するがフレンド

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 神原駿河と付き合っていたら、僕の高校生活最後の一年は、果たしてどうなっていただろう。
 なんて、恋人がいながら別の異性との付き合いについて考えるという、倫理観的に許される筈がないことを、僕はついつい考えてしまう。
 否、考えてしまうのではない。
 考えてしまうことがあった、だ。
 過去形である。
 つまり、今は考えない。
 考えても仕方がない。
 この仮定の話は考えても無駄な話、言わば蛇足の話であることは確かである。しかし、ここは蛇足の話だということは承知で、敢えて思い返してみたいのだ。
 何故ならば、今の僕にはきっと、考えることすら出来ない話だからだ。付き合っている彼女を愛していると臆面なく言えるようになった今では、きっと出来ない話。
 当時の僕だけが描くことが出来た妄想。
 もしも、神原と付き合っていたら、果たして僕は最高学年としての一年を乗り越えた末、無事にとはいかなくとも、何とか卒業式を迎え、一つ下の後輩、在校生である彼女から、卒業祝いの花束を受け取ることは出来たのだろうか。
 やはり、考えても仕方がないことだろう。
 ただ、そんな馬鹿げた仮定をしてみようと思ったきっかけ――神原駿河との、この愛すべき後輩との会話は楽し過ぎるくらいに楽しいという事実は、いつも僕の心を明るくしてくれた。
 妄想より何より、今の僕にはそれで充分だろう。

