俺の後ろを覗き見るような動作をした。目線の先では、俺にくっついている尻尾が俺の心情を代弁するかのように、しょんぼりと股座に潜り込んでいた。

 正直過ぎる尻尾の所為で余計な恥をかいた。数時間付き合ってみて分かったが、生えた尻尾は俺の機嫌を的確に表現してくれるらしい。いやしなくていいよ、困るよ。俺ってただでさえ嘘が吐けない人間なのに。俺が喜べば尻尾は千切れんばかりにぱたぱたと揺れたし、悲しめばしゅんと垂れ下がる。まるで犬や猫にでもなった気分だった。
 そんな訳で心は重症だったが、袴を穿く時に邪魔という一点を除き、身体に異常はなかったので、俺はまた任務に駆り出されることになった。辛い。実際に生やしてみないと分からない話なので、誰一人として共感を得られなかったが、これを日の元に晒して街を歩くのは、中々キツいものがあるんだぞ。日光に当てなければ短くなってくれないというので、我慢してはいるけれど。
「大丈夫だ、善逸。初めて見た時は驚いたが、見慣れると愛嬌があって中々可愛いと思う」
 というのは今回一緒の任務になった炭治郎の論だったが、それはなんの慰めにもなってないからな。同じことをお前、禰豆子ちゃんにも言えるのか? 言ったら俺が怒りますがね。
 頭が固めな同期の所為で俺の心は中々晴れないままだったが、でも炭治郎は優秀な隊士だ。俺の代わりに鬼を斬ってくれたので、今日の任務も無事に終えることが出来た。良かった良かったと胸を撫で下ろすと、俺の背後では尻尾がぶんぶんと左右に振れて喜びの意を表明している。やめてくれ。なんだか恥ずかしかったのでもう服の中に隠してしまおうとしたのだが、尻尾は俺の手が届く寸でのところでするりと逃げてしまう。自分の背を追ってぐるぐる回っていたら、炭治郎が痛々しいものを見るような目でこちらを見ていた。やめろ、そんな顔をするんじゃないよ。
「その尻尾は、善逸の意思で動かせはしないのか?」
「うーん、出来るような出来ないような……」
 動かせることには動かせるけれど、手足程細かく動かせる訳じゃない。とはいえ自分の一部ではあるので、全く出来ない訳じゃないけれど。肺を膨らませようとするとか、腹筋に力を入れるとか、そういう感覚に近い。意識したら自由に出来るのかもしれないが、試してみる気は起きなかった。

 そうこうしているうちに、藤の花の家に着いた。用意された部屋に布団を敷いて早々、炭治郎が俺に組み付いてきた。珍しいこともあるものだ。そういえば、二人きりで任務に出たのは随分と久し振りだったな、と思い出す。らしくなく性急な行いに、少し照れる気持ちもなくはなかったが、決して嫌な気分ではなかったので拒まなかった。そこで察して欲しいのに、炭治郎といえば真剣な眼差しで、俺の背中を覗き込むようにして尻尾の様子を窺ってくるものだから、やりにくくって仕方がない。はいはいどうぞ、と顔では余裕ぶったとしても、尻尾は素直に俺の期待と興奮を相手に伝えている。自分のことながら憎い。
 ぎゅう、と抱き締められると身体の熱が伝わった。寝巻越しにも分かる体温の高さに、俺は動揺する。
「え、ちょっと炭治郎。お前熱があるんじゃないの?」
 と、相手の肩を押し返すようにして、背中に回されていた腕を引き剥がしながら俺が問うと、炭治郎は困ったように眉を下げた。図星だったらしい。
「風邪でも引いたの?」
「そういう訳じゃないんだが」
「じゃあ何」
「……もうずっと下がらないから平気だ」
「そんなん全然平気じゃないでしょ。めちゃくちゃ熱いよ」
「むしろ熱い方が調子が良いんだ」
「いやそれ大丈夫なの? 駄目じゃない?」
 なんて、ちょっとだけ、いやかなり頭が固いところがあるこの男と押し問答を繰り返し、結果元の体勢に戻されてしまった。布団の上に組み敷かれている。いやいやなんでよ。こんなことして大丈夫なのか、お前は。恥ずかしくないのか。ちなみに俺はとっても恥ずかしいよ。
 さっきのやりとりの間にすったもんだがあった所為で、着ていた浴衣が崩れてしまった。直そうにも、炭治郎が腕ごと俺を抱きすくめているので直せない。そして、それ以上の文句は聞きたくなかったのか、炭治郎は俺の口をぺろりと舐めた。不意を突かれた所為で、俺の口からはんぶ、と変な声が出てしまった。眉間に皺を寄せて意思表示を図ってみるが、俺の尻尾は俺の意に沿わず、炭治郎の内腿をぺしぺしと叩いている。炭治郎のことが心配なのは俺の本心の筈なのに、まるで自分からねだっているかのように相手に絡む尾の動きが、とてもあさましく思えてしまう。
「あ、だめだって、たんじろ。それ、さわっちゃ……」
 駄目、の一言に一度は手を引っ込めた炭治郎だったが、俺が強くは拒絶しないことを確認した後、再び尾てい骨に手を伸ばしてきた。馬鹿正直な奴だ。だから余計に照れくさいのだが。炭治郎の指が俺の尻尾の根元に触れる。すると、神経を直に弄くられたかのように、ぞわぞわとした快感が背を走った。食いしばった歯の隙間からふう、と息が漏れる。やっぱり恥ずかしい。しのぶさんに尻を見せた時とはまた違う種類の羞恥がある。
「本当に、犬や猫のようだ」
 いつもより低い声で囁かれた炭治郎の声は、心から感嘆していることを俺に伝えてきたが、本当にやめて欲しい。畜生と一緒にすんなよ、と俺が文句を言うより先に、炭次郎が付け根を強く引っ掻いたので、文句を言うのが遅れた。ひっ、と悲鳴とも嬌声ともつかない声が出てしまった。慌てて両手で顔を覆う。
「すまない、痛かっただろうか」
「……お前ね」
 気になる気持ちは分かるけど、そう興味本位で触るもんじゃないよ。と、今度の文句はしっかり口から押し出せた。抗議の意味を込めて相手の顔をじっと見ていたら、炭治郎はいきなり険しい表情になった。なんだなんだ。炭治郎からおかしな音がする。何かを我慢している時の音に近いけど、微妙に違う気もする。心音が妙に早いし、大きい。やはり熱があるからじゃないだろうか。

