もしも、もしも、もしもの話

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02

「神原って、もしかして声上げる方なのか?」
「え」
 口から間の抜けた声が出る。こちらを覗き込んでくる阿良々木先輩が思いの外、真剣な顔をしていたからだ。
 このタイミングで声、と言えば一つしかないだろう。喘ぎ声だ。
 情事の後のピロートークにどんな話を選んでも許される仲(だと先輩は思い込んでいる)の私達にしては珍しい。内容自体は大変に軽いものだけど。
 言われ、頬の熱さと面映さを感じながらも、暫し考えてみる。
「んー、そうかもしれない、な」
 返事がちょっと気怠くなってしまった。
 暫し回想、ほんの五分前。

 ひ、……あ、ぅ……せんぱ、い! ちがっ……あ、そ、じゃなくてっ……!
 ……いい、いいんだ、そのまま、く……うっあ、あ……んぅ……
 ん、んぁ……も、もっと……っ! い、いってもいい、から……なか、で……っ!

 と、思い返せば。
 まあ、少々乱れてしまっているとも……言えなくも……ない。
 もしかして、終わった後の(今もだけど)声の掠れと気怠さはその所為なのか?
「にしたって、なんつーか、わざとらしいというか……演技っぽいというか」
「演技? 私が演じていると!? 心外だな。いくら阿良々木先輩でも言って良いことと悪いことが――」
 と、反射的に否定を口に出してしまった。
 そして衝動的に阿良々木先輩を背側にひっくり返し、反論を始め――ようとしたが、その前に自分の中で思い当たる節があることに行き着いた。ので、先輩の背を布団に沈めるだけに留める。
「――いや、まあ。私のいやらしい声に関する知識は全ていやらしい本から得ている訳で、そういう意味では作り物めいていると言われても仕方が無いのかもしれないが……」
「つかぬ事をお伺いしますが神原さん。確認するまでもないだろうけど、そのいやらしい本ってやつはもしかして」
「勿論、全てボーイズラブだが」
「そうじゃないかとは思っていたが聞きたくなかった! 彼女とのセックス中、口からボーイズラブの台詞が出てくる悲しみ!」
 と、先輩は頭を抱えているが、私の冗談のさじ加減とBLファンタジーの真実味については一先ず置いといて。
 私が必要以上に喘いでいる、という事実は概ね当たりである。それが演技めいていると言われれば、そうなのだろう。
 でも。
「阿良々木先輩だって、女の子とそういうことをしている時はそれなりの反応が欲しいのではないか?」
 その根底に大きくあるのは、先輩を喜ばせたい、という気持ちで。
 目に見える形で――否、この場合は耳に聞こえる形で、愛情を示したいというのは、やや短絡的な考え方であることは否定しないが。
「声を出されるのは嫌いというのなら、口を塞いでしてくれても構わないのだが」
「それ、お前の願望入ってないか?」
「恋人同士ならキスで塞いで貰うのが通説だろうが、私は一度くらい猿轡を経験してみたい」
「僕にはそんな趣味はなかった筈だが、そろそろお前の口を塞ぎたくなってきたぜ」
 では早速、布を噛ませて――と会話のキャッチボール(限りなくデッドボールに近い)を続けようとしたところで、起き上がってきた先輩に制される。
「でも、なあ……」
 その瞳が真剣さを増していて、私は黙る。
「そういうの、無理してやる必要はないよ」
 少し居心地の悪そうな声音で、阿良々木先輩が続ける。
「神原の声は嫌いじゃないけど、無理に出さなくたって良いんだ。そのくせ、痛いとか、つらいとか……お前、そういうことはちゃんと言わないし」
「……ついでに危険日も言ってないし」
「!? そ、それは冗談だよな?」
「はは……だから余計に気持ち良かったのかな」
「おい、流すな。力無く笑うな。何? 今日? 今日なの?」
「あはは……中々に最低な反応だぞ、阿良々木先輩」
 心配しなくとも今日は素股だったじゃないか――と、フォロー(になっているかどうかはともかく)を噛ませるが、もう先輩は隣で顔を青くして、先までの勢いはどこへ行ってしまったのやら。
 ――そう。勢い。これも大きな要因だろう。
 阿良々木先輩を喜ばせたい、なんてもっともらしい理由を並べてみたが、いざ彼に身体の中心を留められて、突きつけられれば、そんなことどうでも良くなってしまうのかもしれない。
 阿良々木先輩と私の性行為。白く濁った精液が、劣情そのままに、自分の腹の上を伝った様を思い起こす。皮膚の表面を絡みつくように流れた。すごくエッチだった。そんな気分は嫌いじゃない。これは事実。
 終わった後だって、誰にもバレないように風呂場に行って、シャワーでそれを洗い流すまで、私の気分は高ぶったまま戻ってこない。
 今日はまだティッシュで拭ってそのままなので、まだ意識の半分が蕩けたままだ。
 掌で顔を覆うと、やや癖のある臭いが少しだけ鼻腔を突いたが、それでも気持ちは戻ってこない。
 どうかしている。
 その勢いで。
「阿良々木先輩はすぐ責任を取りたがるからな。そこに付け込んでいるからこそ、私は先輩と付き合っていられるのだし」
 後から思えば、きっかけはこの一言だっただろうか。
