至情には未だ遠い #4

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 先生が新しい王様になるってんで、偶には恭しく花でも贈って差し上げようかと考えて、止めた。今でこそフォドラを救った英雄だとかで持ち上げられているが、あの人がそんなことを望んでいるとは露程も思えなかったので、生花の代わりに馴染みの茶葉と菓子を携えて、部屋の戸を叩く。ベルガモットティーが詰まった缶を前に顔をほころばせる先生を見て、俺の観察眼も捨てたもんじゃないな、と少しばかり誇らしくなった。
「お湯を貰ってくる」
 とのことなので、大人しく待たせて貰うことにする。大司教猊下自ら厨房に向かわせるというも、今後は控えた方が良いんですかね? と、余計な心配を口にしたら、想像通りに煙たがられてしまったからだ。しかし、元生徒のよしみで次代の大司教に甘えられるのも今だけだとも思うので、優越感を持て余しながらにやにや待つ。寝台の端に座り込んで、どうせここで二人きりなら酒の方が良かったかな、と少しだけもしもの話を楽しんだ。ここで切り上げとけば気楽でいられた筈だったのだが――ま、いいや、次の機会にでも――なんて、ちょっとでも考えかけてしまったのが悪かった。次なんてあるのだろうか、と思い至って、楽しい夢は覚める。
 戦争は終わった。時代は変わる。俺も先生も変わるだろう。
 この部屋で茶を嗜む機会だって、次はないかもしれない。五年前からそうだったから、と今まで気に留めていなかったが、間違っても軍の指揮を執る人間が寝起きして良いような部屋じゃなかったな、と戦後になってから思う。それを裏付けるかのように、通い慣れた元学生寮の簡素な一室は、備え付けの家具を残して粗方片付けられていた。本棚を埋めていた指南書や魔導書、教育書の類も全て無くなっていて、なんというか――それこそ五年前にとっくにその任を解いていた筈なのだが、いよいよ先生が先生じゃなくなっていくようで、ふと、俺一人が取り残されたような気持ちになる。
「待たせたね」
 静かな声に引き戻されるように振り返る。湯で満たされたポットを手にした先生が、部屋の入口に立っていた。薄暗い部屋に差し込む日の光が先生を照らしていて、まるで宗教画の中の神様のように映る。逆光に透ける明るい色の髪。眩しさに思わず目を細めた。後ろ手で戸が閉められるのをぼんやりと眺める。茶器に熱い茶が注がれる音を聞いているうちに漸く目が慣れてきて――向かいに座っているのが神様ではなく先生であることを認めて、馬鹿みたいに胸を撫で下ろした。それら全てを悟られないようにしながら、腕を頭の後ろで組んで伸びをしてみる。先生の薄い唇が、ティーカップの縁を食むのを見て、ここで二人で茶菓子を嗜んでいるのも、いつか見た夢のように現実味が削がれていくのかな、なんて感傷的なことを思った。
「なーんか、気が抜けちまったんですかね、俺」
「気が抜けてる?」
「あんたが居なかったら、俺、今ここに居なかったかもなー……なんて。そんなつまんないことを、延々と考えちまってるんです」
 茶器の取っ手を摘まんで、飽きる程飲んだ味を喉の奥に流し込む。
「ま、先生のおかげで掴めた平和だ。思う存分享受させて頂きますよ。これで俺も気兼ねなく、女の子を口説いて回れるってもんです」

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