 それから一週間が経ったが、尻尾は消えなかった。任務の無い日中はなるべく日に当たるようにしているのに、中々短くなってくれない。途中で近くに寄ったからと、村田さんが見舞いに来て、そして存分に腹を抱えて帰って行った。やめてくれ。見世物じゃないよ。
「善逸君がどうしても困るというのなら、いっそ切除してしまうという手もありますよ。知り合いに、良いお医者さんがいるんです」
 これは薬を煎じながら笑顔で提案されたしのぶさんのお言葉だが、そんな怖いこと出来る訳がなかった。切除ってことはあれでしょ。無理矢理に切るってことでしょ。痛いよね? 痛いに決まっている。軽く想像してみただけで、恐怖で尻穴がきゅっと縮こまってしまう。
 屋敷の縁側で苦い薬湯を舐めながら、膝を丸めてすんすん泣いていると「日向ぼっこですか?」と女の子達にからかわれる。やっぱり彼女らにも猫か何かかと思われているのかもしれない。放っておいたらこのまま耳まで生えてきて、本当に畜生になってしまうのではないか。そしたらどうやって生きていけばいいんだ。今のうちに伊之助から山で生きる方法を教えて貰おうか。流石にそれは早計か。つーか普通に嫌だよ。
 そんなことを考える度に、尻尾はしょんぼりと丸まった。すると、どこからともなく炭治郎がやって来て、慰めの言葉らしきものを並べながら、俺の髪の間に指を差し入れる。それだけで、俺の尻尾は心の底から嬉しそうにぱたぱたと揺れてしまうので、炭治郎は満足気な顔をさせてしまうのだった。優しさが辛い。だけどその優しさだけが俺の命綱なので、もし完全に畜生に成り果ててしまったら、いっそ炭治郎に世話を頼んでみようか。そんなことを考えていたら、炭治郎の手が伸びてきて俺の首元に伸びてきて、顎をくすぐった。
「さてはお前楽しんでるな」
 恨みがましく睨んでみせると、炭治郎は気恥ずかしそうに頭を掻いた。悪気がないのが厄介なんだよな。
「そういえば、お前、熱は?」
「…………大丈夫だ」
「だったらこっち見て言ってみろよ」
 あからさまな所作で顔を背けた炭次郎は大方、件の嘘が吐けない表情をしているのだろうが、強くは追及しないことに決めた。炭治郎は真面目な奴だから、きっとその時がくれば打ち明けてくれる筈だ。触れられた掌は熱かったし、相手の腹に耳をくっつけると、また例のおかしな心音も伝わってきたから、炭治郎が何かを隠しているのは確実で、だけど信じてみることにしたのだ。
 ただ、正直過ぎる俺の尾だけは彼の腕にするりと巻き付き、心配そうに相手の肌の上を撫でていた。

0