夢精

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 寝ている間に寝間着を汚してしまった。
 どうして汚してしまったかと言うと、俺も年相応に健康的な十六の男だったから、としか言いようがないのだが、借り物の浴衣だったからそのままにしておく訳にもいかず、滞在していた藤の家で洗濯板とタライを借りて、夜明け前から一人でゴシゴシやっていた。着物を洗いたいから道具を貸して欲しい、と伝えると、親切な家の人はそのくらい手前どもでやりますよ、と言ってくれたけれど、流石にこれを家主の人に洗わせる訳にはいかない。いくら俺でもそのくらいの分別はつく。そもそも恥ずかしいし。
 冷たい水が手に染みる。けれど自業自得なので、誰に文句を言うことも出来ないのが虚しいね。
 石けんと仲良くし始めてしばらく経つと、足音が近付いてきた。この歩き方は聞き覚えがある。
「善逸」
 と、声を掛けてきたのは予想通りの相手だった。
「なんだ、炭治郎じゃん。任務帰り?」
「ああ。丁度さっき、鬼を切ってきたところだ」
「お疲れさん」
「善逸は何をしていたんだ? 洗濯か?」
「まあ、うん、そうね……」
 ぐっと顔を近付けて手元を覗き込んできた相手に、思わず口籠もる。よりにもよってどうしてこんな気まずい瞬間を狙って現れるんだろうね、この炭治郎は。
 別にやましいことがある訳じゃないし、野郎相手なんだから気を遣う必要もあまりない筈なんだけど、「珍しいな、善逸が家事を手伝うなんて」と、炭治郎の視線は感心したようなそれに変わってしまったので、更に居心地が悪くなった。そのまま隣に座られる。いや、別に見てても面白くないでしょ。お前も禰豆子ちゃんも疲れてるだろうし早く休んだら? とは一応言ってはみたのだが、「でも折角久しぶりに会えたんだし」と人懐っこい笑顔をもって返されたから何も言えなくなる。
 泡が混じった水を捨てて、新しい水をタライに張り、すすぐ。水を吸った浴衣は重かった。絞るのに苦心していたら、炭治郎も水切りを手伝ってくれた。手伝わなくても良いって言ったのに……お前の優しさが今は少し辛い。
「なんだか元気がないな、善逸」
 悩める俺の余所余所しい態度が伝わったのか、炭治郎の眉尻が下がった。そして、
「何か困っていることでもあるのか?」
 なんて、頼れる長男の顔をして続けた。確かに俺は元気がないかもしれない。だけど今俺が困っているのは他ならぬお前の所為だよ、とまでは流石に言わないが、心なしかしょげた同期の顔に罪悪感が持ち上がってくる。
 いっそはっきり打ち明けてしまって笑い話にしてしまった方が良いのかもしれない。炭治郎だって俺と同じくらいの年の男だ。いくら長男だからと言えど、粗相をすることくらいあるだろう。ある筈だ。……だけどどうだろう? 頭が固いこいつのことだ。そういう話をして、もし仮に、友達としてどうかと思う、なんて態度を取られたら、俺はもう悲しくなってしまう訳だよ。
「……炭治郎はさ」
「ん?」
「最近、夢とか見たりした?」
 結局迷った末に、やっと俺が訊けたのは、あまりにも遠回し過ぎる質問だった。洗い終わった寝間着の皺を伸ばしながら、さり気ない声を作って尋ねた。
「夢? いきなり何の話だ善逸」
「いや、なんとなく」
「そうなのか。夢。夢か……あ。そういえばついこの間、善逸の夢を見たぞ」
「お、俺? あ、ああ……そう……」

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