「おお! そこにいるのは阿良々木先輩ではないか!」
 その大きな声に振り向くと、こちらを目掛けて猛スピードで駆けて来る人影が目に入り、ぎょっとする。
 神原駿河――何故か僕に対して絶大な尊敬を払っている後輩だった。
「下校中か? ふふ、一人で下校中なのだな」
 尊敬を払っていると言う割に、掛けられる言葉には容赦がない、というか、失礼極まりない。
 胸に刺さる発言は聞こえなかった振りをして、僕は自転車のブレーキを握った。というのも、先に神原が言った通り僕は一人で下校中だったのだが、もっと正確に表すならば、それは通学手段に自転車を用いた下校だったからだ。
 つまり、後ろから声を掛けてきた神原は、その彼女自身の足で僕の自転車の走行に追いつき、そのまま横付けするような形で並走していたのだ。
「うん? 降りるのか?」
 そのまま走っていても何ら問題はないぞ、と言わんばかりの神原。聞きながら、自分の疾走にブレーキを掛けたので、靴底がアスファルトとの摩擦でけたたましい音を立てた。薄くだが確実に僕の鼻腔を突いたのは、ゴムが焼ける臭い。いやいや、走りで自転車に追いつくってだけでもかなりのことだが、そこまでのスピードは出していなかっただろう。
「阿良々木先輩の為ならば、私はいつだって本気で走らなければなるまい。だから、自転車は降りなくても構わないんだぞ?」
「うちの学校のスターをそこまでぞんざいに扱えるような奴じゃねーんだよ。流石に、走り通学の女子に横並びされる自転車通学、なんてのは御免だ」
「いつもながら阿良々木先輩のお心遣いには頭が上がらないな。口では下手な言い訳をしているが、本当は私を気遣ってわざわざ自転車を止めてくれたんだろう? 阿良々木先輩と言葉を交わせるだけでも卑しい私にとってはありがたいことだと言うのに。繰り返し言わせて頂くが、阿良々木先輩は本当に、私のような者には計り知れない程の大きな器をお持ちなのだな」
 彼女以上に甘言褒舌という言葉が似合う奴も中々居ないだろう、と僕は思う。
 とにかく相手を褒める。
 多少失礼な言動が混じろうと、褒める。
 逆に言えば、それは神原自身の自己評価とか、自意識とか、そういった類のものの低さの裏返しではないかとも思うのだが。
 高校生活三年目にして初めて出来た後輩らしい後輩を相手に、浮かれてしまう気持ちはなくはないし、甘やかしてやりたい気持ちもあるにはあるのだが、こいつから繰り出される甘い言葉を正面から受け止めているだけでは、僕の方がこいつに駄目に育てられる気がする……。
 身に余る尊敬の念は重いが、しかし、そこに彼女の気持ちがあるのなら、なるべく応えてやりたいと思うのは仕方がないことではなかろうか。
 一方、甘言褒舌の神原と正反対――暴言毒舌を振るっているのが、先月辺りから付き合い始めた僕の彼女なのだが――
「あれ? そういえば、戦場ヶ原先輩は? 阿良々木先輩にはお付き合いしている人がいるのだから、わざわざ一人で下校しなくとも、恋人と一緒に下校すれば良いのではないか?」
「残念ながら、毎日そうって訳じゃねえよ。今日は見ての通り、一人で下校だよ」
 やや見栄を張った返答になったが、実のところ、一緒に下校した回数の方が少ないというのが現状だ。
「ふむ。そうか。戦場ヶ原先輩にも色々と都合があるのだろうが、阿良々木先輩にとっては少し寂しいな」
 と、自分まで寂しそうに首を垂れる神原だが、それはあながち遠い認識でもないだろう。
 神原駿河は百合である。僕の彼女――戦場ヶ原ひたぎを愛しているのだ。その件に関して一悶着あったのも、つい先日の出来事で――
「では、鬼の居ぬ間に選択だな。戦場ヶ原先輩の目の届かぬうちに、私とみだらな行為に及ぶか、わいせつな行為に及ぶか、どちらか選んでもらおうか!」
「有名な諺に変換ミスが起きているんだが……しかもなんだその選択肢は!?」
 かと思えば、自分から性欲のはけ口に志願しようとするなど、口を開けばとんでもないことを言いやがる。
「というか、自分の先輩を鬼とか言うな! 愛しているんじゃねえのかよ!」
「阿良々木先輩とエッチな話が出来るのならば、たとえ命を投げ出すことになろうと私に後悔はない」
「お前は僕のアンダーグラウンドな話にどれだけの価値を見出しているんだ……」
「話だけではない。実技に及んで貰っても構わない」
「話も実技もお呼びじゃねーよ!」
 勿論、いつもの軽快な遣り取りは無邪気にじゃれあっているだけのそれであって――こういう表現をすると彼女は怒るだろうが、つまりは口だけなのであって、神原にしてみれば好きでも何でもない、僕みたいな奴から実際にそんなことをされるのは堪ったものではないだろう。
 幾ら尊敬する阿良々木先輩、敬愛する阿良々木先輩、大恩ある阿良々木先輩と言われようと。そんな簡単なことが分からない僕ではないのだ。
 それにしても。
 この警戒心の無さはなんなのだろう。例の如く、神原自身の自意識の薄さに依るものなのか。それとも、それ程までに阿良々木暦は信用されているということなのか。
 ならば。
 僕が本当に、神原とみだらな行為や、わいせつな行為に及べば――有り体に言うと、神原を襲ってしまえば、
 彼女の言う大恩とやらは帳消しになるのだろうか。
 それこそ阿良々木暦のイメージダウンに、もっと言えば嫌われることになるのだろうか。
「何を言うのだ、阿良々木先輩」
 また、かような非常につまらない、馬鹿馬鹿しい質問にも、ノリ良く答えてくれるのが彼女だった。
「そんなことで私が阿良々木先輩を嫌いになる訳がなかろう」
「そうなのか?」
「うむ。寧ろ、その男らしさに敬愛が深まる」
「深まっちゃうの!?」
「まさか私が先輩から襲われるべくシチュエーションを妄想して――否、想定していないとでも思っていたのか。……ふふ、抵抗する私を、阿良々木先輩が強引に押さえ付け、そして後ろから無理矢理に……!」
「最低だ! お前は僕をそんな最低な奴だと思っていたのか! いつも積極的に誘うのはお前の方なのに!」
「多少は抵抗しないと場が盛り上がらないだろう? ほら、バスケットボールはチームでやるスポーツだからな。雰囲気作りには慣れているつもりだ」
「そりゃまあ得意そうだけれど……お前の体育会系スキルをそんなところで生かしていいのか?」
 ついでにツッコんでおけば、お前の妄想は別のものから吸収した知識だろう。

