八十八夜の別れ霜

「きっと私のことなんて忘れちゃうよ。忘れてしまって構わないんだ。精々もって一週間か、一ヶ月か――ほら、人の噂も七十五日って言うだろう? もっとも、『悪魔様』が七十五日も存在を覚えていられちゃあ、それは失敗の類なんだけれど――ワンシーズンも経てば、きみの考えも変わる筈さ。おっと、四十九日なんて言うなよ? それじゃあまるで私が死んだ人間みたいじゃないか」

 神原先生はどうして医者になろうと思ったんですか?
 意外と聞かれることが多いこの質問。ドクターになるに当たって大事となるのは医師免許を取得したという事実であって、そのきっかけなんてどうでも良いんじゃないかと思うのだが――皆が皆、立派な目標や人に褒められるような志を胸に医者になったとは限らないんじゃないかと思うのだが――世間話の類としてなのか、よく話題に上るのである。
 他人の過去の経歴を大事にする奴が、前にもいたような、いなかったような。
 人(というより世間かな?)は、美談を求める。そりゃあ私だって、体や心が弱っている人には、なるべく明るい話をしてあげられたら、と思うけれど。それで元気になって貰えれば、なんて甘いことを考えもするけれど。生憎、私は人に胸を張って語れるような人生を歩んでいない。寧ろその逆だ。
 医者が必ずしも人に敬われるような人格を有する必要もない――これも彼女が言いそうな文言だが――とにかく、前述の質問だって、特に明るいきっかけがあった訳でもないので。

「ええと、……私は高校時代にバスケをしていたんだがな。二年生の……春頃かな? 左腕を壊してしまって、途中で引退を余儀なくされたんだ。その時に、私も同じように病院にお世話になったんだが……ほら、白衣を着ている女医さんって、なんだかいやらしい感じがしないか? それがきっかけかな、うん」

 なんて適当なことを言ってお茶を濁させて貰う、というのが私の中のセオリーになりつつある。
 ……まあ、私はいくつになっても明るいエロスを追及する妖精でありたいからな。これはこれで悪くはないと思う。
 しかし、この言い訳は大抵の場合、入院患者さんから白い目で見られてしまうので(白衣だけに)、もう少し上手いジョークを思い付かなければならないとも、考えてはいるのだ。

「確かに面白くはないね。高校生が言うならまだ許せるけれど、その歳でその受け答えは寒いよ。気が滅入っている人間にそんな話を聞かせられるだなんて、きみの心臓にはよっぽど強い毛が生えているに違いない」
「……良いんだよ、明らかに冗談だって分かる話の方が、相手も聞いていて気が楽だろう?」
「私はどんなにエグい話でもリアリティある話の方が好きだがね。というか、冗談だったんだ? マジかと思っちゃったぜ」
「当たり前だろう。私を何だと思っているんだ」
「じゃあ、どうしてきみはお医者さんなんかになったんだい?」
「え? ……んー、そうだなあ……」

 私は答える。
 田舎の総合病院の屋上、閉鎖されたこの場所に立ち入る物好きなんて、私以外に誰もいないことを承知で。

「お前と二度と会わないようにする為かな」

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