03
他人に全力でしがみついたのはいつ以来だったか。感情のままに声を上げたのはいつ以来だったか。
寝起きの喉がひりつくのは暑さの所為であって欲しいと切に思う。
私は今夜も夢を見た。
◇
阿良々木先輩が好きかと問われれば、私はきっと肯定し難いと答えるだろう。
しない、とは言わない。絶対にしない、とは。本人に好きだと伝えたことすらあるからだ。
では嫌いかと問われれば、やはり肯定し難い。
しない、とは言わない。絶対にしない、とは。妬んで、嫉んで、その憎しみを本人にぶつけたことすらあるからだ。
だからこそ、こんな夢をみてしまって私は喜ぶべきか忌むべきか分からないでいるのだった。
自分の意思も分からず優柔不断にふわふわしたままするセックスに罪悪感を覚えても良さそうなのに、実際は普通に気持ち良かった。私は嘘を付くことに関してはさして罪悪感を覚えない人間なので、彼の前では素直に悦んで良いだろう、と割り切れているのかもしれない。
否、割り切れていれば良いな、と思っているだけか。
今までで一番深く繋がっている筈なのに、どこか気持ちが落ち着かず、心許なく思っているのだから。
向かい合わせに座って挿入する体位を抱き地蔵と呼ぶらしい。先輩に呆れられることも少なくない私の座学だって存外役に立つものだ。ただ、身体の芯がじんと熱くなって、そこから蕩け落ちてしまいそうになることは実技に及ぶまで知らなかった。奥でくすぶる欲が熱となって内側から身を焦がし、汗となって噴き出す。それでも不快に思わないし、寧ろ快感の方が勝ってしまう。
「……熱い」
耐えきれずに服を――と言ってもただの一枚だけ未練がましく残してあったチューブトップだけだったが――それが纏わりつく感触すらもどかしく、やや乱暴に脱ぎ捨てる。先輩と繋がったままの脱衣は拙速だったかもしれない、と後から心配になったが、阿良々木先輩はさして気分を害したようにも見えなかった。
ただし、ひいひいと息を切らしながら必死に腰を動かす自分の姿は、端から見ればとても惨めに映るのだろう。これまで防戦一方だった先輩相手の性行為において、今日は何としてでもイニシアティブを握っていたい。なんて愚かな思いが私を急かしている。
「おい、神原。そんなに無理すること……」
そんな無様な私を見かねてなのか、彼が心配そうに声を掛けても。
「良いんだ。私が、するから」
突っぱねてしまう。
「私が、したいんだ」
私はあなたの後輩だから。
その声の響きは自分の耳で聞いても真剣そのものだった。しかしその裏は自分の意地と言うか、エゴと言うか、とにかく主導権をともがいているだけなのに。可笑しなものだ。
しかし、真剣な訴えの甲斐があってか阿良々木先輩は黙った。ただ一度息を飲んでから。喉を鳴らす様を目の前で見せられてどこか性差を感じさせられた。それだけで、どうしてか胸がぎゅっとして私は腰の動きを緩めてしまう。
「……止まってる」
「ん、……すまん」
……駄目だ。
いつもの様に何か上手いことを軽く言って誤魔化してしまえば良いのに、今に限っては何を言うことも出来ない。
日頃、私達は冗談で会話を繋げているから。言わば頭を使って、ギリギリのライン上で会話をしているから。そのラインを超えた先では、もう、駄目だ。
性行為中は脳の受容力が追いつかない。
気を引き締めて。ちゃんと、今日は先輩がよくなるように。と言い聞かせても、すぐに意識が溺れそうになる。
「あ、……多分、もうちょっと」
「う、うん」
息を荒くする阿良々木先輩を頼りに腰を振り続ける。内側で大きくしごくように動かすと良いらしい。背に添えられた手に少し力が入った。期待してくれているのだろうか。そう考えるだけで只々嬉しくて、私の興奮も高まっていく。
しかし。
「っあ……!」
先輩の腿が震えて、あと少し、きっと本当にあと少し、というところで。
私が先に果てた。