「あのさ、神原。もし、僕とお前が付き合っていたら、どうなっていたと思う?」
「何を言っているのだ? 私と阿良々木先輩は既にただれた男女交際を」
「していない」
 しかも、『ただれた』ってなんだよ。『清く正しい』とかじゃねえのかよ。
「いや、この前の話の続きって訳じゃないけどさ。ちょっと、考えてみただけだよ。僕の彼女がお前だったら、どうだったのかなって――これまた不謹慎な話かもしれ
ねえけど」
 この前とは、北白蛇神社に向かって、二人で山を登った時のことだ。
 もしも、戦場ヶ原を介せずに僕と神原が出会っていたら、僕達は付き合っていたのではないか。
 僕と神原は揃ってそんな話をした。
「うむ。あれから私も、阿良々木先輩と付き合っていたら、と考えないこともないぞ。四六時中あらゆる角度から繰り出される阿良々木先輩の濃厚な攻めに、私は耐え切れるかどうかと。休み時間、阿良々木先輩から届いたメールは、人気の無い校舎裏への呼び出し……そこで待ち構えていた先輩は、私を物陰へと連れ込んで……! ああ、駄目だ先輩! こんなところで行為に及ぶなんて! 抵抗する私を黙らせるかの様に、先輩の左手は腰に回り、たくし上げられたスカートの隙間を縫って、スパッツの中に右手が……!」
「僕はそういう成人向け書籍的なボケを求めていたんじゃない」
 しかもお前の妄想、ややMっぽいところがあるのが反応に困るんだよ。
 語りながら、神原は自分で自分の身体を抱くような姿勢を取り、身を捩らせる。
 そんないかがわしいポーズを取るな。
 歩きながら自分の胸を寄せる女子は、きっとお前が思っている以上にシュールだぞ。制服に寄る皺と膨らみが生々しいし。
「む? ではどうしてそんな話をするのだ? エッチな話と身体以外で、阿良々木先輩は私に何を求めると言うのだろう?」
「身体も求めていないけどな……いや、単に、気になっただけだよ。普通にお前と付き合っていたら、どうなのかなって」
「普通に、か。うーん……」
 まあ実際、戦場ヶ原と出会う前に神原と出会っていたなんてことはなかった訳だし、そもそも僕が戦場ヶ原と付き合い始めなければ接点さえなかっただろう。
「戦場ヶ原先輩はさしずめ、私達の愛のキューピットと言ったところか」
「それはない」
 きっぱりと否定した。僕と神原の関係以前に、戦場ヶ原ひたぎにそんな愛らしい表現が似合うかどうかも含めて。というか、本人が嫌がりそうだ。
 まあ、この話だってただの雑談に過ぎず、そもそも答えが得られたところで何の利にもならない質問なのだが。
 しかし、神原は思いの外この話題を気に入ったらしく、彼女はこう続けた。
「では、ちょっと考えてみようではないか。今、この瞬間、私と阿良々木先輩が恋人同士だったらと」
「えー……それはなんというか、不謹慎過ぎないか?」
「まあまあ、私の妄想語を続けるのも吝かではないが、偶には阿良々木先輩の話も聞いてみたいし。それに、戦場ヶ原先輩も小さな遊びを看過出来ない程、心の狭い人間ではあるまい」
「そうかあ?」
 僕の脳裏には、眼球にシャーペンを突き立てられそうになった過去がフラッシュバックしたが……。まあ、あの戦場ヶ原も神原にはどうしてか甘いところがあるからな。
「遊び、ねえ……」
「遊びで終わりたくはないか? 阿良々木先輩がその気なら、私も思わず本気になってしまうな!」
「よし。全力で遊ぼう」
 仮定しよう。
 もし、阿良々木暦と神原駿河が付き合っていたら。
 ただし、二人の出会いの経緯については考えなくても良いものとする。