「……いくら神原でも、それが冗談だとしても、言って良いことと悪いことがあるぞ」
「え? ……むぐ」
 不意打ち。というか、冗談のつもりは無かったので対応が遅れた。
 目の前にあるのは、珍しく怖い顔をした阿良々木先輩。と、私の口の中へと伸びている指。
 そこで失言に気付いたとて、今更だった。
 今度は私が布団に倒される番となる。
「ひぇ、ひぇんふぁい……?」
「お前、本当にそんなこと思ってたのか?」
「…………」
 思っていた。どころか、今も思っている。
 だから危うい。
 私は先輩にとって、完全な私ではないという自覚がある。
 だから失言もする。
 だから言わないこともある。
「……言えよ、本当のことを。ちゃんと。いや、言わせてやる」
「ん、ふ」
 言え、と言われても。
 彼の指が口の中、舌を囲うようにしてぐちぐちとねちっこく動く所為で、私は発話どころじゃないのだが。しかしどうやら、そんな矛盾をツッコんでいる場合ではないらしい。
「ふぇ、え、ちょ、と待って――」
 阿良々木先輩がのしかかってくる。
 いきなりマウントポジションに持ち込まれたことには驚いたが、その際に指を抜いて貰えたので口の自由が効くようになった。引き替えに、弄られた合間にだらしなく開いてしまった脚の間が、右の掌で覆われる。
 人差し指と薬指が割り開いた入り口を、中の指が頻りにつついて来るのに、肝心なところに触れて貰えないもどかしさ。
 こういうのか、焦らしプレイって。
 私は大きく息を吐いた。
「おら、言え。好きな時は好きって言って良い。でも嫌な時は嫌って言え」
「ふふ……この程度で私を降伏させようとは、私のMっぷりもなめられたものだな」
「何故誇らしげに……」
 交わす言葉は軽くても、先走ってはいけないと、急く気持ちを押し殺す。
 だけど所詮は虚勢。それは阿良々木先輩も分かっているようで、煽るように纏わりつく指の動きに意図を感じる。一番良いところを外していく。
 その最中でも小さく水音が響くのは、先輩の指を舐めた時に付いた自分の唾液の名残か、先の行為で身体に残した興奮の名残か。どっちにしろ、このまま先輩と目を合わせたまま下に敷かれていては、身が持たないだろう。
 浴びせられる視線から逃れるように目を瞑っても、彼がこっちを見ている圧に押される。
 よく嘘を吐く私に、本当のことを言え、と。
「……分かった」
 観念してしまおう。
 言ってどうにかなるのなら、私と彼はそこまでなのだ。
「正直に言えば、私は阿良々木先輩の、その、やたらと責任を取りたがるところが好きじゃない」
 もし、先輩と付き合っているのが私じゃなければ、もっと他の誰かだったら、こんなこと言わないだろうな。
 だけど私は言ってしまう。それは変わらない事実だと分かってしまっていたから。
「私が阿良々木先輩と付き合えたのは、先輩の、誰彼かまわず助けてしまうそのお人好しのおかげだが、私はそれが好きじゃないんだ」
「……分かった。けど、直すことは出来ないと思うぜ」
「知ってる。それが阿良々木先輩らしさだと思う。あちこち首を突っ込んで、たとえ彼女でも最優先されないところ。直らないどころか直す気もないだろう? だけど、私は嫌いだ。それ以外のところは好きだ」
「そっか……ありがとう」
 これでも私は丁寧に言葉を選んだし、彼も静かに返事をした。
 正直、もっと嫌な顔をされるかと思っていたが、見上げた顔はどうしてか笑っている。
 その所為か、そして右手の位置が未だ変わっていないのも手伝って、照れくささと切なさが遅れて追いついて来る。
「……阿良々木先輩も、言ってくれ」
「ん? 僕は神原が大好きだから付き合ってるぜ」
「やけにさらっと言ったな……自分ばかり狡いぞ」
 おかげで余計に濡れてしまったではないか。
「んじゃ早速」
「早いな。一回出したのに」
「焦らしプレイのご褒美タイムってやつを」
「は――」
 こういう時の切り替えが早過ぎるところも問題だと、ついでに述べておけば良かったか。
 と、考えかけた頃にはもう遅く、阿良々木先輩は既に腰を落としている。
 押し入る、押し入る。つぷり、ずぷり。いっぱいに。
 奥まで飲み込んだ瞬間、先輩は喉を鳴らした私を見下ろし、私は息を飲んだ先輩を見上げる。
 ああ、くっついた場所がいやらしい。
「やっぱり、違うな」
「な、なに、が……?」
「表情が全然違うっていうか……そうやって、お前がお前の好きなようにやってる時の顔、僕はそっち方が好きだ」
「……~~っ!」
「うぉっ!? 神原、締めす、ぎ……っ!」
 それから先はもう同じように。たがが外れたように。

 せんぱい、せんぱ……っあららぎ、せんぱい……!
 ん、……ふっ、はぁ……、あ……っ
 い、い……、……ん、むぅ……!

 絶え間無く漏れる喘ぎと呼吸音は、既に悪い癖になっていて、そう簡単には抜けないらしい。直せない――先輩と同じだな。
 不意に思い出したのは、先輩が私の中で呻きを上げた後。
 嫌いなところがある分、人一倍好きになる努力をしなければならないと、喜ばせる努力をしなければならないと、私は喘ごうとしたんだ。

 

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