動かしていた自分の腰が、下半身が、身体全部が、まるで自分のものではないかのように重く感じ、支えきれなくて、落ちる。次いで遅れて後悔の念が押し寄せてくる。
ひゅう、とひとつ喉が鳴った。先輩のものと比べて自分はなんて弱々しいんだろう。
阿良々木先輩をがっかりさせてしまっただろうか。彼の顔を見ることが出来ない。のは心苦しさもあったけれど、いってしまった拍子に相手に体重を預けるようにしなだれかかってしまったからだ。
身体を離そうと上半身を持ち上げただけで、内側で屹立したままの先輩と私が擦れてびくりと痙攣した。続けて迎えそうになった絶頂に、やっとの思いで伸ばした私の背筋は簡単に折れてしまう。
……うう。
あれだけ私が私がと啖呵を切っていた癖にさっさと自分だけ果ててしまって。そんな私の背を阿良々木先輩は撫でてくれて。彼の優しさがかえって罪悪感を大きくした。情けなさと、絶頂を迎えた後の倦怠感で少し目頭が熱くなる。
それでも私は諦めたくなかった。
出来る筈だ、と理性が訴える。なまじ体力だけはお互い人並み以上にあることは分かっていて、それすら恨めしかった。
もう一度、と膝に力を入れようとした時。
「……ごめん、神原」
「え?」
「限界」
それは静かな通告だった。しかし、性急な動作で私の腰に手が回る。止める暇はなかった。止める権利も。
つまりは、私の拙い性技では彼を満足させられなかったということだろう。
「その……お前の気持ちは嬉しいけれど、僕は――」
「っ」
言い訳を聞き終えるよりも、突き上げられる方が先だった。
また彼の喉が鳴った。今度は触れてみたくなる気持ちを抑えきれなかった。
胸いっぱいに膨らむ後ろめたい気持ちを押し殺す様にして、私は再び阿良々木先輩に抱き付く。首に回した腕に力を入れる。よりにもよって左腕だった。きつく巻いてある筈の包帯なのに、合わせ目から私の罪の意識が見える。
それでも阿良々木先輩は抱き返してくれた。一見優しさの見える行為だが、それは私の腰を持ち上げて自分の良い様に動かす為だ。随分と都合の良い先輩だと思った。自分だって同じことをした癖に、いけしゃあしゃあと思った。しかし結果としては私が望んだ通りになったのだから、文句など出る筈がない。代わりに出たのは殺しきれなかった嬌声。
「ん、あ、あっ、ああっ」
「悪い、勝手なことして……。体勢変えるか?」
「い、いいんだ。大過ない……、阿良々木先輩の、いいように、してくれ」
そうして貰った方が、好きなように扱って貰った方が。
私は自信を持って阿良々木暦を好きだと言っても良いような気がするんだ。
なんて、また勝手なことを思いながら彼の欲に従った。
私を気遣ってくれようとする阿良々木先輩と、阿良々木先輩をよくしたい私と、そのどちらのプライドも折って、私達は一体何をしているんだろう。そして、そんな相反する行為が気持ちいいのはどうしてなのか。考えられる頭などないのだ。
動かしやすいようにと、相手の肩に半ば本能的にしがみつく。首筋に垂れるやや長めの襟足の間から、阿良々木先輩の吸血痕が見えた。絡めた左腕に力を入れて抱きつくと、指先がその場所に届きそうになる。
私は阿良々木先輩の吸血痕を見ながら、阿良々木先輩は私の左腕を見ながら、互いに削り合っていく。
今夜はそんな夢を見た。
◇
妄想逞しいのか、昔から戦場ヶ原先輩の夢を見ることは多々あった。が、肉欲的な夢は見ていなかった筈だ。我ながら浅ましいものだ。
思えば、最後に他人に全力でしがみついたのも、感情のままに声を上げたのも、彼が相手だった気がする。どちらも学習塾跡での話だ。勿論夢とは違う意味合いで、だが。違う感情で、だが。
かつて強く憎んだ相手とも行為に及べてしまう、というのは自分にとって軽く衝撃だった。いや正確には及んでないのだが。もっと正確にはその相手に散々及ぼうと言ったことがある身で今更なのだが。
しかし、今夜もメールの送信ボタンは押せそうにないなあ、と。私は携帯電話を握り締めながら思うのだ。