 やったぁ! 憧れの神原さんと下校デートだ!
「おお! そこにいるのは阿良々木先輩ではないか!」
 その大きな声に振り向くと、こちらを目掛けて猛スピードで駆けて来る人影が目に入り、僕の心は踊る。
 神原駿河――先月辺りから付き合い始めた僕の彼女だった。
 僕は駐輪場で、自分の自転車(通学用のママチャリだが、今では僕の唯一の愛車になっている)と共に彼女の姿を迎えることになった。
「遅くなってしまって申し訳ない。しかし、下校時に恋人が待ってくれていると言うのは、存外、嬉しいものだな」
「そうか?」
「うん!」
 元気いっぱいの返事に、輝く笑顔。
 やべぇ、僕の彼女、超可愛い。
「じゃあ、帰るか」
「応!」
 可愛さの余り照れ隠しでそっけない言い出しになってしまったが、それでも素直な返事が返ってくるのだった。
 下校デート。
 僕の場合、それは自転車の二人乗りである。
 二人乗りは法律違反だと、また羽川辺りに指摘されそうな話ではあるが、彼女を家まで送りたいという気持ちがある今、ここはご寛恕願いたいところだ。神原の家は割と遠いのだ。
 別段汚れていた訳でもなかったが、念の為、僕は愛車の荷台部分を拭ってやった。
 そしてサドルに跨り、その間、隣で大人しく待っていたであろう彼女に、自分の後ろに乗るよう促そうとして。
 振り向くと、神原は僕の理想通り、隣で大人しく待っていてくれたことにはくれていたのだが――何故かスタートダッシュのポーズを取って待っていた。両の足を前後に開き、腰を落とし、体重を前の方に掛ける、アレである。
「…………」
 走る気満々か、この女。
 制服のスカートを汚すのは芳しくないだろう、と気遣った僕の小さな思い遣りは、彼女には届かなかった様だ。
 でもさ、荷台を掃った時点で察して欲しい。自分から提案し辛いが故、分かりやすいアピールに逃げた僕が言えることでもないのだが。
「なあ、神原」
「なんだ? 阿良々木先輩」
「えーっとさ、……後ろ、乗れよ」
「心配には及ばない。私は走りで十分だ」
 断られた!
「私のような輩の為に座席を用意してくれるなんて、阿良々木先輩は優しいな。しかし、大丈夫だ。私は阿良々木の行く所、どこへでもこの足でついていくぞ。阿良々木先輩がこのまま海外へ高飛びするつもりだとしても、私はあなたの自転車の横を、ペースを落とすことなく並走し、どこまでもついていく覚悟だぞ」
「ちょっと長くなりそうだから分割してツッコませて貰うけどな。第一に、高飛びは自転車じゃ出来ないし、第二に、お前の脚力を以ってしても海の上は走れない。そもそも僕は高飛びしなきゃならない程の罪は犯していない」
「軽いものなら犯しているのか?」
「してねえよ!」
 心当たりがあるとすれば、ちょっとばかしツインテールの似合う愛らしい小学生にセクハラをはたらいている程度だ。
 それもスキンシップレベル。
 まったく犯罪性が無い。
「とにかく、乗れ。流石に、走り通学の女子に横並びされる自転車通学、なんてのは御免だ」
「うーん、そうは言ってもな……」
 と、そこで神原は考え込むような素振りを見せた後、
「前にも話したが、私は自転車に乗れないのだ」
 そう言った。
「ああ、そうだっけ」
 なんとなく聞いたような。
 坂の多い地域で育ったから、自転車に乗せて貰えなかったとか、何とか。
 何分自分が日常的に乗り回しているからあまり念頭になかったし、それこそ神原から聞くまでは意識したことはなかったが、幼少期に育った環境の影響で自転車に乗れない奴ってのも案外いるもんな。
「でもそれって、単にお前が乗れないって話だろ。別に、後ろに座るくらい」
「うん、それはそうなのだが……」
 らしくなく煮え切らない態度を見せる神原が、再び考える仕草を覗かせる。
 そして、やや心苦しそうに。
「情けない話だが……自転車に乗れない者にとっては、二人乗りというのも少々……怖いな」
 と、言うのだった。
 気丈なスポーツ少女の意外な弱点が垣間見えた瞬間だった。
 ここは先輩として、紳士的にフォローを挟んでやるべきところだろう。目の前の彼女に対する密やかなギャップ萌えの興奮が溢れないよう細心の注意を払いながら、僕はあくまで紳士的に言った。重ねて、紳士的に、だ。
「じゃあこう言えばどうだ! ほーら、神原! 憧れのニケツだぞ! ケツにケツを重ねてのニケツだぞ!」
「…………」
 ……口が滑った。
 勢い余って興奮が溢れ出してしまった。
 そして、当の僕の彼女はなんとも形容し難い表情を浮かべているだけで、何も言ってくれないのだった。

「じゃあ、ゆっくり行くからな?」
 僕の熱の入った説得の末(あれが説得になっていたかなんて聞かないでくれ)、神原は渋々ながらも荷台に座ることを了承してくれた。後ろからしがみつくように手を回し、僕の腹で腕をクロスさせる。それを確認してから問うた。
「あ、ああ……」
 心なしか弱々しい返事と共に、絡み付いたその腕に、ぎゅう、と力が込められる。
 そのいじましい動作の結果、生じたのは――先に、これは決して意図的に仕組んだものではないことを、声を大にして言っておくが――生じたのは、神原との完全密
着だった。
「か、神原……」
「な、なんだ? 阿良々木先輩?」
「その……いや、何でもない」
 思いがけず手にする、否、背に感じる幸福を逃すべきではないと、僕は口を噤む。
「そうか。阿良々木先輩は中々奥手で可愛らしいな。大丈夫。阿良々木先輩は後輩に胸を押し付けられて興奮している、とわざわざ口に出さずとも、察せられぬ私ではない!」
「僕の心理状態を読み取って、それをわざわざ口に出すな!」
 しかし、神原の胸が背中に当たっているという事実に、伝わってくる体温と柔らかな感触に、僕は興奮を隠せる筈もなく。心臓の高鳴りが背中越しに伝わったらどうしよう、と考えながら僕は自転車を発進させた。
 走り出して暫く、自転車に跨るだけでもおっかなびっくりだった彼女が、身の安全を認めてからだろうか。
 適度に緊張が解れたらしい神原は、
「阿良々木先輩、折角だからどこか寄り道して帰るのはどうだろうか?」
 なんて、提案をしてきた。
「お、積極的だねえ、神原さん。どこに行きたい?」
「ファーストフード店なんかはどうだ? 高校生のカップルらしく、ミスタードーナツで一緒にフレンチクルーラーを食べたい。他にも、カラオケとか……阿良々木先輩とプリクラを撮るのも楽しいかもしれない。映画に行くのも良いな。そうだ、私は天文台で星を見るのが好きなのだが、阿良々木先輩はプラネタリウムの方が好みか? あと、夏はプールにも行きたいな。あとは……」
「ちょ、ちょっと落ち着け、神原。たかが下校デートに詰め込み過ぎだ」
「『たかが下校デート』ではないぞ。私にとっては特別な時間だ。だって嬉しいではないか。阿良々木先輩とデートが出来るのだぞ? 現に私は今、あなたに新しい世界を見せて貰ったばかりだ」
 と、生まれて初めての自転車に興奮しているらしい神原は、その強い主張と共に、またも背中に身体をぐいと押し付けてきた。
 それは僕に隙間なく密着する神原の身体の柔らかさを味わう余裕を通り越すくらい激しい勢いで。
 自分の背に汗が滲まないかと焦る。
「お前、それは流石にちょっと……」
「ん?」
 とぼけるように首を傾げる(背中にくっついているから直接は見てないけれど、そんな気配がした)神原は可愛い。可愛いけれど、僕の背中を抱き締める強さは洒落にならないレベルだ。確実に僕を圧迫する双丘の感触も含めて。
 いや、ちょっと待て。
 この膨らみの中に感じる違和感はなんだ!?
 制服越しだというのに、やけに柔らかすぎないか!?
「か、神原……」
 まさかとは思うが、お前、ひょっとして、下着を――なんて、チキンな僕が問いただせる筈もなかった。
「阿良々木先輩?」
 ぎこちない角度で振り向くと、彼女が僕に向かって浮かべていた愛らしい表情は、一変して――
「ではそろそろ、私とみだらな行為に及ぶか、わいせつな行為に及ぶか、どちらか選んでもらおうか!」
 その底知れぬ悪い顔は、はっきりと物語っていた。
 確信犯である、と――

「途中からお前のものとしか思えない邪念が入って来たぞ!」
「語り部は阿良々木先輩なのだから、阿良々木先輩のものだろう? 本当の気持ちは偽ることが出来ないものだからな」
「無駄に格好良い台詞を並べたからって、僕の妄想の創作が許されると思うな」
「妄想を創作、というのも何やらおかしな話だが……。あと、現実の私はちゃんとブラをしているからな。今のところは」
「今後に外す予定があるかのような言い方をしないで」
「しかし、妄想とは言え、阿良々木先輩と恋人関係になるというのも、中々楽しそうではあるな」
 うん。楽しかった。
 ちょっと、楽し過ぎるくらい。
 それについては僕も同感だ。
 いつも通りの馬鹿な会話に、神原はそんな感想を漏らし、天を仰いだ。
 友達。恋人。先輩。後輩。
 人間関係を表す言葉は、互いの気持ち次第で変化し得るものなのかもしれない。はたまた、表された言葉によって、互いの関係性も変わってくるのではなかろうか。
「まあ、私は今の、阿良々木先輩との関係が好きだからな。今の私はどうあっても、阿良々木先輩と戦場ヶ原先輩のことを一番に考えてしまうし、これからもそうなのだろう」
 そして、神原は、今日一番に意志の強い口調で、はっきりと言った。

「私は阿良々木先輩が好きな戦場ヶ原先輩が好きだし、それと同じくらい、戦場ヶ原先輩が好きな阿良々木先輩が好きだ」

 これは僕達の約束というか、それを以ってして僕達の関係は結束しているというか、とにかく、そのようなものである。
 そういうところ、こいつは解っているというか、けじめをつけているというか。その辺は流石だよな。
 流されやすい僕とは違うのだ。
 こいつに尊敬される先輩でい続ける為、僕も見習わねばなるまい。
 まっすぐに歩みを進める神原を追う様に、僕も自転車を押しながら歩きだした。
 二人乗りは、しない。
 僕達は付き合っていないからだ。
「しかし、ならばこうも言えるな。阿良々木先輩の気持ち次第で、私達はいつでも愛人関係を結ぶことも出来ると!」
「そればっかりはいつまでも結ばねえよ!」

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